(1)
★瞑想対象に集中しようと必死になっていると、なぜか力んでいる自分の姿が俯瞰され、ハッと我に返ることがある。
サティが本来の機能を取り戻した瞬間だ。
集中にこだわり、ガチガチだった全身からフッと力が脱け、やわらかく緩んでいく。
この脱力の瞬間を「軽安」という……。
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(2)
★人生が上手くいかないので、現実逃避のツールとして、瞑想にのめり込む人たちも少なくない。
集中力のあるタイプは、抑圧する力にも恵まれているので、ますますサマーディに溺れ込む。
そんな瞑想は「現世の楽住」に過ぎない。
煩悩を一つずつシラミ潰しにせよ、とブッダは言う……。(『削減経』)
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(3)
★「法を拠りどころとし、他を拠りどころとするな」
ブッダが生涯の最後に説かれた遺訓である。
だが、法を拠りどころとせず、個人を崇拝し拠りどころとしてしまうのが世の常だ。
思わぬ人の口から、正しく法が説かれている瞬間にハッとすることもある。
山川草木の中に法を視る者もいる……。
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(4)
★うるさい、臭い、痛い、損した、と苦受を受ける一瞬一瞬ごとに現象化した不善業が消えていく……。
楽しい、美味しい、儲かった、やったぜ!と楽受が続く幸福の日々の実状は、徳のポイントが恐ろしい勢いで費消されているのだ。
因果が織りなす業の世界では、不幸は負債の返済、幸福は貯金の切り崩し……。
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(5)
★執着すれば人生が苦しくなる渇愛の構造。
だから「この世のことはの泡沫の如く、陽炎の如く視よ……」とブッダは言う。
そうは言われても、では、そのようにと、できないのが我々凡夫だ。
だから、不幸は儲かるよ、幸福はすり減るよ、と因果論を腹に落とし込み、苦楽を等価に観る捨の心を養うのだ。
業の結果に一喜一憂する世界に飽きれば、悟りたくなるだろう……。
瞬間の言葉