「マイクロアグレッション」って何? 私も含めて多くの人にとってあまり聞き慣れない言葉だと思う。表紙にはこんな言葉が散りばめられている。
「ハーフってかわいいから私もなりたい♡」「日本人よりも日本人らしいね」「日本語ペラペラですごいですね」「あなたは、マナーがよくて日本人みたいですね」「女の人はみんな母性的だよね」「韓国人だから絶対キムチ好きだよね(W)」「黒人はダンスうまいよね!」「男の子はなんだかんだいってさっぱりしてるよね」「あなたって何人?」
これらの「何が」問題なのだろうか? アグレッションとは「攻撃性」を意味するので、直訳すれば「ささいな攻撃」ということになる。しかし著者はその影響はその影響は決してささいなものではないという。
著者は冒頭「この本を手に取っていただいたみなさんへ」の中で次のように述べる。
「この本は、自分の中にある差別意識や社会の差別構造に気づき、人権とは何か?『どうすれば互いの違いを尊重しながら、みんなが幸せに暮らせる社会がつくれるのか』をテーマにしたものです。言葉はシンプルですが、中身はとても深いこの問いをみなさんと一緒に考えたくて書きました」(p.3)
2019年10月、首都圏に超大型台風がきた時、著者はパートナーと共に近くのホームセンターに買い物に行った。大雨で満員の屋根付きの駐車場のなか一箇所だけ空いていたので、「これ幸いとばかりにハンドルを切るとそこには車椅子のマークが・・・。いくら濡れるとはいえそこに止めることはできません。ため息をつきながら私はつぶやきました。
『やっぱり、日本人はマナーがいいね』
その瞬間、助手席に乗っていたパートナーがぎょっとした顔で私を見ました。しかし時すでに遅し。吐いた言葉はもう戻せません。日頃から学生や多くの教育関係者を前にして人権や道徳教育について話している私です。パートナーの呆れた視線を受けて恥ずかしさで消え入りそうでした。なぜ恥ずかしい気持ちになったか、わかりますか? これがこの本の核心部分です」
この問いかけへの著者の答えだけではなく、本書中には問いかけや指さし記号をつけた「Try」、図表、資料、注、漫画までが数多くあげられている。
「そもそも、マイクロアグレッションは私たちの日々の生活や会話の中で『ふつう』に語られることが多く、発した本人もその問題性(加害)に気づかないという特徴があります。多くの場合発している本人に悪気がないためにギャグとして受け取られ、それゆえ周囲も同調し、笑ってすませることで問題(加害)は社会の中に埋め込まれていきます。こうした問題を批判すると『いちいち、そんなに目くじらを立てることはない』『何も言えなくなっちゃう』『住みにくい世の中になった』
などと反論する人が大勢います。
また、こうした言動を批判されると、その人たちがよく口にする言葉は『差別するつもりはありませんでした。誤解を招く表現で申し訳ありませんでした』です。でもそれは『誤解したあなたたち(の聞き方や理解)に問題がある』を含意している表現です」
こうした弁解はテレビではよく見るが、そのたびに不快になる。(“サティ!”が入りやすい。あまりに度々なので?)
どこが問題かと言えば、それは、
「これらの言動の背景には、肌の色や文化、ジェンダー、民族など自分と異なる(と思っている)他者に対する無意識の偏見や蔑視が含まれており、対象にされた他者を深く傷つけるから問題なのです。そして対象にされた個人や集団を不当に扱うことが『アタリマエ』とされ、差別する空気を社会のスタンダードにしてしまうという問題なのです」(下線は著者による)
そしてそれは、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」(世界人権宣言第一条)という「人類が苦労の末たどりついた人権の考えを否定し、誰もが人として持っている幸せに生きる権利を奪うことにつながるからです」
そして著者は、自分のこれまでを反省とともに振り返り、現在の活動について触れ、この本で「人権とはそもそも何、差別ってどういうこと、とくにマイクロアグレッションはなぜ生まれ、どうすればなくなるのか? みなさんと問答しながら考えていきます。失敗と反省だらけの人生を送ってきた私ですが、だからこそみなさんと共にあらためて学んでいきたいと思います」と結んでいる。(以上「はじめに」から)
※先頭に挙げた「なぜ?」に対する答え。「私の心の中に『日本人はマナーがいい=そうでない人(外国人)はマナーが悪い』という無意識な差別意識が潜んでいたことに気づいたからです」
著者は大東文化大学文学部教授(教職課程センター)。22年間中学校教員を務める。TBSドラマ『3年B組金八先生』で、いじめ問題に取り組んだ実践がモデルとして取り上げられる。国会前デモのリーガル(警備)やヘイトスピーチへの抗議(カウンター)、UDAC埼玉・投票率を上げる市民の会(代表)、埼玉朝鮮学校補助金再開を求める有志の会(共同代表)、などの社会運動に関わる。近年は、銀座No!Hate小店のレギュラー講師など人権問題や教育問題に関する講演活動で全国各地に。専門は生活指導、道徳教育、多文化共生教育。
本書の目次は次の通り。(章に含まれる項目の形式が多様だがそのままにした)
◎目次
はじめに
第1章 人権とはなんだ?!
