巻頭ダンマトーク『ヴィパッサナー瞑想大全』の連載が途絶えているのは何故かを説明いたします。理由は<序章 マインドフルネスからヴィパッサナーへ>を全面的に改稿したことにあります。
オリジナル原稿は約10年前に書かれたものでしたが、執筆当時のマインドフルネス瞑想情況は激変し、そのままでは到底使えない内容になっていました。やむなく最近の知見を踏まえて新たに書き下ろしたものを6月号と7月号に掲載しました。すると、その後のヴィパッサナー瞑想の本題への接続が不自然で、さらなる修正を余儀なくされることになり、いろいろ調べものをしているうちに深みにはまり、勉強が面白くて執筆を二の次にしていたという訳であります。
誠に申し訳ないのですが、今は情報発信よりも自分の修行と学びを優先しているシーズンなので悪しからずご了承くださいませ。12月には再びタイの僧院でリトリートに入ります。来年1月下旬に帰国してから改めて執筆に取り組みたいと思います。(地橋記)

連載が途絶えたのは⋯

『躁鬱病と瞑想』匿名希望
第一章 躁鬱病と瞑想
チャンチャンチャチャチャチャチャ♪(ラジオ体操)
精神病棟の入院患者は毎朝、廊下に出てきてラジオ体操をする。大人になってラジオ体操をするとはな…。その大衆性と自分のエリート意識が、大きな葛藤を生む。
「そもそもラジオ体操なんて、何十年とアップデートされていないわけで、本当にこの動きが時間対効果で最大であると言えるのだろうか。根拠のないものは、自分が取組む価値はない。それ以前に、俺は一体なぜこんなところにいるんだろうか」 私は一体なぜ…こんなところにいるのだろうか。
30歳まではほとんど負けなしの人生だった。誰もが知る一流大学に入学後、誰もが知る一流企業に入社。30代、これからというときだった。下された病名は、躁鬱病。最近は名前をマイルドにするために、双極症という。よく、鬱病と混同されるが、全く別の病気であり、鬱病は<治る>のに対して、躁鬱病は<治らない>。一生気分の上下を繰り返し、症状のコントロールに苦戦する。二大精神病の一つだ。主治医からは、「これからは人生の価値観を変更しないといけません。自分がやりたいと思うこと、できると思うことを、やらない。そういう選択をする必要があります」とのこと。要は2番目に重い精神病なんだろ。人生、急にハードモードじゃないか。やりたいことをやれない人生に何の価値があるんだろうか。絶望…。
そんなとき瞑想に出会った。入院していた精神病棟では、毎日20時に、マインドフルネスのレクチャーCDを流していた。希望者のみが集まって各々瞑想をする。やることがないので暇つぶし。そんな気持ちで瞑想に取り組んだ。効果はすぐに実感できた。頭がスッキリして、考えすぎることがなくなる(→雑念が減る)。そのときに直観的にこれは自分に必要なものだと感じた。頭でっかちな性格もときには役立つもので、Amazonで即検索し、20冊ほどマインドフルネスの本を読み漁った。その中でも論文集が参考になり、非常に科学的なものであることが分かった。
躁鬱病の病名を診断されてから、躁鬱病についても例によって誰よりも詳しく調べた。日本で発売されている躁鬱病の本すべてに目を通したといっても過言ではないと思う。どの文献も、マインドフルネスの躁鬱病への効果としては、概ね支持的ではあるようだった。ただ具体的なメカニズムについて踏み込んでいるものは少なかった。頭の中のことなので、具体的に立ち入るのが難しいのだと思う。調べた中で、躁状態の人の特徴として、「思考奔逸(観念奔逸)」という状態があるという。観念が次々と湧き起こり、その時々の偶然の連想(思いつきやその場の出来事など)によって思路が左右され、思路が最初の目標から外れていき、思考全体のまとまりがなくなる思考障害。このような脳のオーバーヒート状態が躁鬱の波を作ってしまうとのことだ。
私の解釈だが、この状態は仏教でいうところの雑念が異常に駆け巡っている状態であり、そうなのであれば瞑想によって抑えることができるのではないか。
<雑念が病的に発生することで躁鬱病になる。瞑想は雑念を抑える>
退院後、自分一人で取り組むことに限界を感じて、地橋先生の講座を訪ねた。
第二章 自我と仏教
2週間に一度、講座を開いている朝日カルチャーCtr.講座に通うことにした。上記のような理由であったから、瞑想以外の内容にはほとんど興味がなかった。相変わらずプライドが大きすぎる人間だったので、自分はお客様だぞと言わんばかりに、地橋先生の講義内容に食ってかかっていた。「私は科学を専門にしてきました。非科学的なことを言われても、理解ができません」
しかし、それに対する受け答えの様子、そして普段の講義の立ち居振舞いが<達観している>様子であり、少しずつどうしてそのように振る舞えるのかについて、気になりはじめていた。
