2)アーランマナパッチャヨー(所縁縁)


 アーランマナパッチャヨー(所縁縁):六つの対象が紐と杖のような性質により、名法(心)に対し原因として働きかける法


●六つの所縁(対象)


 六つの所縁(対象)とは以下の通りです。
① 目で見る形という所縁(対象)、ルーパーランマナ
② 耳で聞く音という所縁(対象)、サッダーランマナ
③ 鼻で嗅ぐ臭いと言う所縁(対象) ガンダーランマナ
④ 舌で味わう味と言う所縁(対象)、ラサーランマナ
⑤ 身体で感じ取る接触という所縁(対象)、ポゥッタッバーランマナ
⑥ 心で感じ取る思考と言う所縁(対象)、ダンマーランマナ


●所縁(対象)が必要です


 ローバ(貪)の心であれ、ドーサ(瞋)の心であれ、心が一つ生ずる際には対象が一つ必要です。例えば、形と言う対象一つがセックパサーダ(眼浄色)と呼ばれる眼と出会います。眼の状態も良好です。形と言う対象を見るために必要な光も十分あります。「何だ、これは」と注意を向けそれを見るとします。見える対象がローバ(貪)を生じさせるものであればローバ(貪)が生じます。ドーサ(瞋)を生じさせるものであればドーサ(瞋)が生じます。ローバ(貪)を生じさせるものでなければローバ(貪)は生じません。ドーサ(瞋)を生じさせるものでなければドーサ(瞋)は生じません。


●ダンマーランマナ(法所縁)について


 思考や想像から生じる対象がダンマーランマナ(法という対象、法所縁)です。一人で居る時に考え、感じるのがダンマーランマナ(法という対象、法所縁)です。ダンマーランマナと言うのは地域の中で夜明けや日暮れに大音響で歌を披露するダンマーランマナのことではありません。思考や想像により生じる心の状態をダンマーランマナ(法という対象、法所縁)と呼んでいます。


●アーランマナ(所縁)が無いと


 ルーパーランマナ(眼で見る形と言う所縁、対象)が無いと、見て知る心であるセックヴィンニャーナ(眼識)は生じません。タッダーランマナ(耳で聞く音という所縁、対象)が無いと聞いて知る心であるソータヴィンニャーナ(耳識)は生じません。ガンダーランマナ(鼻で嗅ぐ臭いという所縁、対象)が無いと嗅いで知る心であるガーナヴィンニャーナ(鼻識)は生じません。ラサーランマナ(舌で味わう味という所縁、対象)が無いと食べて知る心であるジヴァーヴィンニャーナ(舌識)は生じません。ポゥッタッバーランマナ(体で感じる接触という所縁、対象)が無いと触れて知る心であるカーヤヴィンニャーナ(身識)は生じません。ダンマーランマナ(心で感じ取る思考と言う所縁、対象)が無いと思考や想像により生じる、考えて知る心であるマノーヴィンニャーナ(心識)は生じません。


●就寝中でさえも


 心と言うものは全てアーランマナ(所縁、対象)を原因として生じます。アーランマナ(所縁、対象)が無ければ心は生じません。アーランマナ(所縁、対象)の援助が無ければ心は生じることができません。就寝中に生じる心をバヴァンガチッタ(有分心)と呼びます。このバヴァンガチッタ(有分心)も、それに関連する何らかのアーランマナ(所縁)を対象として生じ、存在します。
 本書は初学者のレベルなので知識としてこのくらい憶えておいてください。詳細を説明しても理解できずに目が回ってしまうのでこれ以上はお話しません。理解して欲しいのはアーランマナ(所縁、対象)とその支えが無いとチッタ(心)は生じないと言うことです。


●紐と杖の例え


 歳を取り、自力で立ち上がったり、移動したりすることができなくなったお爺さん、お婆さんは紐で引いてもらうことで、立ち上がり、前に進むことができます。杖につかまることで立ち上がり前に進むことができます。紐、杖が原因となり、お爺さん、お婆さんは立ち上がって前に進むことができます。
 チッタ(心)、チェータスィカ(心所)という名法は、歳を取り、自力で立ち上がったり、移動したりすることができなくなったお爺さん、お婆さんに似ています。ルーパーランマナ(目で見る形という所縁、対象)、サッダーランマナ(耳で聞く音という所縁、対象)、ガンダーランマナ(鼻で嗅ぐ臭いと言う所縁、対象)、ラサーランマナ(舌で味わう味と言う所縁、対象)、ポゥッタッバーランマナ(身体で感じ取る接触という所縁、対象)という物質に関わる五つのアーランマナ(対象)は紐に似ています。ダンマーランマナ(心で感じ取る思考と言う所縁、対象)は杖に似ています。


●紐と五つのアーランマナ(所縁、対象)


 紐は複数の糸をよりあわせて作られています。同様に、ルーパーランマナ(目で見る形という所縁、対象)などの物質に関連する五つのアーランマナ(所縁、対象)も複数の物質を集めて作られています。こうした理由でルーパーランマナ(目で見る形という所縁、対象)を始めとした物質に関連する五つのアーランマナ(所縁、対象)を紐に例えています。


●杖とダンマ―ランマナ(心で感じ取る思考と言う所縁、対象)


