生きていたら会おうね!
それともう一つ、家にいても瞑想する時間が取れないのだから、瞑想とは無関係の世間で自分がどれだけ心濁さずいられるかという実験・学びのために週数回の短時間バイトをすることにしました。これに関しては娘も応援してくれて(私が家にいれば、そばを離れよとしませんし、買い物程度の外出にもついて来るのに、バイトに行くのは許してくれた不思議な娘です)、すんなりとバイト先も近所のケーキ屋に決まりました。結婚してから雇われとして働くことがなかった私にとってはすごくドキドキでした。
働き始めて思うことは…世の中は愚痴・無駄話の多いこと。1年間どっぷりヴィバッサナーに浸りきった私には、世間ってこんなものだったかな? と思えるほどどうでもいいことばかりの会話が飛び交う場所でした。短い時間であっても世間から受ける影響は大きいのだということも実感しました。しっかり瞑想時間を取らなければ世間の波動に呑み込まれてしまうというのはこういうことをいうのかとも感じました。しかしそれと同時に、毎日朝から夜遅くまで働いている主人やシングルマザーで私を育て上げてくれた母への尊敬の念や感謝がさらに深まったのです。
また人間は皆、辛さ・苦しさでいっぱいいっぱいでどうしようもないのだと再認識できたり、それまで皆さんの体験談の中だけの話であった『慈悲の瞑想をすると、機嫌の悪い人が穏やかになる』ということが家族以外で実体験できると良い機会をいただいていると思っています。今は仕事中の単純作業にサティをどれだけ多く入れられるか、お店のスタッフや来店されたお客様一人一人に対してどれだけ忘れずに慈悲の瞑想を唱えられるかに挑戦中です。
ヴィバッサナー瞑想と出会って1年、少しは成長したかななんて思っていました。しかし全然そうではなく、勘違いでした。いかに自分に自信がなかったか。自分を守りたかったのか。ありのままを見たくなかったのか。自分への執着のいかに根深いものであるかという気づきを与えてもらえたこの4カ月でした。
先生の本を何度も繰り返し読む日々を過ごしていたある日、『明日にはもう生きていないかもしれない』という思いが腑に落ちた瞬間、何もかもがどうでもよくなった気がしました。今までどうして、ずっと生きていられるような気がしていたのでしょうか。生まれた瞬間から死ぬことだけは絶対に避けられないのに、ずっと先のような錯覚をして、頭では理解していても心では理解できていなかったのだと思います。修行する時間はまだある。そんな甘えや覚悟の足りなさが私の修行の歩みを遅くしていたのかもしれません。
今をしっかり生きるということが自分なりに(正しいかどうかはわかりませんが)わかってきた気もします。サティを入れることだけでなく、その一瞬一瞬に一生懸命取り組むこと。突然自分に舞い込んできたことも受け入れること。人が話している時は真剣に聞くこと。自分にとって嫌悪を感じる相手の行動であっても、その人にはその人の考えがあってのことだと自分の感情を入れないようにして受け入れること。何より自分はこうあるべきだという鎖につながず、今のありのままの自分を受け入れること。などなどが以前よりできるようになってきた気がします。
今現在の娘はといえば…私にずっとくっついていることはなくなり、文句も少なくなり、泣きわめくこともほとんどなくなりました。そして、自分の小さい頃の考えや思いを話してくれるようになりました。私が幼い頃母に抱いていた思いに似たような思いを、娘も私に抱いていたことも分かりました。幼い頃の理解不能の娘の行動は、私に嫌われないための必死の行動だったことも分かりました。私も娘が幼い頃、娘に対して抱いていた思いを隠さず話しました。今までお互いがお互いの気持ちを気にしすぎてというよりは、嫌われないように自分を守ることを最優先していた関係だったのかもしれません。そのことに気づき、認められたからなのか、娘の言動に対してイライラが本当にを感じなくなっている自分に驚きです。
今目の前に現れる事象のすべてが私に気づきを授けてくれていると実感できる毎日を過ごせている!
瞑想を始める前の私には考えられなかったことです。
「いってらっしゃい」「行ってきます」「おやすみなさい」そんな日常の挨拶ですが、最近の息子と私の間では…「無事生きていたら会おうね!」が決まり文句です。
まだまだ瞑想修行は始まったばかりです。
朝晩の慈悲の瞑想・歩く瞑想・座る瞑想をする時間が取れるかどうかで、その日一日ががらりと変わります。瞑想のすごさを改めて痛感した今、心新たに、不善心で心を汚さず清浄道を歩んで行きたい。少しずつでも解脱に近づけるよう精進したい。そう思っています。
最後にこの原稿を書く機会を与えてくださった地橋先生に感謝申し上げます。ありがとうございました。(終わり)
私の瞑想体験(旧「Web会だより」 改め)