<恐るべしヴィパッサナー瞑想!>
 それからしばらくして 今度はその社長が、メーカーから、メーカーの敷地内に移転して来いという話が出て、その会社も移転することになりました。これもあのとき同様、相手からは「断ったら知らんぞ」とそういうふうに言われ、まさに因果論を目の当たりにした感じでした。
 移転先は今までと違って結構立派な建物で、工場は非常に新しく冷暖房完備の整った綺麗なところでした。
今から振り返ると充実するまでとは行きませんが、責任という重りだけが外れ、ある程度自分の思い通りに仕事ができた時期でした。
社長とも以前は下請けの立場で逆らうこともできませんでしたが、今度はどこかに「いつでも辞めたる!」みたいな気持ちもあったので割と言いたいことも言えるようになり、ときどき揉めることもありましたが、基本あまり関わり合うこともなく、従業員の中では一番やりたいように仕事をしていました。

 この社長に対してですが、殺意を抱くほどの相手だったのにもかかわらず、時が流れ、あるとき慈悲の瞑想をしていると、私の親しい人の中の端っこの方に、この社長が座っているのを見つけ、驚きました。それから数年経ち、仕事の方も最終的にはいろいろあって、結局辞めることになりました。

 余談ですが、3年ぐらい前今の仕事に就くとき、前職を辞めてから1ヶ月期間があったので、ヴィパッサナー瞑想の長期合宿に行こうといろいろ探したのですが、タイミングが合わず、10日間ウィークリーマンションを借りて、一人合宿に挑戦しました。結果はグダグダのボロボロでしたが、8日目ぐらいにいろんな人に感謝のきもちが湧いてきて、涙が溢れてきました。
そのときに、例の社長に対しても感謝の気持ちが溢れて、心からありがとうございましたという気持ちになりました。 仕事もやりやすいようにやらしてくれたし、給料もそれなりに待遇してくれたり、会社を辞めたのが10月なのですが、12月に電話があって、ボーナスを渡したいと、辞めた人間にほぼ満額のボーナスを出してくれました。そんなことも思いだし、それこそ視座の転換ではないですが、あの人にも人に言えない苦労もあっただろうと思えるようにもなりました。
最初は殺意を覚え、数年立って慈悲の瞑想で、私の親しい人々の仲間入りをして、最後は感謝の気持ちで涙が溢れるまでになりました。
 この時、まさに恐るべしヴィパッサナー瞑想!と思いました。

 話を戻しますが、心の方も以前のような鬱状態もなくなって、ご多分に漏れず知らず知らずのうちに瞑想会からも離れていきました。
その後もヴィパッサナー瞑想はかろうじて続けていましたが、とにかく座る瞑想がうまくいかず、ゴエンカ式をやったりその他のマインドフルネス瞑想をやったり、別のメソッドに手を出したりと、いつしか瞑想のための瞑想になり、サティの瞑想をやりながらもサマタのサマディーを非常に期待し、きちんとしたサティの瞑想をするわけでもなく、座る瞑想もただボーッとしてるだけの時間が過ぎていきました。
 結局どれもなかなかうまく行かず、瞑想に関しては何年か悶々と暮らしてきました。
これは少しこじつけになるかも分かりませんが、最悪の鬱状態でヴィパッサナー瞑想と出会い、その後から少しづつ流れが好転していきました。確かに廃業合併というと人から見れば悪いことのように映るかも分かりません。でも先ほども書きましたが、自分の中では、正直ヤレヤレという感じが強かったのです。そしてヴィパッサナーから離れていくと、その後徐々にまた流れは悪くなっていったように思います。

 仕事を辞めてからは、職を転々と変わってるのが現状でして、 今行ってる仕事についてから、始めはそうでもなかったのですが、 慣れるに従って若い上司に偉そうに言われ、注意を受け、指導され 、それに怒りがどんどんどんどん膨れ上がって、もう暴発寸前まで来た時に、たまたま見た地橋先生のYouTubeでの「怒りの矢印は外に向けるのでなく、自分に向けるんですよ」という言葉に、ハッ!とヴィパッサナー瞑想の本質を思い出させられる瞬間がありました。
それからもう一度 ヴィパッサナー瞑想に挑戦するようになりました。すると不思議なことに、やはりいろいろと現象も自分の心も変わっていくのに驚きました。
 ここへ来て年齢も62歳を超え、仕事も人間関係でもシックリこないし、死というものをどっかで意識しだして、そろそろ最後の仕上げにと、もう一度ヴィパッサナー瞑想を1からやり直すか、今までやってきたいろんなメソッドのどれかをとことんやるか、と迷っていたとき、満月の夜にお月さんに「どうしたらいいですか?」と聞いたら、数日後何かの拍子に地橋先生のYou Tubeを見てやっぱりヴィパッサナーなのかなと思い、去年12月の1 day 合宿に参加させていただきました。
 そのときに先生に「未だに自分に何がいいのか迷っています。今回これで(ヴィパッサナー瞑想)行けと背中を押していただきたい気持ちもあります」と申し上げたところ、「私は大阪在住ではないし、直接指導がなかなかできないので難しい面もありますが、朝カルのオンライもあることだし、たまに1DAY合宿にも来れるならば・・・」ということで、当然ですが先生はヴィパッサナー瞑想を勧めてくださいました。
 そして1DAY合宿のあと、またいろいろ変化が現れて、特に合宿で指摘されたことで、若い上司に腹が立つと訴えたところ、因果論を説かれ、若い時から目上の人に偉そうにしなかったかと聞かれ、無くはないがそれほどやっていないと思っていました。ところが合宿の次の日仕事をしているとき、アッ!と思い出したのが高校の時、女性の担任の先生に暴言を吐き、先生を罵り好き放題やらかしてきて、最後はとうとうその先生は教師を辞めてしまいました。
 40年以上一度も思い出すことも、悪びれることもなかったのですが、突然その先生の顔を思い出し、自分はなんと酷いことをしたかと、仕事中にもかかわらず思わず涙が出そうになりました。
 それから毎晩その先生に向けて、慈悲の瞑想と懺悔の瞑想を何日か繰り返しました。許されることではないし、今受けている苦受は自分のしたことに比べれば何十分の一程度である。誰に何をされても文句など言えない。それと同時にあのときの罰はいずれどこかで受けるのかと思うと「ゾッ!」とします。
 次の日、またまた若い上司に言われた一言に仕事中怒りが出ました。それに対してサティを入れてみるもののなかなか効果はなく、その時ふと、あれ?今の彼の言葉にそこまで怒ることかと、思考モードですがいろいろ考えていると、今までの怒りとはなにか違っている。(いままでの怒りとはどこかが違う感じを受けたと言うことでしょうか?)確かに注意や指摘は受けたが、別に怒ることか?何かこの怒りの向こうに隠れていないかと、心の中を見てみると、このときも1DAY合宿のときに先生から言われた一言、「若い奴に負けんぐらいに仕事して、文句言われんようにせいや」が頭をよぎった次の瞬間ハッとしました。まさにプライドが隠れていたのです。(つづく)