ある回で、先生が無我について話をされた。「今こうやって話しているのを、私が話してるんだぞーと自我(エゴ)を持って話すと、同じ言葉を使って話をしても伝わらない。そうではなく、自分がたまたま天命によって、この場に導かれて、ただその役割を果たしている、そういう風に話す。そうすると伝わり方が全然変わってくる」
帰り道、その言葉を反芻しながら帰った。これまでの人生でも、立場が偉く、責任も大きいのに、肩の力を抜いてプレゼンしている人たちにたくさん出会ってきた。そういう人たちは「自己肯定感が高い人なんだな」と思ってきた。しかし、この話をきいて、ひょっとするとそういう人たちは、自我(エゴ)が小さいのではないかという仮説を持った。そう考えると、これまでの自分は、「俺は絶対にできる、俺は天才だ、俺は負けず嫌い、絶対に負けたくない。俺が、俺が、俺が..」と、心の中で、わざわざ自我(エゴ)を大きくしていた。
翌日職場で、試しに「俺はできる、俺はできる」と唱える変わりに、「無我、無我、自分なんか存在しない」と唱えることにした。すっと肩の力が抜けた。会話をするときに自然に笑顔が出た。失敗したとき素直に謝れた。コミュニケーションがものすごく円滑になり、仕事がとても上手くいくようになった。これまでその自我、プライド、自意識の高さは、自分にとって必要なものだと思ってきた。そして、コミュニケーションが苦手なのは、自分が発達障害傾向があるからだ、と諦めていた。まさかこんなところに自分の苦手克服法が転がっているとは…。本当に驚いた。
無我。自我を無くすということが、自分の幸せにつながり、さらには結果を出すことにもつながっている…。思わぬ拾い物であった。
第三章 サティ
なぜ瞑想を習いたいと思ったとき、たくさんある瞑想講座の中から、グリーンヒルを選んだのか。瞑想の本を読むと、サマタ瞑想(止瞑想)とヴィパッサナー瞑想(観瞑想)があることは多くの本で書かれている。しかしヴィパッサナー瞑想の方法については、どの本も曖昧だった。「考えが浮かんでは消えることを観察します」など、結局どうするのかが分かりにくく、誤魔化されているのではないかと感じるものが多かった。その中で唯一、ラベリングによるサティを説いていたのが、先生の本だった。
はじめは、言葉を使うことで集中が妨げられてしまうのではないかと半信半疑な面もあった。しかし、少しずつ瞑想の時間が伸びてくるとともに、日常生活でサティを入れることで、心を鎮められる感覚が出てきているのを感じる。これはサマタ瞑想では得られない体験なのではないだろうか。この先は、きっとこんな世界が待っているのではないか。
・仕事でプレッシャーを感じたら、「プレッシャー」というサティを入れることで、プレッシャーから解放される。
(→これまでは上手くいかなかったらどうしようかという雑念が駆け巡り苦しめられていた)
・嫌いな人には「嫌悪」というサティを入れることで、嫌悪感から解放される。
(→これまでは、どうしてあの人はあんな風なのだろう、という雑念が駆け巡り苦しめられていた)
もちろんまだそのような境地には至っていない。しかし学ぶほど瞑想が躁鬱病に効果があるということが確信に変わってきている。
第四章 グリーンヒルの瞑想を続けて
躁鬱病の症状は抑えることができている。考えが次々と起こり不安を感じるときは、1分でも必ず瞑想を行う。雑念が治まり、不安感を払拭することができるからだ。また常日頃、仕事中も含めて、1時間に一度くらい、短い2、3分の瞑想を行うことにしている。いったん頭をリセットできる感覚が、その後の仕事能率を高めると感じる。躁鬱病は、2024年の紅白で脚光を浴びた。歌手こっちのけんとが、自らの病気をカミングアウトして、紅白出場後に仕事をセーブすることを公表したからだ。私も自身の体験談を公表することで、同じ病気の方の励みになればと思っている。
次に、自我について。仕事仲間から、別人のようだ。演技してるように見える、と言われるほど、人間性を変えることができた。その結果、現在、プロジェクトマネージャー職で、いろんな人に挟まれながら、リーダーシップを発揮するという、以前の自分では務まらなかったようなこともできるようになった。
瞑想は、仏教は、私を助けてくれる。

那須秘境の簾の瀧@雄飛|那須秘境の清流@スッカン沢|(U.K.撮影)

那須秘境の簾の瀧@雄飛


タイの森林僧院でのリトリートについてお聞きしました③ — 托鉢と熱帯の寺の虫たち —
さて、三回にわけてお届けした長期リトリートについての対談も今回が最終回です。先生のこれまでの修行も振り返っていただき、僧院で比丘として生活することの厳しさと崇高さが垣間見えた回となりました。
榎本 Nさんから聞きましたが、病比丘ファンドというのを作られたそうですね。これはどういったものなのでしょうか?
