「月刊サティ!」2005年1月~2005年5月号に掲載されました。今月はその5回目です。

 ブッダのことを考えてみると、師はなんと正しいことをお話になったことでしょう。私たちは、ブッダが非常に多くの敬礼と崇敬と尊敬に値すると感じます。 実際にはまだダンマの実践をしていなくとも、私たちが何かの真理を理解すると、そこにかならずブッダの教えがあります。しかし、ブッダの教えを知り、教えを勉強し、実践していたとしても、まだその教えの真理を理解していないなら、私たちにとっての「真の家」は無いのです。
 ですから、すべての人、すべての生き物があなたのもとから去ろうとしているということを理解しなさい。生き物は、寿命が来たら、それぞれの道を行きます。金持ちも、貧乏人も、老人も、すべての生き物はこの変化を経験しなければなりません。
これがこの世のあり方だとあなたが悟れば、この世はうんざりするような所だと感じるでしょう。あなたが頼れるような安定したものや物質的なものは何も無いと理解すれば、うんざりし、迷いから覚めたと感じるでしょう。ですが、迷いから覚めるとは、あなたに嫌悪感が生じるということではありません。心は明晰です。心は、この物事のあり方を変える方法は何も無い、これがこの世のあり方だと理解します。このように知ると、あなたは執着を手放すことができます。うれしくもなく悲しくもない気持ちで、智慧をもってサンカーラ(行い、状態)の変化する本質を理解することによって、サンカーラとは平和に共存したままで、手放すことができます。
 Anicca vata sankhāra――全てのサンカーラは無常である。簡単に言うと、無常はブッダだということです。私たちが無常の現象を本当にはっきりと理解すると、「現象は常である、変化する本質が不変である、という意味で常である」と理解します。これが生き物が持っている常性です。幼少期から青年期を経て老齢に至るまで、常に変化し続けています。そして、まさにその無常性、つまり、変化するという本質は、常であり固定しています。あなたが現象をそのように見れば、あなたの心は平穏になります。このことを経験しなければならないのはあなただけではありません。誰もが経験しなければならないのです。
 あなたが物事をこのように考えると、物事はうんざりするようなものであるとみなすようになり、迷いからの覚醒が生じます。感覚の喜びの世界に対するあなたの喜びは消滅します。たくさんの物を持っているとたくさんの物を残して去らねばならず、少しの物しか持っていなければ少しの物だけを残して去るのだということを理解します。富は単なる富、長寿は単なる長寿であり、特別なものではありません。
 大切なのは、ブッダがお説きになったように私たちが行動し私たち自身の家を建てること、すなわち、私が今まであなたに説明してきた方法で家を建てることです。あなたの家を建てなさい。手放しなさい。進むことも無く、戻ることも無く、留まることも無い平安に心が到達するまで、手放しなさい。喜びは私たちの家ではありません。苦しみは私たちの家ではありません。喜びと苦しみのどちらも衰え、消え去ります。
 偉大なる教師であるブッダは、すべてのサンカーラ(行ない、状態)は無常であることを理解し、それゆえ私たちに、サンカーラに対する執着を手放しなさい、とお説きになりました。私たちが人生の終わりに至ると、どうせ選択肢は無くなり、何も持っていくことはできません。ですから、その前にいろいろなものを下ろしたほうが良くありませんか。持ち歩くには重い荷物でしかありません。その重荷を今捨ててはどうですか。なぜわざわざ重荷を引きずって歩くのですか。手放し、リラックスし、家族にあなたの面倒を見させなさい。
 病人の世話をする人の優しさと徳は増えて行きます。病気で、他の人にその機会を与えている人は、世話をしてくれる人がやりづらくなるようにしてはいけません。痛みや何らかの問題などがあれば、世話をしてくれている人にそのことを伝え、心を健全な状態に保ちなさい。 両親の世話をしている人は自分の心を温かさと親切で満たすべきであり、嫌悪にとらわれてはいけません。これが両親に借りを返すことのできる唯一の時なのですから。生まれてから少年となり、さらに大人になるまで、あなたは両親に頼りつづけてきました。私たちが今日ここにあるのは、父と母が多くの点で私たちを助けてきてくれたからです。私たちは途方もない量の感謝の借りを両親に負っているのです。 ですから、今日あなたの子供と親戚が全員ここに集まりました。あなたの両親がどのようにしてあなたの子供になったのかを見てみなさい。以前に、あなたは彼らの子供だったのです。今は、彼らがあなたの子供です。彼らはどんどん歳を取り、やがて再び子供に帰ります。彼らの記憶は無くなり、目はあまり良く見えなくなり、耳は聞こえなくなり、時には間違ったことを言うようになります。それに動揺してはいけません。
 病人の世話をしているあなた方は、誰もが手放し方を知らねばなりません。物事をつかんではいけません。何としても手放し、物事のしたいままにさせるのです。子供が若いときに言うことを聞かないと、両親はただ平穏を保つために、子供を幸せにするために、子供に好きなようにさせることがあります。今、あなたたちの親はその子供と同じです。記憶と知覚は混乱します。あなたたちの名前をごちゃ混ぜにすることもあるでしょう。また、コップを持ってきてくれと頼んだのに皿を持ってくることもあるでしょう。それは普通の事です。それに動揺してはいけません。
 病人であるあなたは、世話をし、つらい感情に辛抱強く耐える人の親切心を忘れてはいけません。気を強く持ち、心を散乱させたり動揺させたりしてはいけません。そして、あなたの世話をしてくれている人に迷惑をかけてはいけません。病人の世話をする人の心が、徳と親切で満たされるようにしなさい。仕事の嫌な面、粘液と痰や糞尿の掃除をすることを嫌悪してはいけません。全力を尽くしなさい。家族は全員が手助けをしなさい。
 ここにいるのは、あなたたちの唯一の両親です。二人はあなたたちに生命を与え、あなたたちの教師であり、看護師であり、医者でした――二人はあなたたちにとってすべてでした。二人があなたたちを育て、あなたたちと富を共有し、あなたたちを遺産相続人にしたことは、両親の偉大な善行です。
 それゆえ、ブッダは、私たちの感謝の借りを知る徳(カタンニュ)と、それを返そうとする徳(カタヴェーディ)をお説きになりました。この二つの徳は補い合うものです。両親が困っていたり、健康に優れなかったり、苦境にあるなら、私たちは全力を尽くして両親を助けます。これがカタンニュ・カタヴェーディであり、この世を支えている徳です。これがあれば家族が崩壊することも無く、安定した仲睦まじい家族となります。
 今日、私はこの病気のときの贈り物として、ダンマ(真理)を持ってきました。あなたに渡す物質的なものは何もありません。そういうものは既にこの家にたくさんあるようですから、あなたには永続的な価値があり、決して使い切ることのできないものであるダンマ(真理)をあげました。それを私から受け取ったのですから、あなたはそのダンマを好きなだけ多くの人に渡すことができますし、そのダンマは決して使い尽くされることはありません。それが真理の本質です。この法の贈り物をあなたに与えることができたことをうれしく思います。そして、この贈り物によって、苦痛に立ち向かう力があなたに与えられますように。(完)
 Ajaan Chah「Our Real Home」よりまとめました。
 (文責:編集部)