1.歴史を見てみよう
人権が生まれた/立憲主義/人権の種類/人権という旅
2.今何が起きているか
BLMとヘイトスピーチ/コロナ差別/ジェンダーギャップ
第2章 差別とはなにか?
1.公平性と平等
2.路上生活者の排除
3.差別問題を考えるための六つのポイント
①差別は常に合理化を伴う ②力の強い方(多数)から弱い方(少数)へ向かう
③弱い人はいない-カの差はつくりだされたもの ④当事者(された側)がどう感じているか?
⑤差別問題は歴史的な文脈で考える ⑥差別は社会の問題-すべての人が当事者である
4.「反日」といういいかげんな言葉
第3章 差別はなぜ生まれたのか
1.差別はなぜまずいか
(一)人種ってなに
(二)差別は何を壊すのか
(三)差別が生み出すもの
ジェノサイド/ヘイトクライム/差別の下支え
(四)差別と区別
平均値と二分化/DSDと×ジェンダー/差異と不当な扱い/差異をなくす?
2.森発言を分析する
問題点と解説/社会構成(構築)主義/悪気はない?!
3.森発言が生まれるところ
(一)心理的要因-マンスプレイニング
(二)社会的要因-ジェンダーという構造
(三)家父長制という根っ子
(四)フェイクニュースとリテラシー
第4章 マイクロアグレッションを吹っ飛ばせ
1.差別の現場に出くわした時
(一)はっきりと見える差別
直接的なヘイト行為/ヘイトデモ・街宣の現場/どっちもどっち論/SNS上の差別/差別煽動を行う店舗や企業
(二)見えにくい差別
マイクロアグレッションの怖さ/どこが、何が問題なのか
2.内なる差別-マイクロアグレッションとたたかう
気づくことから始める/働きかける存在になる/リテラシーと学ぶこと/勇者になろう/自己責任論とたたかおう
おわりに
あとがき
著者は、本書は「順番に読むのがおすすめ」としつつ、ただ、「『おわりに』と『あとがき』には必ず目を通してほしいと思っています」と言い、さらに考えや学びを深めるために、「読者のみなさんへの課題『トライ』がたくさん出てきます。『トライ』に関する私なりの答えや例示は脚注に示しておきますが、脚注を見る前にぜひ自分でトライしてみてください」と述べている。(p.3、下線は著者による)
なお、「差別表現が記されている箇所があります。しかし差別や排外主義を扇動する目的ではなくそれらに対抗するために、あえてそのまま掲載しています」と断っている。
いかがだろうか? もちろん本欄では詳細に紹介することは出来ないので、恣意的ではあるがわずかの紹介にとどめる。ただそれだけでもけっこうな発見であった。それではまず著者の文章から。
「差別は私たちの社会の根幹になければならない公平性(フェアネスーfirness)を壊すものという大前提をまず押さえておきたいと思います」(p.45)
「『権利を主張するなら義務は果たして』という一見もっともらしく聞こえる意見こそが、人権に関する基本的な理解が欠如あるいは誤解しているものと言えるでしょう。そもそも日本国憲法第二五条(第一項)には『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』と記されています。すべては文字通りすべてであり、そこに付帯条件はありません。権利は義務とセットでもバーター(交換条件)でもないのです。権利は権利としてすべての人に付与されているもの。憲法二五条が生存権と位置付けられているのはそういう意味を含んでいます。むしろ、『国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』と二五条第二項にあるように義務があるのは国や自治体なのです」(p.49)
著者は差別問題を考えるための六つのポイントをあげる。
①差別は常に合理化を伴う
②力の強い方(多数)から弱い方(少数)へ向かう
③弱い人はいないー力の差はつくりだされたもの
④当事者(された側)がどう感じているか? が基本になる
⑤差別問題は歴史的な文脈で考える