地橋 カレン族という貧しい少数民族が支えているX寺では、比丘が病気になったときの医療費が大変らしいのです。それで病を得た比丘のためのファンドを作り、毎年補充していくというものです。
榎本 お坊さんもわりと病気はされるのでしょうか?
地橋 殺生戒系の不善業があれば、一般人も比丘も変わらないと思います。昔、スリランカの森林僧院で、待望の比丘にやっとなれた若いお坊さんが本当に嬉しそうに修行していたのですが、ある日を境に急に元気がなくなり、瞑想堂の壁に寄りかかってうなだれている姿を見かけるようになりました。重い病気だったらしく、ほどなく寺を去り、命を落とされたそうです。比丘になったばかりなのに、あんなに幸せそうに出家生活を送っていたのに…と感慨を覚えました。
榎本 粛然とする話ですね。
地橋 D先生も痔の手術で入院されたことがあります。X寺で瞑想ナンバーワンの日本人比丘の方は栄養が偏り、踵のヒビ割れが見るも無惨でしたね。油分を補うアボガドオイルをお布施したりしましたが、別院に移住し、普通の栄養状態になるとすぐ治ったそうです。

寺の食事は?
榎本 ということは、X寺の食事の栄養状態がよくなかったということですか?
地橋 良くないですね。X寺は異常なほどのベジタリアンの寺で、私の体にもまったく合いません。肉卵魚はもちろん、豆もあまり出てこない。無茶苦茶ですよ。陰陽のバランスが崩れて、私は毎回のように手足に水疱が発症し、修行の妨げになりました。
榎本 貧しい少数民族が故に、野菜ぐらいしかお布施できないのでそのような事態を招いたのでしょうか。
地橋 それもあるし、そもそもX寺創始者の比丘が「菜食に徹すべし」とのインスピレーションを受けたらしいです。私は在家なので、寺男のラーさんに大豆を毎回出すように提言したり、牛乳ファンドというものを作りました。お坊さんたちの健康状態を考慮し、タイで最良の牛乳を毎日供養し、それでヨーグルトも作り、毎年その資金をお布施するというシステムです。
榎本 寺での食事の流れを教えていただけますか?
地橋 早朝に比丘の方々がカレン族の集落で托鉢をします。そこで得た食事を寺男の奥さんが再調理して、寺の食堂で比丘に供養します。上座に比丘が並び、食事を載せた台車が回ってくるのを下座に座って待ち、最後に自分用の5段重ねピントー(弁当箱)に取り分け、礼拝して食堂を去り、自分のクーティでサティを入れながら食べます。
このあたりを、前にリトリートに入ったNさんに、もう少し訊きました。「毎日、お粥、玄米、白米のおにぎり、タイの赤米が出ることもあります。時々、茹でたそうめんも出ました。お料理は全て野菜でした。主食の他に、こってりした味付けやピリ辛のスープ、野菜炒め、煮物、ゆでた野菜、果物(バナナ、ジャックフルーツ、龍眼、グァバ、マンゴー、パパイヤ、林檎、蜜柑.etc)、バナナの葉にくるまれた甘い餅米を蒸したものなど」とのこと。
榎本 こうした托鉢に始まる食事の流れは、どこのお寺でも同じなのでしょうか?