 杖は木片と竹から出来ています。同様に、チッタ(心)もチッタ(心)が一つ滅すると次のチッタ(心)が生じます。一つ滅すると次が生じます。このため、ダンマーランマナ(心で感じ取る思考と言う所縁、対象)と言う、心に関連する対象を杖に例えています。


●原因として働きかける様子


 力が弱り、自分自身で立ったり、移動したりすることができない老人は紐、杖の助けを借りることで、それが原因となり、行ったり来たりすることができます。力が弱った老人に似ているチッタ(心)、チェータスィカ(心所)という名法は、ルーパーランマナ(目で見る形という所縁、対象)などの紐、そしてダンマーランマナ(心で感じ取る思考と言う所縁、対象)と言う杖に頼ることで生じます。チッタ(心)、チェータスィカ(心所)などの名法を生じさせるためには、ルーパーランマナ(目で見る形という所縁、対象)などの対象が支える必要があります。
 アーランマナパッチャヨー(所縁、対象が原因となる)と言うのはこのような性質、法を示しています。


●意味


 善きにつけ悪しきにつけ生き物に心が生じるのはこの六つの対象が原因です、とお釈迦様が説かれました。アーランマナパッチャヨー(所縁、対象が原因となる)と言うのはこのような性質、法を示しています。


●相違点


 凡夫(覚っていない普通の人)の多くは、ローバ(貪)を生じさせる対象に出会うとローバ(貪)が生じます。ドーサ(瞋)を生じさせる対象に出会うとドーサ(瞋)が生じます。モーハ(痴)を生じさせる対象に出会うとモーハ(痴)が生じます。
 一方、善なる凡夫と覚りを得た聖者はそのようにはなりません。なぜそうならないかについて説明します。


●ヨーニソマナスィカーラ(如理作意)


 遭遇した何等かのアーランマナ(所縁、対象)を心に取り込むことであるヨーニソマナスィカーラ(如理作意)とともに対象を見る人は、遭遇したアーランマナ(対象)がローバ(貪)を生じさせるアーランマナ(対象)であってもローバ(貪)は生じません。何故ならその人は感受を甘やかすことなく、パンニャー(智慧)により対象を適切に心に取り込んで観察するからです。


●アヨーニソマナスィカーラ(非如理作意)


 遭遇した何らかのアーランマナ(所縁、対象)を不適切に心に取り込むことであるアヨーニソマナスィカーラ(非如理作意)とともに対象を見る人は、遭遇したアーランマナ(所縁、対象)がローバ(貪)を生じさせるアーランマナ(所縁、対象)であればローバ(貪)が生じます。ドーサ(瞋)を生じさせるアーランマナ(所縁、対象)であればドーサ(瞋)が生じます。何故ならその人は感受を甘やかし、対象を不適切に心に取り込んで観察するからです。例をあげて説明します。


●心に取り込む例


 私が滞在している僧院に七歳の沙弥(見習い出家者)がやって来ました。その沙弥のことを他の沙弥たちがからかいました。するとその沙弥は早朝から午前、午後、深夜まで時を選ばず、怒りたくなったら僧院全体に響きわたる声で「ばかにされた、だから文句を言ってやる」と怒鳴りました。
 その怒鳴り声を聞きながら「この子は乱暴だ」とその沙弥を叩きたくなりました。
 そこに住職のセヤードーがいらして言いました。「子供たちは何が恥ずかしいことか、何が恐れるべきことか分かりません。このように怒鳴るのが相応しいのか相応しくないのかも知りません。」とおっしゃって沙弥に対して怒りの心が生じることはありませんでした。
 私はアヨーニソマナスィカーラ(非如理作意)で観察し怒りが生じました。一方セヤードーはヨーニソマナスィカーラ(如理作意)で観察し、怒りは生じませんでした。アーランマナ(所縁、対象)は沙弥の怒鳴り声、タッダーランマナ(耳で聞く音という対象)です。


●心を制御する必要があります。


 ですから私たちはローバ(貪)を生じさせるアーランマナ(所縁、対象)に遭遇し感受が生じてもヨーニソマナスィカーラ(如理作意)をしっかりと携えてローバ(貪)が生じないように過ごす必用があります。うまく制御することができなくてローバ(貪)が生じても罪を犯すレベルに達しないようにコントロールする必要があります。


●制御できれば


 このようにヨーニソマナスィカーラ(如理作意)を携えて慎みながら過ごすことができれば私たちの周囲の人々は穏やかで静かで落ちついた状況になります。社会も安定します。


●制御できなければ


 人々がアヨーニソマナスィカーラ(非如理作意)とともに過ごしローバ(貪)、ドーサ(瞋)、モーハ(痴)が強力になると、ローバ(貪)を生じさせるアーランマナ(所縁、対象)、ドーサ(瞋)を生じさせるアーランマナ(所縁、対象)、モーハ(貪)を生じさせるアーランマナ(所縁、対象)に遭遇してもローバ(貪)、ドーサ(瞋)、モーハ(痴)が生じないようにヨーニソマナスィカーラ(如理作意)とともにコントロールすることができなくなります。私たちの周囲の人々、社会は落ち着きがなく騒々しい苦しみの多いものになってしまいます。
 皆さんがアーランマナパッチャヨー(所縁、対象が原因となる)の性質、意味を理解し、ヨーニソマナスィカーラ(如理作意)を携え、ローバ(貪)、ドーサ(瞋)、モーハ(痴)が少なくなるように努力、実践することができますように。