我が家は雑木林と野原に囲まれ、近くには小川が流れている。春先には庭にいっぱいフキノトウが顔を出してくれたので、それを摘んでは味噌汁に放したり、パスタにしたり、フキノトウ味噌にしたり楽しんだ。初夏ともなるとハチクやウルイ、マコモダケ等が地元の直売所で売られている。
 いつものように散策をしていると、頬かむりをして林の中で何やら採っている80代くらいの女性を見かけた。「何を採っているんですか?」と声をかけたところ、「ノビル採ってるの。美味しいよ。いっぱいあるよー」と教えてくれた。シュッと伸びた茎を引っこ抜くと小さい球が付いている。よく洗ってゴマ味噌炒めにするとお酒のアテにぴったりだとのこと。私は酒を飲まないけれど、ご飯のお供にも良いのではないかと気がそそられた。親切なお婆さんは、ビニール袋いっぱいに採っていたノビルを、半分くらい分けてくれた。その夜のノビルのゴマ味噌炒めが美味しかったこと!
 翌日、夫は我が家の庭や、裏の林でノビルをいっぱい採ってきた。「こんなにあるよ!」添付の写真の3倍ほどはあっただろうか。嬉しくなって、料理する前に知り合いに写真を送った。そうしたらすぐに「それ、タマスダレじゃないの?」と返信があった。調べてみると、そっくりだが、微妙に葉の形が違う。どうやら匂いも違うらしい。知らずに食べたら食中毒を起こすところだった。タマスダレのリコリンというアルカロイド成分が毒で、嘔吐や下痢、大量のよだれ、痙攣を起こすという。大量に食べると死に至ることもあるそうだ。危ないところだった。何しろ大量に採ってきていたので。
 また、別の日、山道を車で走っていたときのこと。この辺りは信号がほとんど無い。また山すそで傾斜があるので、坂道で交差しているし、きれいな十字路ではない。斜めに交差していたり、六差路だったりもする。見通しも悪い上に、皆さんかなり飛ばしている。車自体が少ないからだ。その六差路で、死角から突然車が現れ、すごいスピードで突っ込んできた。「あ、これはダメだ」と覚悟した。どう見ても側面に激突するタイミングで、「ぶつかる!」と身構えた。ところが次の瞬間、テレポートしたとしか思えないような位置に私はいたのだ。交差点に入ったばかりの位置から、次の瞬間には交差点を越えた位置に。件の車は何事も無かったようにクラクションも鳴らさずに走り去っていた。その後は心臓がバクバクしていたが、狐につままれたような気がしながら目的地まで走った。
 立て続けに起きたこの命拾いはどういうことなんだろう? 自分なりに考えてみた。まずタマスダレを食べずにすんだのは、情報系の善行の結果だろう。誰かに役に立つことを知らせたこと、例えば「この病院の○○というお医者さんは良かった」とか「その症状にはこの食材がいい」とか「そういう希望ならこんな方法がある」とか、そういう情報を誰かにあげた、ということなのではないか? その善行が「毒では?」という情報をもらえたことに繋がったとしか思えないのだ。
 では車がぶつからずに済んだのは、どういうことだろう? 激突されていたら無傷では済まなかったはずだから、ライフダーナ、命のお布施に関係するだろうか? 健康や命に関わる善行、何かしているだろうか? マイナスを積み重ねないことは常に気をつけている。虫は殺さない。生き物は傷つけない。だが保護犬を飼っているわけでもないし、病院にボランティアに行っている訳でもない。シジミを買って川に放したことも無い。辛うじて思い当たるのは、去年タイのお寺に修行に行ったときに、僧侶病院にお布施を届けに行ったことくらいだろうか……。
 車がぶつかっていたら修理費も嵩んだだろうし、治療費もかかっただろう。そうすると財施に関係するだろうか? 財施は思いついた時に、少しずつでもやるようにしている。難民キャンプに衣類を送ったり、災害地に募金したり。アフガニスタンで井戸を掘っていた方には継続して寄付を続けた。しかしその程度だ。
 私が命拾いした理由は、謎のままだけれど、いずれにせよ、わずかながら積み上げてきた波羅蜜はこれでスッカラカンだろう。貯金全額引き出しみたいなものだ。また明日からコツコツと善行を心がけて積み直さなければならない、と覚悟した。
 凡夫にとってこの道は楽なものではない。地橋先生によれば、「修行は総力戦」とのこと。修行も善行も頑張らなくては!



タマズダレ