地橋 いや、タイ各地のお寺によってさまざまですね。国によっても違います。午後は固形物を摂らない戒律は共通に厳守されますが、一日1食の寺もあれば2食の寺もあります。スリランカでは、在家者が寺に食事供養にやってくる形式の寺もありました。

托鉢について
榎本 托鉢の光景を素描していただけたら幸いです。
地橋 昔、何年間も私の無料お抱え通訳をしてくれたタイ人に、托鉢の光景をしっかり見ておくようにと勧められたことがありました。朝まだきの街角に出ると、裸足の比丘が一列になって静々と暁闇の彼方から近づいてきて、待ち構えていた在家者が各自用意したビニール袋の米飯やおかず、スープ、果物、デザートなどを僧の鉢の中に入れていくのです。今でこそビニール袋で取り分けられますが、昔は何もかも一緒くたで、まるで豚の餌のようにグチャグチャになり、食べられる代物ではないと短期出家したタイ人が言ってました。
榎本 食事は楽しむものではなく、飽くまでも修行を完成すべく、体に栄養物を摂取するものという発想なのでしょうね。
地橋 そうですね。嗜好品のコーヒーぐらいはお気に入りのカップで悠然と飲みたいのが人情ですが、スリランカの森林僧院で目撃した比丘の喫茶に衝撃を覚えたことがあります。厨房に湯を汲みに行くと、一人の比丘が托鉢の鉢の蓋をひっくり返し、柄のないフライパンのような中にインスタントコーヒーを投入し、湯を入れてかき混ぜ、ヤンキー座りしたまま飲んでいました。思わず立ち尽くして見入ってしまいました。これが比丘の日常か。この世の楽しみなどは完全に放下している姿として映り、深く印象に焼き付きましたね。
榎本 原始仏教の修行は本当に厳しいですね。
地橋 そのスリランカの山寺では、在家修行者も托鉢に行く比丘の列の最後尾に付いて山頂を下り、麓の食堂の前で在家者から食事供養を受けるシステムでした。末尾とはいえ、貧しい村人から在家の分際で食事を受ける重みに身が引き締まりました。こうして毎日食の供養を受けながら、修行が進まなかったら地獄へだって堕ちるだろうと思いましたよ。
榎本 X寺で支給してもらえるのは一日一食ですか。
地橋 そうです。しかし私は水疱の対策として野菜と果物を全廃したので、ほとんど食べるものがありません。玄米と梅干しとヨーグルト、緑茶、持参した赤ちゃん粉ミルクなどで半断食の日々でした。
榎本 しかし、そこまでの粗食だと、先生は通常でも痩せておられるのに……。
地橋 毎回、体重が5kgぐらい痩せて帰国します。
先生は栄養について詳しく、よい瞑想をするには栄養のバランスが肝心だと説いておられるのですが、これについては改めてこのコーナーで機会を設けるつもりです。さて、前述のNさんにこのあたりをもうすこし突っ込んで訊きました。「私は寺女として、台所にあるホットサンドメーカーで毎朝チーズトーストを作っていました。また、一年目の時は、牛乳でカスピ海ヨーグルトを一日おきにつくって日本人比丘や在家者に出していました」とのこと。


熱帯の寺の虫たち
榎本 ところで、タイの雨季とはどんな感じなのですか?さすがに熱帯だし、暑くて瞑想できないというようなことはないのでしょうか。
地橋 いや、日本の猛暑のほうが凄まじいですね。バンコクなどの都市部では、突然バケツをひっくり返したような豪雨が降りしきり、パタリとやんで晴れ渡る感じですが、森林僧院の雨季の雨は美しい、優しい驟雨が葉群を渡っていくのを断続的に繰り返すような感じが多いですね。激しく降ることもありますが、涼しくて、優美な風情があります。
榎本 そうですか。でも、森林僧院という響きはなかなかロマンチックなんですが、タイの田舎の山寺だと、蚊やほかの虫なんかも大量に出そうじゃないですか。
地橋 それは出ますよ。虫さえ出なければ、X寺の雨季は素晴らしいですね。
榎本 例えば、どんな虫が出るのですか?
地橋 蚊も蟻もサソリも蛍もゲジゲジも団子虫も、その他得体のしれない虫やら何やら、いろいろですね。
榎本 サソリも?!
地橋 今回は2回出ました。
榎本 いやあ、サソリは怖いなあ。…本当に刺される人もいるのですか?
地橋 D先生も小さなサソリに刺されたことがあり、とても痛いと言ってました。ミャンマーのドイツ人比丘は就寝中にサソリに襲われ、ヤンゴンの病院に搬送されましたね。
榎本 寝てる最中にですか?!
地橋 熱帯の寺では、蛇や害虫の侵入を阻止するために高床式のクーティ(独居房)が多いのですが、私もスリランカの山寺で就寝中に蛭に襲われ、目覚めると白いロンジー(腰巻き)が血痕だらけになっていたことがありました。
榎本 うわあ!!
