さて、三回にわけてお届けした長期リトリートについての対談も今回が最終回です。先生のこれまでの修行も振り返っていただき、僧院で比丘として生活することの厳しさと崇高さが垣間見えた回となりました。


榎本 Nさんから聞きましたが、病比丘やまいびくファンドというのを作られたそうですね。これはどういったものなのでしょうか?

地橋 カレン族という貧しい少数民族が支えているX寺では、比丘が病気になったときの医療費が大変らしいのです。それで病を得た比丘のためのファンドを作り、毎年補充していくというものです。

榎本 お坊さんもわりと病気はされるのでしょうか?

地橋 殺生戒系の不善業があれば、一般人も比丘も変わらないと思います。昔、スリランカの森林僧院で、待望の比丘にやっとなれた若いお坊さんが本当に嬉しそうに修行していたのですが、ある日を境に急に元気がなくなり、瞑想堂の壁に寄りかかってうなだれている姿を見かけるようになりました。重い病気だったらしく、ほどなく寺を去り、命を落とされたそうです。比丘になったばかりなのに、あんなに幸せそうに出家生活を送っていたのに…と感慨を覚えました。

榎本 粛然とする話ですね。

地橋 D先生も痔の手術で入院されたことがあります。X寺で瞑想ナンバーワンの日本人比丘の方は栄養が偏り、踵のヒビ割れが見るも無惨でしたね。油分を補うアボガドオイルをお布施したりしましたが、別院に移住し、普通の栄養状態になるとすぐ治ったそうです。


カレン族の家

 寺の食事は?


榎本 ということは、X寺の食事の栄養状態がよくなかったということですか?

地橋 良くないですね。X寺は異常なほどのベジタリアンの寺で、私の体にもまったく合いません。肉卵魚はもちろん、豆もあまり出てこない。無茶苦茶ですよ。陰陽のバランスが崩れて、私は毎回のように手足に水疱が発症し、修行の妨げになりました。

榎本 貧しい少数民族が故に、野菜ぐらいしかお布施できないのでそのような事態を招いたのでしょうか。

地橋 それもあるし、そもそもX寺創始者の比丘が「菜食に徹すべし」とのインスピレーションを受けたらしいです。私は在家なので、寺男のラーさんに大豆を毎回出すように提言したり、牛乳ファンドというものを作りました。お坊さんたちの健康状態を考慮し、タイで最良の牛乳を毎日供養し、それでヨーグルトも作り、毎年その資金をお布施するというシステムです。

榎本 寺での食事の流れを教えていただけますか?

地橋 早朝に比丘の方々がカレン族の集落で托鉢をします。そこで得た食事を寺男の奥さんが再調理して、寺の食堂じきどうで比丘に供養します。上座に比丘が並び、食事を載せた台車が回ってくるのを下座に座って待ち、最後に自分用の5段重ねピントー(弁当箱)に取り分け、礼拝して食堂を去り、自分のクーティでサティを入れながら食べます。


 このあたりを、前にリトリートに入ったNさんに、もう少し訊きました。「毎日、お粥、玄米、白米のおにぎり、タイの赤米が出ることもあります。時々、茹でたそうめんも出ました。お料理は全て野菜でした。主食の他に、こってりした味付けやピリ辛のスープ、野菜炒め、煮物、ゆでた野菜、果物(バナナ、ジャックフルーツ、龍眼、グァバ、マンゴー、パパイヤ、林檎、蜜柑.etc)、バナナの葉にくるまれた甘い餅米を蒸したものなど」とのこと。


榎本 こうした托鉢に始まる食事の流れは、どこのお寺でも同じなのでしょうか?

地橋 いや、タイ各地のお寺によってさまざまですね。国によっても違います。午後は固形物を摂らない戒律は共通に厳守されますが、一日1食の寺もあれば2食の寺もあります。スリランカでは、在家者が寺に食事供養にやってくる形式の寺もありました。


比丘食事供養

 托鉢について


榎本 托鉢の光景を素描していただけたら幸いです。

地橋 昔、何年間も私の無料お抱え通訳をしてくれたタイ人に、托鉢の光景をしっかり見ておくようにと勧められたことがありました。朝まだきの街角に出ると、裸足の比丘が一列になって静々と暁闇ぎょうあんの彼方から近づいてきて、待ち構えていた在家者が各自用意したビニール袋の米飯やおかず、スープ、果物、デザートなどを僧の鉢の中に入れていくのです。今でこそビニール袋で取り分けられますが、昔は何もかも一緒くたで、まるで豚の餌のようにグチャグチャになり、食べられる代物ではないと短期出家したタイ人が言ってました。