⑥差別は社会の問題―すべての人が当事者である
①の例
「学校で『いじめは悪いけど、いじめられる方にも原因があるよね』という言葉を聞いた人は少なくないでしょう。これもいじめという人権侵害を合理化する理屈ですね。
こうした合理化が被害を受けている個人に投影されると『いじめられている自分が悪いのだ』『DV(ドメスティック・バイオレンス)を受け続けているのは私がいたらないからだ』のように、自分で自分を責めるような心情に陥り、被害はより深刻化します。
Try:いじめられる(差別される)側にも原因があるよね?と言われたらどんな対話をするか考えてみよう。
著者の回答例:私ならば、まず『どうしてそう思ったの?』と聞いてみます。そして相手の答えの中にある問題点、例えば一方的な自己責任論や加害を正当化(合理化)するものはないか、対話しながら考えあっていく姿勢をとりたいと思います。『いじめられる側にも云々』のような発言が生まれた背景には自身の傷つき体験が奥底に眠っている場合もあり、『そんな考えは間違っているよ』と頭から断定しないことも必要でしょう」(p.51)
②は権力関係の存在、つまり「非対称性」の関係から生ずるということ。そして③は、「弱者」「強者」という言葉は自明のものではなく、社会的に“権力関係のなかで”生み出されるということ。
差別する(他者を支配する)という目的のために理由が作り出され、それは必ずステレオタイプに基づく非対称性の関係の中で行われる。「逆に言えば、対称な関係の中で差別は発生しない(対等なケンカとイジメの違いですね)」(p.69)
④の例には黒塗りメイクのコントをあげる。
この「黒塗り」姿は放映開始からすぐにSNS上で「面白い」などと同時に、「黒人への差別である」など多くの批判も集まりました。「そうした中、『あの演出は差別してるわけじゃない』という趣旨の書き込みに混じって次のようなものがありました。
A:肌の色なんか関係ない、ぼくは気にしない
B:僕には黒人の友だちもいるし黒人文化をリスペクトしている
このような意見は『カラーブラインド』と言って反差別運動の中でたびたび批判されてきたものです。Aのような態度は一見、正しいように見えますが、現実に存在する人種差別から目を逸らすことにつながり、社会が解決すべき問題を唆昧にしかねないのです。また差別被害の当事者の苦しみや辛さを軽く見てしまうという問題もあるでしょう。またBも同様に、いまここにある差別や歴史的経緯を無視したものと言えるでしょう」(p.56)
そして⑤として、アメリカの「ブラックフェイス』の歴史的事実を学べば、安易に黒塗りメイクをすることなどできないことを例にあげている。
「ブラックフェイスを演じたタレントたちが『差別する意図はなかった』というのは本音かもしれませんが、こうした歴史を知らない(調べたり・知ろうとしない)不勉強は厳しく問われなければならないでしょう。そしてそれは、演じたタレントが不勉強であるという問題だけではなく、テレビ局という大きな影響力を持つメディアに関わっている人たち(組織)の中に、そうしたことをきちんと学んだ人がいなかったという問題があります。情けないことに、これが日本社会の現実ではないでしょうか」(p.61)
ポイント⑥
「何よりも『差別は社会の問題であり、すべての人が当事者である』ととらえることが大切だと思います。言い換えれば『そこにある差別はあなたの問題でもあり、私の問題でもある』ということ。そして、差別の問題は歴史的文脈で考えること、すなわち『いま何が起きていて、それはなぜなのか』を学ぼうとする態度が不可欠なものと一言えるでしょう」(p.70)
ここまで綴ってきて、あまりに多岐にわたるためきりがなく、残念ではあるけれどあと二つだけあげて今月の本欄はそこまでにしたい。著者は冒頭で、「小学校の高学年くらいから人権問題に興味関心のある大人の方まで、幅広く読んでいただけるように、なるべくやさしい表現で書くこと意識」したとし、「また学校の授業(例えば道徳科・社会科)や企業等の研修会のヒントになるような事例や解説も多く掲載しました。ご活用いただければ幸いです」と述べている。いつものことだけれど、ぜひ直接手に取られることをお勧めしたい。