地橋 ダンマトークの最中に吸血された人を目撃したこともあります。爪楊枝ぐらいの蛭が満タンになるまで血を吸うと巨大なイモムシのように肥え太って逃げていくのです。
榎本 美しい緑の森を俄雨が渡っていくようなロマンチックなイメージを持っていましたが、光もあれば闇もあり、ですね。
地橋 先ほど話したスリランカの山寺では電気も水道もないので、川で水浴するしかないんです。水かさが増すと流されないように必死です。雨上がりの翌日は特に蛭が多く、山頂から麓に向かう托鉢の道中が危険で、待ち構えていた蛭に襲われ血だらけの足でたどり着く比丘もいましたね。
榎本 先生もやられましたか?
地橋 私は瞑想で対応しました。
榎本 と言うと?
地橋 30分ぐらいの道のりなんですが、山道を下りながら全神経を体表面に集中させ、刺された瞬間に気づくんです。柔らかい足指の股など絶妙のポイントを襲ってきた瞬間、ピシッと手で払い除けるんです。ほぼ百発百中でしたね。野生動物になった感覚でしたよ。
榎本 凄い。都会で暮らしていると、残酷な生態系の命のいとなみが見えなくなり、殺生戒の厳しさも実感が遠のきますね。
虫についても、IさんとNさんに訊きました。小さな虫は夜のうちにゲッコー(ヤモリ)に食べられて、朝にはいなくなっていたとのこと(Iさん)。Nさんもサソリを目撃していて、「透明カップで捕獲してジャングルに帰してあげました」とものすごいことを言っている

ミャンマーの森林僧院
地橋 ミャンマーの森林僧院の広大さと奥深さは圧倒的でした。例えば、船で沖合に出ると、四方八方が水平線だけになりますね。その海原がすべて見渡すかぎり緑の森林になったとイメージしてください。全方向の地平線の彼方まで森、森、森の広大な森林が拡がっている寺で何度も修行に入りました。
榎本 それが見えるということは、相当高い建物なんですね。
地橋 ええ。高床式の高楼で、3Fぐらいの高さに見晴らしも風通しもよい禅堂があり、そこで皆で修行するんです。夕方になり、禅堂を降り、その辺に潜んでいる大きなサソリに気をつけながら自分のクーティに戻ります。ドアの入口に門灯があり、夜になると誘蛾灯のように大量の虫が飛来します。そこで蛙が一晩中虫を食べ続けるんです。
榎本 蛙さんの食事とはいえ、大量殺戮ですね。
地橋 門灯が蛙のレストランになっていたのですが、ある日、昼食の鐘が鳴ったのでクーティの階段を降り、地上に立った瞬間、眼の前に大きな蛇が蛙を呑み込んでいる最中でした。3分の2ほど呑み込んで、後足をバタつかせているときに、コブラのように鎌首をもたげた蛇と私が睨み合った状態です。私が迂回して先を急ごうとすると、こちらを睨んでいた蛇が突然、獲物を吐き出し、藪の中に逃げていきました。
榎本 殺すものは殺される。食うか、食われるかの生態系そのものですね。
地橋 その蛇だったか否か不明ですが、翌日の昼下がり、足長のヘビクイ鳥に追われて全速力で逃げ回る蛇を目撃しましたね。
榎本 いやあ、それにしても、先生はいろんなお寺で修行してこられたんですね。
背水の陣
地橋 私はこの世を完全に捨てて、世の中がバブル時代だったのもまったく知らずに、ただ水をかぶって、経典を読み、瞑想するだけの行者の生活に徹していましたからね。出家すれば生活の保証と尊敬が得られますが、巷に埋もれたニート同然の行者など、誰からも洟もひっかけられないゴミのようなものでした。
榎本 それだけに背水の陣の覚悟が深まったのではないですか。
地橋 修行が進まなかったら、生きている意味がゼロになる。存在価値が無になる、と毎日思っていました。
イギリスで長年教師をしてミャンマーで比丘になった人と親しくなり、スリランカの寺で再会したことがあります。「解脱を目指して出家したのに、比丘の生活は居心地がよく、決死の覚悟が日々薄らいでいくんだよ。テレビで観た千日回峰行の僧は毎朝、自刃覚悟で出立していたのを思い出す…」と自嘲気味に語っていましたね。
榎本 僕らが教わっている瞑想の背後にそのような壮絶な修行があったと思い巡らすと感慨深く、またありがたく思います。
地橋 今回の対談で、ゆくりなくも修行時代が甦りました。思えば、遍歴行者のような日々でした。蛇足ですが、ミャンマーの森林僧院では、脱皮した蛇の脱け殻をよく見かけるんです。『スッタ・ニパータ』の有名なリフレインが実感とともに迫りましたね。