榎本 食事は楽しむものではなく、飽くまでも修行を完成すべく、体に栄養物を摂取するものという発想なのでしょうね。

地橋 そうですね。嗜好品のコーヒーぐらいはお気に入りのカップで悠然と飲みたいのが人情ですが、スリランカの森林僧院で目撃した比丘の喫茶に衝撃を覚えたことがあります。厨房に湯を汲みに行くと、一人の比丘が托鉢の鉢の蓋をひっくり返し、柄のないフライパンのような中にインスタントコーヒーを投入し、湯を入れてかき混ぜ、ヤンキー座りしたまま飲んでいました。思わず立ち尽くして見入ってしまいました。これが比丘の日常か。この世の楽しみなどは完全に放下ほうげしている姿として映り、深く印象に焼き付きましたね。

榎本 原始仏教の修行は本当に厳しいですね。

地橋 そのスリランカの山寺では、在家修行者も托鉢に行く比丘の列の最後尾に付いて山頂を下り、麓の食堂じきどうの前で在家者から食事供養を受けるシステムでした。末尾とはいえ、貧しい村人から在家の分際で食事を受ける重みに身が引き締まりました。こうして毎日食の供養を受けながら、修行が進まなかったら地獄へだって堕ちるだろうと思いましたよ。

榎本 X寺で支給してもらえるのは一日一食ですか。

地橋 そうです。しかし私は水疱の対策として野菜と果物を全廃したので、ほとんど食べるものがありません。玄米と梅干しとヨーグルト、緑茶、持参した赤ちゃん粉ミルクなどで半断食の日々でした。

榎本 しかし、そこまでの粗食だと、先生は通常でも痩せておられるのに……。

地橋 毎回、体重が5kgぐらい痩せて帰国します。


先生は栄養について詳しく、よい瞑想をするには栄養のバランスが肝心だと説いておられるのですが、これについては改めてこのコーナーで機会を設けるつもりです。さて、前述のNさんにこのあたりをもうすこし突っ込んで訊きました。「私は寺女として、台所にあるホットサンドメーカーで毎朝チーズトーストを作っていました。また、一年目の時は、牛乳でカスピ海ヨーグルトを一日おきにつくって日本人比丘や在家者に出していました」とのこと


ピントーの写真1
ピントー(段重ね弁当箱)
ピントーの写真2
ピントー

 熱帯の寺の虫たち


榎本 ところで、タイの雨季とはどんな感じなのですか?さすがに熱帯だし、暑くて瞑想できないというようなことはないのでしょうか。

地橋 いや、日本の猛暑のほうが凄まじいですね。バンコクなどの都市部では、突然バケツをひっくり返したような豪雨が降りしきり、パタリとやんで晴れ渡る感じですが、森林僧院の雨季の雨は美しい、優しい驟雨が葉群を渡っていくのを断続的に繰り返すような感じが多いですね。激しく降ることもありますが、涼しくて、優美な風情があります。

榎本 そうですか。でも、森林僧院という響きはなかなかロマンチックなんですが、タイの田舎の山寺だと、蚊やほかの虫なんかも大量に出そうじゃないですか。

地橋 それは出ますよ。虫さえ出なければ、X寺の雨季は素晴らしいですね。

榎本 例えば、どんな虫が出るのですか?

地橋 蚊も蟻もサソリも蛍もゲジゲジも団子虫も、その他得体のしれない虫やら何やら、いろいろですね。

榎本 サソリも?!

地橋 今回は2回出ました。

榎本 いやあ、サソリは怖いなあ。…本当に刺される人もいるのですか?

地橋 D先生も小さなサソリに刺されたことがあり、とても痛いと言ってました。ミャンマーのドイツ人比丘は就寝中にサソリに襲われ、ヤンゴンの病院に搬送されましたね。

榎本 寝てる最中にですか?!

地橋 熱帯の寺では、蛇や害虫の侵入を阻止するために高床式のクーティ(独居房)が多いのですが、私もスリランカの山寺で就寝中にひるに襲われ、目覚めると白いロンジー(腰巻き)が血痕だらけになっていたことがありました。

榎本 うわあ!! 

