待ちに待った春! 八ヶ岳南麓の春は一気にやってくる。八ヶ岳や南アルプス、富士山の雪が少し少なくなったか、と思うころから季節は劇的に変化していく。枯れ野原だったところに小さな草が芽吹き始めたかと思うと、翌日には青々としている。これは誇張ではない。地表から20センチほどは凍るという我が庭にもフキノトウがいっぱいに顔を出して、近くを散歩しているとツクシやコゴミが生えている。ここで「散歩」と書いて「歩く瞑想」と書かなかったのは「不妄語戒」を守らねばならないからだ。あまりの嬉しさにサティがすっ飛んでしまった! 「ツクシだ! 」「あそこにもフキノトウ! 」とやっていては到底淡々とウペッカーを貫く態度にはならない。しかし厳しい冬の寒さを越えた春の喜びは、今までの都会暮らしでは一度も味わったことのないものだ。
 冬に入ったころ、深い森だと思っていた奥にぽつりぽつりと家があることに気がついた。隠していた木々が葉を落とし、枯れ枝の隙間から灯りが漏れて見えるようになったのだ。今度は逆に日ごと緑で覆われ、森の中に家々が消えてゆく。冬枯れの死んだようだった木々の梢の先が少し薄茶色に変わって、小さな小さな葉芽が現れ、そこからはぐいぐいとまるで音を立てて伸びていくかのように緑の森に変貌していく。
 緑だけでも感動的なのに、一斉に花が咲いていく。梅、桃、桜、辛夷、連翹、雪柳、山吹…ひと月ほどの間に山を、野原を埋めていく。また自生している多種多様な水仙も、庭先に道端に、野原にお構いなしに咲き誇る。この生命力のなんと力強いことか。
 地球の生命システムは、捕食-被食の関係になっている。食べる側、食べられる側、どちらに感情移入するかによって、空腹のチーターとその子供たちを哀れに感じるか、逃げ遅れたガゼルを可哀想に感じるかに分かれる。実際はどちらも哀れな存在である。つまりこのシステムこそが「苦」であると思う。地球に生きねばならないことを「煉獄」のようだと思うこともある。「一切皆苦」そのものだ。だが、それでもこの春の美しさ、喜びはどうだろう。生命の讃歌のようだ。
ブッダは最後の旅の途中で、ヴェーサーリー近郊でブッダは「ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい……」(訳は多種多様であるが)と語られたと大パリニッバーナ経にある。実は最初に中村元先生訳の「ブッダ最後の旅」を読んだ時から、この文言に引っかかってきた。「全ては苦である」「どんな美しいものも変容してしまう」と繰り返し教えておられるブッダが、ご自身の命の終焉を前に何故このようなことを言われたのか?
変移してしまうからこそ、美しいと思われたのか? いや、そうではないように思う。真剣に生きている命を愛おしむ「慈悲」から生じるものだろうか? ここに引っかかった私は、中村先生以外の訳にも当たってみた。「この世は美しい」「この世は楽しい」「この世は麗しい」などの訳があった。それぞれに微妙に意味が違うではないか。「美しい」と「楽しい」では全く違うし、「麗しい」も少し違う。だが、どれを取っても肯定的な意味であることは間違いなさそうだ。「苦であるこの世を生きる命を愛おしむ」としたら、それは大乗仏教に通じるようにさえ感じる。
しかし、パーリ語やサンスクリット語は皆目分からない以上、訳語に頼るしかないし、それでさえ、2500年も前に生きた人が呟いた言葉だ。おそらく聞いていたのは、常に傍にいたアーナンダひとりであって、アーナンダの記憶による記録だろう。日本についての最初の記述が「卑弥呼が魏に使いを送った」という中国側の記録で、それが紀元後3世紀以降であることを思うと、ブッダの言葉ひとつに拘ることの心もとなさを感じざるを得ない。そんなことよりも、ブッダが残された修行の方法に従って粛々と歩むことの方が、ずっと大事なのかもしれない。たとえ本当にブッダが「美しい」と言われたとしても、その美しさに執着なさったはずがないからだ。
そう思いながらも、この美しい春の有様を喜び、愛おしみ、心浮き立つことをどうすることもできない。せめて「美しいと思った」「心が弾んでいる」とサティを入れることにしよう。