「世間における一切のものは虚妄である、と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。—蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである…」

2025年12月号
(1)
★子豚を連想させる若い女性が、鉄板焼のハンバーグを仲よく食べながら、幸せそうにコロコロ笑い合っていた。
①美味しく食べられる。
②よく眠れる。
③人と心が通じ合う。
虐待で傷ついた人達にとっては、これが幸福の定義だという。
3つとも備えていながら「不満足性」という名のドゥッカに苦しむ普通の人達……。
失ってみて、初めて掛けがえのなさに気づくものばかりだ。
……………………
(2)
★自分の存在を否定され、誰からも認めてもらえなかったら、生きていけるだろうか。
人は、仕事をして褒められ、人の役に立ち、人に必要とされるから幸せを感じることができる。
……との理念から、知的障害者を全従業員の7割も雇用している会社がある。
幸福の原点は、基本的自尊感情と自己有用感……。
……………………
(3)
★町のパン屋のおじさんは「ご飯を食べて、働いて、安心して眠れ、普通に暮らしていける。それが幸せじゃないの」
「自由に物が言え、健康で、笑顔で、皆が仲が良いこと」を付け加える人。
何も求めなければ、ガツガツしないし、失望しないし、人と比べなくなるし、心が静かになるよ、と言う人……。
……………………
(4)
★人が求めてやまないものには、段階がある。
①水が飲め、物が食べられ、息が吸え、眠れる。
②安心安全が持続する。
③帰属する祖国、仲間、家族、居場所がある。
④承認される。重んじられる。敬われる。
⑤夢を叶え、理想を実現し、才能と可能性を最大に花開かせる。
⑥因果に縛られて変滅する繰り返しから解脱する……。
……………………
(5)
★快を貪り求め、多く所有するほど幸福度が上がると考える足し算の幸福原理は、何がなんでも生存し増殖しようとする生命の本質かもしれない。
だが、地球の資源にも人類の異常増殖にも上限がある。
仏教が提示してきた、欲望とエゴの引き算がもたらす静けさと優しさの価値を学ぶ時が来ている……。

冬の訪れ
霜月11月ともなると、朝は真っ白に霜が降りていて、車に乗ろうとしても、フロントガラスをしばらく温めないと、運転席からの視界は閉ざされたままだ。サクサクと霜柱を踏んで歩くと靴底から冷えが上がってくる。こんな感覚は東京ではついぞ感じなかった。昨日は小雨と思ったら霰だった。この程度はまだ序の口だろう。1月2月を考えると身が引き締まる。私は暑さよりは寒さの方が好きだが、それにしても程度というものがある。30代の頃、ドイツのフランクフルトに3年ほど住んだ。樺太と同じ緯度で冬は朝8時でも暗く、午後3時には日が沈んで、おまけにいつもどんよりとした曇り空だった。見上げると灰色の空から雪がちらつく。町の中心に大きな温度表示板があって零下2℃とあると「今日は温かいね」と言い合った。八ヶ岳南麓の冬の始まりは、ちょうどそんなことを思い出す。どうやら真冬は零下10℃から15℃くらいらしい。
そこで暖房なのだが、意見は色々分かれて、ある人は薪の暖炉で家中温かいと言い、またある人はペレットの暖房は強力だと言い、FFの灯油暖房が良いという人、いやいや床暖房で快適という人、様々だ。吹き抜けの2階まで達する大きな窓のある木造の我が家では、灯油のFF暖房を使っているのだが、これが寒い。一晩中つけっぱなしても、夜中はかなり冷える。これで2月になったらどうしようと思うくらいだ。しかし皆さん「だんだん慣れるから大丈夫よ」とおっしゃる。そんなものなのだろうか。
森のほとりに住んでいると、秋が一日一日深まっていくのが鮮やかに分かる。昨日までと葉の色が違う。風の音も違う。バリバリバラバラと凶暴な音をさせて枯れ葉が落ちてくる。夏の旺盛な生命力はどこへやら、葉を落として、実を落として、枯れ枝のみの姿に変わっていく。よけいなものを削ぎ落としていくように見える。枯れ葉と共に、ドングリや栗もたくさん落ちている。それを目当てに獣も食べ歩きに忙しい。幸い熊には遭遇していないが、目撃情報はあるので気をつけている。
