・同時進行が大得意
 ・周囲のことや人の目が気になって仕方がない
 ・集中力がない
 ・自我が強い 
 ・自己卑下、後悔ばかり
 ・思考大好き
 恥ずかしながら、こんな性格で瞑想の素質など、まったくなさそうな私。
 こんな私と地橋先生の『ブッダの瞑想法 ヴィバッサナー瞑想の理論と実践』との出会いから、もうすぐ1年間が経とうとしています。直感が冴える。頭がよくなった。ということはまったく感じられない私ですが、過去の呪縛から解放されたのは事実です。幼い頃からずっと恐怖と不平不満で頭がいっぱいだったこれまでの人生とこの1年間の瞑想の日々を書かせていただこうと思います。


 ヴィバッサナー瞑想との出会い


 一昨年の末頃、後先考えず仕事も何もかも翌年3月でいったん辞めることにしました。昔から大切なことほど天任せ、なるようになるさ、で過ごしてきました。目の前のことは最後まで自分のできる限り精いっぱいやる。ただそういう思いで日々過ごしていました。  ちょうどこの頃縁あって出会った本の中に出てきたヴィバッサナー瞑想。私が求めていたのはこれだ!!そう感じました。それまで数年間続けてきたマントラ系の瞑想からも離れようと決意していたこのタイミングでのヴィバッサナー瞑想との出会いは、私にとって運命的なものでした。その数週間後、地橋先生の『ブッダの瞑想法』に出会い、楽しすぎて学生時代のように自分なりにノートにまとめてしまったほどでした。それからは時間がなくても朝晩、隙間時間に慈悲の瞑想だけは必ずするようになりました。


 ヴィバッサナー瞑想に出会うまで


 生後7ヶ月で父が病死。その後父方の祖母や叔母との生活を経て、6歳からは母との二人暮らしの生活でした。よくある手のかからない良い子として成長し、学生時代は優等生。大人が喜ぶような対応をし、周囲に気を配り、気が利く子だと言われ子供らしくない子供時代を過ごしました。夕飯の支度をしながら宿題や予習復習をするのは当たり前、並行して洗濯や翌日の準備までもする。当時の私は、どれだけ短時間でたくさんの事をこなせるかをゲーム感覚で楽しんでいたような気がします。作業をしながら、頭では次の作業内容の計画を立てるので、頭の中も体も常に大忙しでした。
 また母と父方の祖母の影響は大きく、周囲の喜ぶ行動をしなければならない、人に迷惑をかけてはいけない、世のため人の為には命惜しまずつくしなさい。そう言われ続けてきました。幼い頃から死への恐怖と不安が常に心を支配し、世のために尽くせない自分はダメ人間という固定観念を持ったまま大人になってしまったような気がします。
 何をしていても、こんなことをしていていいのだろうかという考えが頭の片隅にあり、ほんの最近まで、その不安をかき消すために朝から晩までわざと忙しい状態を作り出していたように思えます。その恐怖からか、大人になってからは健康に人一倍気を遣うようになり、食べ物や化学物質、空気などあらゆる体に悪いものから身を守ろうという意識が働くようになっていきました。
 結婚して可愛いわが子たちに囲まれ、不安を忘れられることもしばしばありましたが、子供が幼稚園に入った頃から周囲に迷惑をかけてしまうことが多くなりました。調べてもらうと発達障害であることが判明しました。絶対に人に迷惑をかけてはいけないという呪縛にとらわれ続けている私は、幼稚園や小学校、習い事の先生方へ、毎日のように「申し訳ありません」と謝まらなければならないどうしようもない日々が辛くて、娘を外に出すことさえ嫌になったのです。どこでもギャアギャア泣きわめく娘の気持ちが理解できません。娘に対する大切で可愛いという気持ちと嫌悪感の両極の感情を行ったり来たり。私はノイローゼになっていきました。「気に食わないことがあれば大音量で泣き叫ぶ」そんな娘に対し、私だけでなく家族全体が振り回され、みんなが腫れ物に触るように娘に接するようになっていきました。
 その頃から私は大事には至らないものの、常に体の調子が悪くなっていきました。疲労はひどく、頭痛、腹痛、肩から腕、体中の痛み、全身の湿疹。腰痛で立てない日々や、手が動かなくなることもありました。痛いという言葉を口にしない日はないほどの毎日でした。そんな私は痛みを解消するべく、さらに食事や身に着けるものに気を付けるようになっていきました。痛みで苦しいのに、しなければならないことは山積みの毎日。食事や身の回りの環境のことまで気にするようになったことで、さらにすることも悩みも増えてしまいました。
 元々自己チューで完璧主義、失敗しないように生きてきた当時の私に不平不満が出ないわけがありません。とにかく全部何かのせいにして私は悪くない!主人のせい、子どものせい、母のせい、○○さんのせい、場所のせい、世の中が悪い、など何もかもです。今思えば、よくもここまで人のせいにできたなと我ながら呆れてしまうほどです。しかし、その反面私の奥に良い娘、良い妻、良い母になれない自分を責める自分もいたのです。人のせいにし、自分を責め続ける。そんな毎日を送っていれば、体はまともに動いてくれるわけはないことに当時の私は気づくことができませんでした。
 子供たちの成長につれ、子供たちの個性を受け入れ認められるようになったつもりでしたが、それはつもりでしかなく、こう考えるべきだと頭だけで理解しようとしていて、まったく受容できていなかったのだと思います。普段は我慢していて、ふとした時に怒りや不満が爆発していました。しかし瞑想をするようになった今は、娘を受容し、娘の存在に感謝できるようになってきました。私たち家族全員の娘に対する微妙な嫌悪の感情がずっと娘を苦しめ続けていたのだと気づかされ、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。(続く)