(1)汗とホコリで体が汚れるので、毎日お風呂に入る。
 欲望と怒りと嫉妬と高慢で心が汚れるので、毎日瞑想をする・・・。


(2)ダンマの世界に心が洗われても、世俗の煩悩世界に戻ればたちまち泥んこになってしまう在家の悲しさ・・・。


(3)全てを押し流していく濁流のように、現象世界は生滅し流転していく。
 善くも悪くも、情況は、変わっていく・・。
 鋭いサティの入った正確な認識も、たちまち角が取れ、細部が誇張され、ステレオタイプの絵になっていく。
 更新されていく色法と名法の世界、その一瞬一瞬に気づき続ける瞑想・・。


(4)同じ一つの現実なのに、100人いれば100通りの世界が脳内に拡がっていく。
 何度見ても何百回聞いても、同じ理解、パターン化された解釈が自動的に立ち上がってしまう。
 スルーしたものは常にスルーされ、人は見たいものを見ているだけだ。
 ・・・目からウロコが落ちるサティ!


(5)誤解と錯覚だらけの、デタラメの認識で人を恨み、狂おしく恋い焦がれてきたのではないか。
 そんな、これまでの人生は何だったのだろう・・。
 なぜ古来から「人生は一場の夢に過ぎない」と言われてきたのか・・・。


(6)瞑想しても手応えがなく、これといった結果が出ない・・・。
 ものごとの真実の状態をあるがままに観ていく技法なのに、不正確なやり方で、いい加減にやっていないだろうか。
 正確に実践すれば、システム本来の姿が露わになり、十全に機能が発揮されるだろう。


(7)生存のために進化してきた人類の脳・・。
 地球の自然環境を破壊し尽くす勢いで、人工的に都市化させ文明化してきた結果、人の脳の使い方もいちじるしく変化した。
 いつから人類は瞑想をしてきたのか、確かなことは分からないが、今ほど瞑想が必要な時代はない・・・。