移住して半年、まだ夏と秋を過ごしただけで、冬と春はこれからだ。でもこの晩秋、冬の始まりがしみじみと胸に迫ってくるのは、私の年齢との相関もあるように思う。インドには「四住期」という考え方があって、人生を4つの期間に分け、それぞれに最も望ましい生き方を提示している。「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という。簡単に説明すると「学生期」は自分を確立するために教育を受け、心身を鍛え育つ時期で、人生百年時代となった現代では、0歳から25歳くらいだろうか。続く「家住期」は仕事をし家族を持ち、社会人として生きる時期で、25歳から50歳くらいなるだろう。「林住期」は子育てを終え、仕事も引退し、世俗の義務から解放されてひとり林に住む時期とされる。自分と静かに向き合い、瞑想し、思索を深める。最後の「遊行期」は何事にも囚われることなく自由に過ごす。死への準備期間でもある。75歳から100歳と思えば良いだろう。そうなると今の私はちょうど「林住期」真っ只中と言える。
中国にも似たような考え方があり、こちらは「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」と名づけている。の考え方によるもので方角や季節、時間、体、感覚、感情、全てを関連づけている。こちらによれば私は今「白秋」を生きていて、そう遠くない時期に「玄冬」に向かう。
八ヶ岳の秋は「白秋」ではなく、「黄金の秋」だが、冬枯れの景色はもうそこまで来ている。ちょうど「林住期」に当たる年齢で、林のほとりに居を構えることができて、今までの人生の様々なものを手放して生活している。それはちょうど目の前に繰り広げられる壮大な秋から冬への移り変わりと共鳴しているように感じられる。いつか全てが閉ざされる冬がやってくる。当たり前のように死は訪れる。ではその先の春は?
自分の遺伝子(ジーン:生物学的遺伝子でもミーム:文化的遺伝子でも)を継ぐ次の世代をして春とするのか? または「死」の先にまた魂の同様の旅路が始まるという意味で春とするのか? 仏教的には次の輪廻転生の始まりとするのかもしれない。
木々は葉を落とし種を散らばせて、死んだように寒風に耐えて春を待つ。森を騒がせている獣たちももうじき眠るだろう。冬の訪れを予感しながら、俯瞰するように山の秋、人生の秋を過ごしている。



グリーンヒル道場タイ金仏


【初学者でもよくわかる二十四縁起】第2回 モートゥ(マンダレー在住)著
●二十四縁起の教えが説かれた場所
お釈迦様は7回目の安居の際に、過去生でお釈迦様の母親になったことが有る神への感謝の印とし、その神が率いる神々梵天たちに三十三天で説かれたのが二十四縁起です。安居の三カ月まるまる使って説法されました。安居明けが近づき二十四縁起の説法が終わると、一万宇宙から説法を聞きにやって来た千八万の神々梵天たちが比丘になりました。そして数えきれないほどの神々梵天たちが預流、一来、不還の覚りを得ました。
●現代に伝わっている二十四縁起の由来
お釈迦様は三十三天で説かれた二十四縁起の教えを、お釈迦様の右腕と称されたサーリプッタ尊者に改めて説かれました。改めてと言っても仔細に説かれたわけではなく、「私はヘートゥパッチャヤ―(因縁)のここからここまで説きました」と概要を示す形で説かれたのです。サーリプッタ尊者は智慧第一でお釈迦様の右腕と称された方であり、概要を聞いただけでもご自身の智慧で考察し、全てを知り、理解されました。サーリプッタ尊者は二十四縁起の教えを傍に居た500人の弟子に説かれました。現存する二十四縁起の法はこのようにサーリプッタ尊者が傍にいた500人の比丘弟子たちに説かれたものです。
●三つの説法のスタイル
お釈迦様が三十三天で説かれた二十四縁起の教えは「極めて広大なスタイルの二十四縁起の教え(アティウェィッターラナ)」と呼ばれています。サーリプッタ尊者にお釈迦様が改めて説かれた二十四縁起の教えは「大変狭小なスタイルの教え(アティティンキータパナヤ)」と呼ばれています。サーリプッタ尊者が近くにいた500人の弟子比丘に説かれた二十四縁起の教えは広大でも狭小でもなく、中ぐらいなので「広大でも狭小でも無いスタイルの教え(ナーティウェィッターラナーティティンキータパナヤ)」、と呼ばれています。現代人にとっては、サーリプッタ尊者が説かれたスタイル(ナーティウェィッターラナーティティンキータパナヤ)でさえも内容がとても多く、印刷出版する際に内容を収取選択する必用があります。
