★今回は、瞑想者がいちどはトライしてみたいと思う断食について、伺います。去年の暮れから今年の1月の下旬まで、地橋先生はまたタイの森林僧院でリトリートを行われました。その際に、先生のほうから副住職のD先生に断食のインストラクションを行ったということを聞いて、このタイミングを逃すまいと思い、お聞きしました。


榎本 三回に渡って、仏寺でのリトリートについてお話を伺いましたが、年末年始にかけて先生はまたタイに行かれたそうですね。

地橋 ええ、12月19日にタイの僧院に入山し、年が明けて1月21日に下山しました。

榎本 瞑想は充実したものになりましたか。

地橋 とても良かったですね。

榎本 今回、X寺副住職のD先生に地橋先生が断食のインストラクションを行ったと小耳に挟んだのですが。

地橋 はい、修行を開始する前に断食をするのが常なので、私と一緒にD先生もなされました。


在家指導者


榎本 在家が出家僧にインストラクションをするというのは希有けうな例ではないでしょうか。

地橋 いや、そうでもないですね。私の先生だったアチャン・ソンポールという尼さんは瞑想の達人だったので、70人の比丘びくが住する寺の瞑想指導者をされていてお坊さんからも尊敬されていました。その先生のアチャン・ナエップという在家女性は一来果いちらいかだったという噂でしたが、出家も在家も指導を仰いでいたようです。大勢の比丘にアビダンマの説法をしている尼さんも見かけました。

榎本 ほお、それはタイだけのことなんですか。

地橋 私が修行したスリランカの森林僧院でも、瞑想のインストラクターは在家者でした。ミャンマーの高名なS.N.ゴエンカも、その先生のウ・バキンも在家者でしたね。出家であれ在家であれ、経験値の高いスペシャリストが後進の指導をする開かれた柔軟さがあるようです。

榎本 在家が僧の指導をするのは意外な感じですが、昔からそんな伝統があったのですか?

地橋 不還果ふげんかだったチッタ居士は「法を説くことに最も秀でた者」としてブッダが賞賛しています(「チッタ相応経」)。当時から解脱した在家はそうでない僧よりも優れていると見做されましたが、僧を指導する在家という立場が制度化されたことはなく例外的だったと思います。

榎本 在家指導者の存在は最近になってのことなんですね。

地橋 そうですね。20世紀になってからです。ミャンマーで仏教が存亡の危機に立たされたとき、レディ・サヤドーという名僧が在家による瞑想実践と指導の道を開いたのです。「ブッダの法灯が消えるのを防ぐために、在家者も瞑想を修行し、仏法を守る責任を担うべきである」と説き、瞑想を僧院から解放して何千人もの在家者に普及させる立役者になったのです。

榎本 なぜ、ミャンマーの仏教が危うくなったんでしょうか。

地橋 1885年のビルマ王朝滅亡により僧院への国家的支援が失われ、イギリスの植民地支配によるキリスト教が普及し始めたことがレディ・サヤドーの危機感と英断に繋がったのだと思われます。

榎本 お坊さんたちは在家指導者に抵抗を感じなかったのでしょうか。

地橋 レディ・サヤドーは精舎しょうじゃのすべての比丘を召集し、「すべての者よ、よく聞け。この在家者は私の偉大なる弟子サヤ・テッジーである。彼は瞑想を教える能力がある」と宣言し、「今日より、お前は6000人の者にダンマを伝えなければならない」と農夫出身だったサヤ・テッジーに杖を渡したそうです。

榎本 ドラマみたいですね。

地橋 在家も黙っていませんでした。王が不在になったからには我々が仏教を守る、とビルマの在家仏教徒たちが前例のない規模で組織化を始め、在家主導で僧侶の試験を実施して堕落僧や無学僧に圧力をかけ、僧院への布施を集め、仏法研究会を開催し、学識ある僧を認定・顕彰し、キリスト教宣教師の批判に対抗したんです。

榎本 卒啄同時そったくどうじみたいな話ですね。改革する側もされる側も同時に変化してきたタイミングで起きるべきことが起きてくる…。

地橋 そうです。レディ・サヤドーに始まる瞑想復興運動が歴史的転換になった背景には、このような在家仏教徒の成熟があったわけです。仏教は出家だけのものではなく、在家のものでもあることを示唆していますね。

  レディ・サヤドー  
レディ・サヤドー写真

病気治しの断食


榎本 なるほど。…話を断食に戻しますが、先生は常日頃から、食事と瞑想の質はリンクするとおっしゃっていて、心をクリーンにする手法として断食に言及されていますが、原始仏教の教えには断食についての詳細は残っていないのですか。

地橋 ないと思います。ブッダは6年間の苦行を経てこのような行為は無駄であるという考えに達したと言われています。どこの僧院でも断食=苦行と見做され、否定的に捉えられていますね。私は在家なので、制止されても意に介さず断食しながら修行してきました。

