●不善なヘートゥ(因)の反対
アローバ(不貪)、アドーサ(不瞋)、アモーハ(不痴)の三つが善なるヘートゥ(因)です。アローバ(不貪)はローバ(貪)の反対です。アドーサ(不瞋)がドーサ(瞋)の反対です。そしてアモーハ(不痴)がモーハ(痴)の反対です。
●欲しいと思わない時はその都度アローバ(不貪)になりますか?
欲しいと思わないことだけをアローバ(不貪)とは呼びません。アローバ(不貪)と言うのはローバ(貪)を追い払う力を持っています。人が眠りについている間は欲しいと言う心は生じません。寝ている間に欲しいという心が生じないことはアローバ(不貪)とはみなしません。ローバ(貪)を追い払いその結果として欲しいと言う心が無くなればそれはアローバ(不貪)とみなすことができます。
不正な方法で奪い取れば必ず手に入れることができます。けれども業と業の結果を考えて不正な方法で奪い取ることはしません。合法的に手に入れたものだけを手にします。不正な方法で自分の物を奪われることを嫌い、他人の物を不正な方法で奪い取ることもしません。合法的に手に入れるようにします。合法的に手に入れることができない場合でも不正な方法で奪い取ることはしません。アローバ(不貪)とはこうした性質を意味します。
他の人々のためになるように、尊く喜ばしい対象に布施をします。アローバ(不貪)とはこのような状態を示しています。
●ドーサ(瞋)が生じなければその度ごとにアドーサ(不瞋)が生じていると言うのは正しいですか、誤りですか?
ドーサ(瞋)が生じないことだけをアドーサ(不瞋)とは呼びません。アドーサ(不瞋)と言うのはドーサ(瞋)を追い払うことができる力、能力が含まれています。寝ている時、普通に過ごしている時にはドーサ(瞋)は生じません。そのようなドーサ(瞋)の無い状態をアドーサ(不瞋)とは言いません。苦しめたり、憎んだりする状態になっても苦しませない、憎まないことをアドーサ(不瞋)と言います。誰かが被害を受けたり、苦しんだりすることを喜ばず、望みもしません。相手が健やかで豊かであることを望みます。
アドーサ(不瞋)と言うのはそのような状態を指します。元気で幸せでありますようにと口から唱えても心の中で憎んだり嫌ったりするとしたらそれはアドーサ(不瞋)でもメッター(慈)でもありません。そのように取り繕っているだけです。
●アモーハ(不痴)を生じさせるためには
自分自身の知識、智慧で正誤を区別吟味して知ることをアモーハ(不痴)と言います。
そのように知るためには善い知人が必要です。優れた書籍を読み、学ぶことが必要です。
そのようにすればやがて自分の智慧で正誤を吟味し理解することができるようになります。
善いことをすれば善い結果を、善くないことをすれば善くない結果を得るという、業と業の結果を知り、観察し、理解し、大切な物、気に入っている物を分け与え、施し、布施します。与え、施し、布施をする時、私が与え、施し、布施したことで彼らの身体が元気で幸せでありますように、彼らの心が元気で幸せでありますように、困難を乗り越えることができますようにと、メッター(慈)の心で布施します。
善いことをすれば善いことが起こり、善くないことをすれば善くないことが起きると知り、観察し、理解するのは八正道の正見(サンマーディッティ)です。八正道の正見はパンニャー(智慧)という心所(心と同時に生じて滅し、心と同じ対象を取り、心を修飾する法)です。アモーハ(不痴)というのは正誤を区別して知り、観察することです。正誤を区別して知り、観察するのは智慧(パンニャー)という心所です。善いことをすれば善いことが起こると知り、観察し、理解すれば、モーハ(痴)が消え去り、アモーハ(不痴)が生じています。アモーハ(不痴)という智慧のヘートゥ(根)が強力になっています。
●アローバ(不貪)が現れて、ローバ(貪)が消える
大切なもの、気に入っている物を手放し、布施するのがアローバ(不貪)です。ローバ(貪)という、対象に執着する心を追い払い、手放して、布施します。ローバ(貪)が消え去り、アローバ(不貪)が現れています。アローバ(不貪)と言う根が出てきています。
●アドーサ(不瞋)が現れて、ドーサ(瞋)が消える
他の人が不自由なく過ごせるようにと願う心、良心はメッター(慈)という心所です。
アドーサ(不瞋)もメッター(慈)という心所です。ドーサ(瞋)が消え、アドーサ(不瞋)が現れています。アドーサ(不瞋)と言う根が出てきています。
●原因と結果
アローバ(不貪)が根を出し、強力になると、他の人に対し不正なこと道徳に反することはしたくない、いかなる場合でも不正、不道徳に関わりたくないと言う心が生じます。
大切なもの、気に入っている物を、他の人のために手放し、施すことができます。アローバ(不貪)が原因です。他の人に対し不正なこと道徳に反することはせず、不正、不道徳に関わりたくないと言う心が生じ、他の人が不自由なく暮らせるように大切なもの、気に入っている物を手ばなし施すことができるのが結果です。
この結果が増大するように、しっかりと長続きするようにしている原因は何かと言うと、水を吸い上げる根のようなアローバ(不貪)です。「ヘートゥパッチャヨ―(因縁):結果に関連する対象に心がしっかりと留まるように、水を吸い上げる根のごとく作用する法」と言うのはこのような性質、法を示しています。アドーサ(不瞋)、アモーハ(不痴)、も同じように憶えて理解して下さい。
●罪とその結果
ローバ(貪)、ドーサ(瞋)、モーハ(痴)と言う毒の根が強力になると、関連する色法(身体)、名法(心)も強力になり、その後の生で四悪趣(地獄、動物、餓鬼、阿修羅)に落ちてしまう可能性があります。アローバ(不貪)、アドーサ(不瞋)、アモーハ(不痴)という根が強力になると、最低でも人間界、天界、その上であれば梵天界、最高で涅槃に触れることができます。
●注意すべき点
毒のある木から出る毒のあるその根をこそぎ落さなければ、毒のある木、毒のある枝、毒のある葉、毒のある花、毒のある蕾が生い茂ってたわわに実をつけるように、ローバ(貪)、ドーサ(瞋)、モーハ(痴)と言う、毒のある根をこそぎ落さなければ五蘊(色受想行識)色法(心)、名法(物質としての身体)という毒のある木の花が咲き、たわわに身をつけます。それが怖ければローバ(貪)、ドーサ(瞋)、モーハ(痴)という、毒のある根を掘り出してこそぎ落とし捨て去る必要があります。
皆さんが自分の中にあるローバ(貪)、ドーサ(瞋)、モーハ(痴)という毒のある根を掘り出してこそぎ落とし捨て去ることが出来ますように。
サンガの言葉