では最後の二つ。一つは本書オリジナルではないがこれまでまったく気にすることもなかった。
「今まで見てきたように、マイクロアグレッションは差別反対や人権の大切さを熱心に語る人であっても、気づきにくい性質を持っています。ヘイトスピーチに対抗報道を続けてきた角南圭祐さんは『ヘイトスピーチと対抗報道』(集英社新書、2012)の冒頭でこう書いています。
『今こそ全ての日本国民に問います』NHKの人気クイズ番組でお決まりのナレーションが入るたびにモヤモヤする。この番組を見ているのは、この国に住んでいるのは、国民だけじゃないのに』」(p.179)
最後に人類の起源から。皮膚の色や目の色などが地域によって違う特徴をもとにいくつかの集団に分類する人種の概念は、今日では生物学的に有効ではないという見方が一般的になっている。
「つまり生物学的には『人種はない』ということです。しかし、梁さんは『人種は存在しないが人種差別―レイシズムは存在する』と主張します。
人種が存在した上で人種差別が起こるのでは全くない。逆に人種差別と言う実践や慣習があるからありもしない人種が作られるのだ」(梁英聖『レイシズムとは何か』)(ちくま新書2020)(p.78)
そして、
アメリカで50年以上も差別問題に取り組んでいるジェーン・エリオットさんに対する、フリーハグという社会活動に取り組む桑原功一さん(映像作家)の質問。
「『レイシズムをなくすためにどうしたらいいですか?』という問いに、『学びなさい』と返しています。そして2017年NBCのインタビューでは『差別主義者の人は、愚かなのではなく無知なのです。無知への答えは、教育です』と言いました。まさに、誰しも『学んでいかないといけないな』と本書を書き進めるたびに痛感しています。学びの旅を続けます」(p.79)
「実はマイクロアグレッションに気付くのも他者に働きかけるのもこの力が必要なのです。
なぜならマイクロアグレッションの根底に横たわる「女子は○○」「何(なに)人は○○」というような認識の多くは、偏ったものの見方・考え方すなわちリテラシー(※)の低さに起因しているからです。そしてこうした偏見-バイアスがステイグマを産んでいきます。ステイグマは社会によって押された烙印という意味だと前にも述べましたが、簡単に言えば決めつけです。これが強まると烙印を押された人たちに対する排除や差別が日常化していきます。WHO健康開発総合研究センターは、コロナの拡大を止めるのは恐怖ではなく事実ですと述べ、次の三つの視点を掲げています。
-病気に関する事実と正確な情報をシェアしましょう。
-迷信や固定観念を疑いましょう。
-言葉遣いに注意しましょう。コミュニケーションの仕方は他者の態度に影響を与えます。
『事実と正確な情報をシェア、迷信や固定観念を疑う』これらの視点はコロナに限ったものではありません。マイクロアグレッションとたたかうための武器になります。ではどのようにしてリテラシーを高めることができるのでしょうか。
答えはシンプル。学ぶことです。(略)学ぶとは知識を溜め込むことではありません。自分の生きている世界を塗り替える営みであり、昨日とは違う自分を手に入れることです。私たちに必要なのは学びであり、実はこれはとても楽しいことだと思うのです。
その方法は様々です。いまあなたがしているように、本を読む、映画を観る、音楽を聞く、旅行する、誰かの話に耳を傾ける……それらを他者と語り合い共有する。それら全てが学びだと思います」(p.163)
目次に見られるとおりまだまだありますがここまでにします。(文責:編集部)
(※)リテラシーとは、本来は読み書きの能力という意味ですが、最近はITの進歩に従って情報の読み解き方の意味に変わってきました(本書より)。