榎本 なるほど。では、あらためてお伺いしますが。断食というのは瞑想にはよいものなのですか。

地橋 瞑想には体力勝負の一面があります。体の状態が変われば心も変化するので、まあ有効ということになりますが難しい、と言うか、面倒というか厄介ですね。そもそも断食中は瞑想できないことが多いです。

榎本 え、そうなんですか。

地橋 人によりますが、断食が進行し低血糖状態になればヘロヘロになり大抵は瞑想できませんね。それも断食中のデトックス(解毒)の個人差が大きいので予想がつきません。断食で2日ムダになっても、その後に挽回すればよいだろうと考えてやることになります。

榎本 今回D先生が断食をされた目的は何だったのでしょうか。やはり、瞑想を高めるためですか?

地橋 いや、D先生の場合は健康のためです。胃炎なのか潰瘍なのか、長い間、胃痛に苦しんでおられたんです。制酸剤を服用していましたが、対症療法で治るはずもないので、断食なら根本治療になりえると、私が勧めました。念のためAIで調べたら、70過ぎの老比丘に本断食などトンデモナイと全面否定でしたね。それをD先生にお伝えしたうえで決心していただいたのです。

榎本 地橋先生には自信がおありだったのですか。

地橋 ええ、断食の威力は熟知していますから。私は医学番組をよく観るので、絶食が一定時間を越えると胃壁の微細な傷が修復されやすくなるのを知っていました。胃粘膜の防御機構が絶食時に再編成されるのです。消化管全体で構造変化を引き起こし、粘膜の厚さや細胞構成が変わるのですね。これが根本治療に通じるだろう、と。また、AIはネットから情報を集めてくるので、ネットには、断食の知識のない医者の情報が氾濫している。否定されるのは当然ではないかとも申し上げました。

榎本 それで、D先生はどうなりました。

地橋 大成功と言ってよいのではないでしょうか。胃の痛みがゼロにまではなりませんでしたが、10分の1にまで激減し、想定通りでした。断食中に真っ黒いタール状の便がたくさん出て、便器にへばり付いてなかなか取れなかったとも仰っていました。医学的には「宿便」は存在しないことになっていますが、腸粘膜の剥がれたものや腸内細菌の死骸、胆汁の濃縮物などが混ざった腸の垢のようなものと考えられています。一抹の不安もありましたが、結果的にその他の体調不良要因もセットで改善され、断食療法の面目が保てました。


対機断食


榎本 それはよかったですね。少し話が逸れますが、グリーンヒルが10日間の合宿を行っていたころは、断食のコースもあったとか。

地橋 いや、そんなものはありません。ここは瞑想道場であって、断食道場ではないと言明していましたから。それでも、修行時代は48時間の短期断食を1年に50回もやるほどのマニアでしたから、ダンマトークでつい話してしまう。すると瞑想がなかなか進まない参加者がなんとかしたいと断食を希望するので、やむなくインストラクションしていたのです。

榎本 ざっくり言うと、大体どういうスケジュールになりますか。

地橋 修行時代に断食の先生から伝授され、自他の経験データを積み重ねながら開発した私流の断食は48時間が目安です。いきなり断食を開始するのではなく、2日ぐらい前から階段を下りるように減食し、断食後はその倍以上の時間、およそ1週間かけて復食します。多くの人が生半可な知識で勝手に断食を試みるものの、さしたる効果が得られないのは緩やかに戻していく復食がデタラメだからなんです。しかも断食は個人差がメチャクチャ大きいので、定型のコースをマニュアル化しづらいのです。合宿中は私が参加者をつぶさに観察して、対機説法たいきせっぽうのように、これをこれだけ食べなさいとマンツーマン指導するのが常でした。

榎本 今回のD先生に対しても同じことをされたのでしょうか?

地橋 はい。断食中にはこういう症状が現れるかもしれないということも話しておき、異常があればいつでもメール指導する体制を取りました。復食が始まってからは、食堂の食事供養の際に私がD先生の召し上がってよい分量をタッパーに取り込み、それを改めて供養するやり方をしました。

榎本 もし復食がいい加減だと、どうなりますかね。

地橋 2、3日の断食だったら荒っぽい解き方をしても死ぬことはありませんが、長期断食になれば、いきなり肉団子のスープを飲んで死んだロシア人がいたと言われています。

榎本 (絶句して)死んだんですか。

地橋 断食直後に普通食をとって死亡することを「リフィーディング症候群」と言うのですが、電解質が細胞内へ急激に移動すると血中濃度が急低下し、心不全を筆頭に肝機能障害や多臓器不全で死んだ事例が多数報告されています。

榎本 いや、驚きというか、諸刃の剣ですね…。