(1)外国で一度だけ出会った僧の言葉が、その後の人生の指針となったこともある。
20年以上瞑想会を続けてきたが、事実上、一期一会となる方が多い。
それゆえに、なんとかヴィパッサナー瞑想の本質を伝えたいと、その一瞬に集中してきた……。
(2)夜道を歩いていたら、角の暗がりから突然「福は内!」と大きな声がした。
そして、「鬼は外!」のタイミングでこちらに向かってパラパラと豆が飛んできた。
幸福は我が家だけに、災いの元凶は他所に……という訳か。
嫌いな人や敵対する人にすら「幸せであれ」と祈る瞑想との落差を感じた。
(3)自らを拠りどころとし法を拠りどころとするには、どうしたらよいのだろうか。
ブッダは言う。
「よく気をつけて身を随観し、受を随観し、心を随観し、諸々の事象を随観して、貪欲と憂いとを除け」
つまり、ダンマが自らに顕わになるとは、サティの瞑想をしている一瞬一瞬だということ。
(4)「自らを頼りとし、他人を頼りとするな。法(ダンマ)を拠りどころとし、他のものを拠りどころとするな」とブッダは言う。
本能の命じる声ではなく、なんの根拠もない自己肯定感でもなく、ダンマが顕わになった自分を信じる力が本当の「自信」だということ……。
(5)ギラギラしたエゴ感覚と煩悩に満ち満ちた自分を信じるのが「自信」なのだろうか。
それは愚か者の我執に過ぎない。
理法(ダンマ)に基づいて生きていく覚悟が定まった自分に揺るぎない信頼を定めていく。
「自信」とはそういうことである。
(6)持てる力を全てやるべきタスクに投入できたら、素晴らしい結果が花開くだろう。
自信がない人の心の中では、「やれるだろうか」「大丈夫だろうか」と不安との戦いや、内面の葛藤にムダなエネルギーが費されヘトヘトになっていく。
「信(サッダー)」のない人は、自滅していく……。