二十四縁起の教えは、
- (1)繊細・崇高で深くて広大な教えとなっていること、
- (2)威力が強力かつ広大で、神々梵天たちからの尊敬を受ける教えとなっていること、
- (3)お釈迦様の教えが永く続くようにするための最前線となっていること、
このようにレベルが高い三つの側面を持っています。
繊細で崇高であることについて、「初学者でも分かる二十四縁起」を読み進める中で、どの程度繊細で崇高なのか、なぜ繊細で崇高なのかを知り、理解していただけるだろうと思います。天界では神々に向けて特別に説かれた教えとなっています。知識、智慧が広い神々梵天たちに特別に説かれた教えでもあり、神々梵天たちもこの教えを尊敬し、敬いました。
●お釈迦様の教えがこの世から消えてなくなる時の様子
お釈迦様の教えはいずれ消えて無くなってしまうと言われています。パリヤッティ(学習)の教え、パティパッティ(実践)の教え、パティヴェーダ(体験)の教えという三つのお釈迦様の教義の中でパリヤッティ(学習)の教えがまず先に消えてなくなります。パリヤッティ(学習)の教えの中にはスッタピタカ(経蔵)、ヴィナヤピタカ(律蔵)、アビダンマピタカ(論蔵)という三つのピタカ(三蔵)がありますが、アビダンマピタカ(論蔵)が最初に消えて無くなります。パリヤッティの教えの中にはトゥッタンピタカ(経蔵)、ウィナヤピタカ(律蔵)、アビダンマピタカ(論蔵)という三つのピタカ(三蔵)がありますが、アビダンマピタカ(論蔵)が最初に消えてなくなります。アビダンマピタカ(論蔵)にはダンマサンガニィ(法集論)、ヴィバンガ(分別論)、ダートゥカター(界説論)、プッガラパンニャッティ(人施設論)、カターワットゥ(論事)、ヤマカ(双論)、パッターナ(発趣論)という七つの部分がありますが、パッターナ(発趣論:二十四縁起)が最初に消えてなくなります。
法を伝えることで二十四縁起が消えてなくならないように守ることができるのでしょうか
なぜ二十四縁起の法が最初に消えて無くなるのかと言うと、他の教えに比べて極めて深淵で、理解するのが難しいからです。そのため二十四縁起の教えが消えて無くなるのを恐れ、その説法が行われています。けれども二十四縁起の説法を行ってもそれだけでは二十四縁起の法が消えてなくならないように守ることはできません。心ある人達が二十四縁起の法の深い意味を知り理解するように学習することでのみ二十四縁起の法が消えてなくならないように守ることができます。
●二十四縁起を唱えると願いが叶いますか
二十四縁起を唱えると願いが叶い、災厄から逃れることができると考えて、二十四縁起のパーリ偈文を唱える人たちがいます。こうした見解はお釈迦様の説法を記録した文献にはありませんが、正しいと言うことができます。何故かと言うと、二十四縁起を唱えると、力が強い神々梵天たちがそばにやって来てそれを聞くため、妖怪、魔物、力が弱い下々の神々が、力が強い神々梵天たちの威力により遠くに押しやられてしまいます。聞きたい言葉を好ましい調子で語ると聞き手は親しみを感じ、その話し手を褒め称えて守ります。
同様に、二十四縁起を唱える人に対しても、力が強い神々、梵天たちがその人を褒め称えて守ります。
●二十四縁起の意味
二十四縁起(パッターナ)とは多種多様な原因と結果の法という意味です。色(物質)、名(心)がどのように生じ、存在しているのか、色(物質)、名(心)のそれぞれが
如何にして相互に関連し、機能し、存在するのか、どのようにして一つ一つの法がお互いに作用しあうのか、どのような形で原因となるのかを広範かつ詳細に説き示したのが二十四縁起、パッターナです。
二十四縁起というのは色法(物質)、名法(心)が生じては滅する様子、それぞれが関連して機能する様子を広範囲かつ詳細に説明した教えです。二十四縁起は生命を構成する色法(物質)と名法(心)を詳細に説いた教えです。
また二十四縁起は十二縁起(パティッチャサムッパーダ)の教えをより広範かつ仔細に説いた教えです。







