霜月11月ともなると、朝は真っ白に霜が降りていて、車に乗ろうとしても、フロントガラスをしばらく温めないと、運転席からの視界は閉ざされたままだ。サクサクと霜柱を踏んで歩くと靴底から冷えが上がってくる。こんな感覚は東京ではついぞ感じなかった。昨日は小雨と思ったら霰だった。この程度はまだ序の口だろう。1月2月を考えると身が引き締まる。私は暑さよりは寒さの方が好きだが、それにしても程度というものがある。30代の頃、ドイツのフランクフルトに3年ほど住んだ。樺太と同じ緯度で冬は朝8時でも暗く、午後3時には日が沈んで、おまけにいつもどんよりとした曇り空だった。見上げると灰色の空から雪がちらつく。町の中心に大きな温度表示板があって零下2℃とあると「今日は温かいね」と言い合った。八ヶ岳南麓の冬の始まりは、ちょうどそんなことを思い出す。どうやら真冬は零下10℃から15℃くらいらしい。
そこで暖房なのだが、意見は色々分かれて、ある人は薪の暖炉で家中温かいと言い、またある人はペレットの暖房は強力だと言い、FFの灯油暖房が良いという人、いやいや床暖房で快適という人、様々だ。吹き抜けの2階まで達する大きな窓のある木造の我が家では、灯油のFF暖房を使っているのだが、これが寒い。一晩中つけっぱなしても、夜中はかなり冷える。これで2月になったらどうしようと思うくらいだ。しかし皆さん「だんだん慣れるから大丈夫よ」とおっしゃる。そんなものなのだろうか。
森のほとりに住んでいると、秋が一日一日深まっていくのが鮮やかに分かる。昨日までと葉の色が違う。風の音も違う。バリバリバラバラと凶暴な音をさせて枯れ葉が落ちてくる。夏の旺盛な生命力はどこへやら、葉を落として、実を落として、枯れ枝のみの姿に変わっていく。よけいなものを削ぎ落としていくように見える。枯れ葉と共に、ドングリや栗もたくさん落ちている。それを目当てに獣も食べ歩きに忙しい。幸い熊には遭遇していないが、目撃情報はあるので気をつけている。
移住して半年、まだ夏と秋を過ごしただけで、冬と春はこれからだ。でもこの晩秋、冬の始まりがしみじみと胸に迫ってくるのは、私の年齢との相関もあるように思う。インドには「四住期」という考え方があって、人生を4つの期間に分け、それぞれに最も望ましい生き方を提示している。「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という。簡単に説明すると「学生期」は自分を確立するために教育を受け、心身を鍛え育つ時期で、人生百年時代となった現代では、0歳から25歳くらいだろうか。続く「家住期」は仕事をし家族を持ち、社会人として生きる時期で、25歳から50歳くらいなるだろう。「林住期」は子育てを終え、仕事も引退し、世俗の義務から解放されてひとり林に住む時期とされる。自分と静かに向き合い、瞑想し、思索を深める。最後の「遊行期」は何事にも囚われることなく自由に過ごす。死への準備期間でもある。75歳から100歳と思えば良いだろう。そうなると今の私はちょうど「林住期」真っ只中と言える。
中国にも似たような考え方があり、こちらは「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」と名づけている。の考え方によるもので方角や季節、時間、体、感覚、感情、全てを関連づけている。こちらによれば私は今「白秋」を生きていて、そう遠くない時期に「玄冬」に向かう。
八ヶ岳の秋は「白秋」ではなく、「黄金の秋」だが、冬枯れの景色はもうそこまで来ている。ちょうど「林住期」に当たる年齢で、林のほとりに居を構えることができて、今までの人生の様々なものを手放して生活している。それはちょうど目の前に繰り広げられる壮大な秋から冬への移り変わりと共鳴しているように感じられる。いつか全てが閉ざされる冬がやってくる。当たり前のように死は訪れる。ではその先の春は?
自分の遺伝子(ジーン:生物学的遺伝子でもミーム:文化的遺伝子でも)を継ぐ次の世代をして春とするのか? または「死」の先にまた魂の同様の旅路が始まるという意味で春とするのか? 仏教的には次の輪廻転生の始まりとするのかもしれない。
木々は葉を落とし種を散らばせて、死んだように寒風に耐えて春を待つ。森を騒がせている獣たちももうじき眠るだろう。冬の訪れを予感しながら、俯瞰するように山の秋、人生の秋を過ごしている。