地橋 ダンマトークの最中に吸血された人を目撃したこともあります。爪楊枝ぐらいの蛭が満タンになるまで血を吸うと巨大なイモムシのように肥え太って逃げていくのです。

榎本 美しい緑の森を俄雨が渡っていくようなロマンチックなイメージを持っていましたが、光もあれば闇もあり、ですね。

地橋 先ほど話したスリランカの山寺では電気も水道もないので、川で水浴するしかないんです。水かさが増すと流されないように必死です。雨上がりの翌日は特に蛭が多く、山頂から麓に向かう托鉢の道中が危険で、待ち構えていた蛭に襲われ血だらけの足でたどり着く比丘もいましたね。

榎本 先生もやられましたか?

地橋 私は瞑想で対応しました。

榎本 と言うと?

地橋 30分ぐらいの道のりなんですが、山道を下りながら全神経を体表面に集中させ、刺された瞬間に気づくんです。柔らかい足指の股など絶妙のポイントを襲ってきた瞬間、ピシッと手で払い除けるんです。ほぼ百発百中でしたね。野生動物になった感覚でしたよ。

榎本 凄い。都会で暮らしていると、残酷な生態系の命のいとなみが見えなくなり、殺生戒の厳しさも実感が遠のきますね。


虫についても、IさんとNさんに訊きました。小さな虫は夜のうちにゲッコー(ヤモリ)に食べられて、朝にはいなくなっていたとのこと(Iさん)。Nさんもサソリを目撃していて、「透明カップで捕獲してジャングルに帰してあげました」とものすごいことを言っている


サソリ

 ミャンマーの森林僧院


地橋 ミャンマーの森林僧院の広大さと奥深さは圧倒的でした。例えば、船で沖合に出ると、四方八方が水平線だけになりますね。その海原がすべて見渡すかぎり緑の森林になったとイメージしてください。全方向の地平線の彼方まで森、森、森の広大な森林が拡がっている寺で何度も修行に入りました。

榎本 それが見えるということは、相当高い建物なんですね。

地橋 ええ。高床式の高楼で、3Fぐらいの高さに見晴らしも風通しもよい禅堂があり、そこで皆で修行するんです。夕方になり、禅堂を降り、その辺に潜んでいる大きなサソリに気をつけながら自分のクーティに戻ります。ドアの入口に門灯があり、夜になると誘蛾灯のように大量の虫が飛来します。そこで蛙が一晩中虫を食べ続けるんです。

榎本 蛙さんの食事とはいえ、大量殺戮ですね。

地橋 門灯が蛙のレストランになっていたのですが、ある日、昼食の鐘が鳴ったのでクーティの階段を降り、地上に立った瞬間、眼の前に大きな蛇が蛙を呑み込んでいる最中でした。3分の2ほど呑み込んで、後足をバタつかせているときに、コブラのように鎌首をもたげた蛇と私が睨み合った状態です。私が迂回して先を急ごうとすると、こちらを睨んでいた蛇が突然、獲物を吐き出し、藪の中に逃げていきました。

榎本 殺すものは殺される。食うか、食われるかの生態系そのものですね。

地橋 その蛇だったか否か不明ですが、翌日の昼下がり、足長のヘビクイ鳥に追われて全速力で逃げ回る蛇を目撃しましたね。

榎本 いやあ、それにしても、先生はいろんなお寺で修行してこられたんですね。


 背水の陣


地橋 私はこの世を完全に捨てて、世の中がバブル時代だったのもまったく知らずに、ただ水をかぶって、経典を読み、瞑想するだけの行者の生活に徹していましたからね。出家すれば生活の保証と尊敬が得られますが、巷に埋もれたニート同然の行者など、誰からもはなもひっかけられないゴミのようなものでした。

榎本 それだけに背水の陣の覚悟が深まったのではないですか。

地橋 修行が進まなかったら、生きている意味がゼロになる。存在価値が無になる、と毎日思っていました。
 イギリスで長年教師をしてミャンマーで比丘になった人と親しくなり、スリランカの寺で再会したことがあります。「解脱を目指して出家したのに、比丘の生活は居心地がよく、決死の覚悟が日々薄らいでいくんだよ。テレビで観た千日回峰行の僧は毎朝、自刃覚悟で出立していたのを思い出す…」と自嘲気味に語っていましたね。

榎本 僕らが教わっている瞑想の背後にそのような壮絶な修行があったと思い巡らすと感慨深く、またありがたく思います。

地橋 今回の対談で、ゆくりなくも修行時代が甦りました。思えば、遍歴行者のような日々でした。蛇足ですが、ミャンマーの森林僧院では、脱皮した蛇の脱け殻をよく見かけるんです。『スッタ・ニパータ』の有名なリフレインが実感とともに迫りましたね。
「世間における一切のものは虚妄である、と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。—蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである…」