(承前)
このように自分の心のかんばしくない面やイヤな部分がわかってくると自己嫌悪に陥りそうなものですが、そうはなりませんでした。この瞑想による気づきは、自分の心のあり様が瞬間的に、しかし淡々と呈示され、しかもそれを受け入れられる態勢が自分の心のなかに整ってきたタイミングで気づかされることになるからなのか、大きな衝撃を受けたり落ち込んだりすることなく、意外なほど素直に受け入れられるのでした。そこがこの瞑想の面白さであり、素晴らしさだとも思いました。
こうした体験を積むうちに、私の心のなかには、上座部仏教の盛んな国でもっと瞑想をしてみたいという気持ちが芽生え、最初は憧れにも似た淡いものだったその思いは、徐々に決意として固まり始めていったようです。
父との和解?
上座部仏教の瞑想により自分の心が解き明かされることと並行して(その裏側で?)、父の人生や生き方への理解も深まるという、予想外の副産物もありました。
父子関係については、ご多分にもれず私も、父の生き方や考え方に反感をもつことがありました。しかも瞑想合宿を通じて自分の物事のとらえ方を確認してみると、私の自己評価のやり方には父の影響が実は大きく働いており、それも否定的な自己評価に向かわせがちな働きをしていることまで明らかになってきたのでした。
となれば、父への反感や怒りが相当強まりそうなものですけれど、これまたそうはなりませんでした。むしろ、小学3、4年の少年だった当時の父が、寺の住職に嫁いだ母親の連れ子として姉兄とともに寺に入り、馴染みのない環境で暮らしてゆくうち、(兄ではなく次男の)自分が住職を継ぐことになったものの、30歳を越えたばかりの頃には大恩を感じてきた養父の住職が早逝してしまい・・・といった前半生を送った父の気持ちや思考についての理解が、瞑想合宿で自分を見つめるうちに私のなかで深まっていたようです。
父のような境遇に置かれれば、「失敗はできない、負けられない」というこだわりにも似た気持ちを抱き、養父のあとを継いでからはなおさら、そうした気概を強くもって生きることになったのも無理はないと、私は素直に受け入れていました。そのような受け入れ方ができたのは、観察の瞑想と並行して、慈悲の瞑想も同等に行なっていたことも大きかったのだろうと思います。
平成15年秋の10日間瞑想合宿から帰ったあと、父と私は改めて話し合ったりはしませんでしたが、どういうわけか、父と私との関係はかつてないほど穏やかで良好なものになってゆきました。お互いに相手に対して妙に構えたような(ある種の遠慮があるような?)それまでの態度が薄まり、和やかさが増した感じとでも言えばいいでしょうか。父子の間で凝り固まっていたものが溶けていったような感覚がありました。ただ、その時期は結局、父の急逝のため、1年あまりで終わりを迎えてしまったのですが……。
ミャンマーとの縁
父は20代半ばだった昭和30年5月からの1年間、全日本仏教会の派遣留学僧の一人として、7、8名の同年代の日本人僧侶の仲間とともにビルマで過ごしました。
若き日の南方仏教の国での体験は、その後50年近くもの間、父の僧侶としての生き方に何らかの影響を与えていたようです。というのも、平成16年に急逝後、父の机の引き出しを開けてみると、日本の僧侶としての戒名が書かれた紙が1枚出てきましたが、その戒名の脇に「上座部佛教比丘 ウ・ソービタニャーナ」と、かの地で授かった僧名も記されていたのです。それを見たお弟子さんたちは、いずれミャンマーに遺骨の一部を埋葬できればと考え、火葬後、分骨を行ないました。
一方、私も上座部仏教の瞑想に出会ったのをきっかけに、日本にいるミャンマー人の方たちと交流するようになり、住職就任後は、在日ミャンマー人のために東京に滞在されているミャンマー人僧侶・オバサ・セヤドーの長期滞日ビザ申請の保証人も務めることになりました。
平成25年5月には、オバサ・セヤドーのために信者の方々が寄進なさって、ヤンゴンに建設された僧院の落慶式に私も招かれ、ミャンマーを訪問しました。その折、私は父の分骨を収めた骨壺を持参しました。そしてミャンマーの僧侶の方々のはからいにより、父がかつて現地で比丘としての戒を授けられた寺院の一隅に、父の分骨を収めていただくことができました。
そのミャンマー旅行では訪れる先々で、仏教がミャンマーの人々の生活にいかに浸透しているかを知る機会にも恵まれました。一般の方が日常的に瞑想をしている姿も目にし、人々の表情が総じておだやかである背景を垣間見た気がしました。
父が急逝していなかったならば、きっと私は寺の住職を継ぐこともなく、その一方でミャンマーなどの東南アジアの仏教国をしばしば訪れ、瞑想センターにも滞在するようになり、そのうちにあちらで出家し……ということにもっと早くなっていたかもしれません。上記の諸々の事情を私から聞いたある方は、父が急逝したことについて、「お父さんがあなたをひとまず引き止めたのかもしれませんね」とおっしゃっていました。
住職退任を決意、そして・・・
仏教寺院は仏の教えを人々に伝え広めるための拠点です。平成16年末、先代住職の父が後継者未定のまま急逝したとき、僧侶資格のない私でしたが、上座部仏教の瞑想などを通じて自分なりにお釈迦様の教えの偉大さと尊さに出会っていたため、つたないながらも自身の体験をもとに仏教の素晴らしさを、いろいろな方々に少しでもお伝えできればという思いが浮かびました。そして何より住職急逝による混乱や不安をなるべく早く静めるべきだという考えもあり、住職を継ぐ意思表明をしました。(続く)
私の瞑想体験(旧「Web会だより」 改め)