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月刊サティ!|ヴィパッサナー瞑想協会(グリーンヒルWeb会)

Web会だより

『ゆるしの航海』(後) 静華

 (承前)
 そんな時に、母の日と私の誕生日がやってきました。日にちが近いため一緒にお祝いをする予定でしたので、私はお花とケーキを手に、家に帰ってきました。
 それなのに母はおらず、父が暗い顔をして座ったのです。事情を聞くと、力を振り絞って鍋を握り、私が好きな筑前煮を作ってくれていましたが、些細なことで父と口論になってしまい、具材がゴロゴロ入った重いお鍋を投げ捨てて、薬も荷物も持たずに家を飛び出していったそうです。薬を飲んでも痛くて仕方がなく、歩くのもやっとな身体です。連絡も一切取れなくなり、どこで倒れてもおかしくない状態だったので、警察沙汰になりました。
 翌日、無事に母が帰ってきました。私は仕事から帰り、ベッドに臥している母のもとに行くと、「もう誕生日、祝ってあげられないのに。ごめんね。ごめんね」と母は静かに泣いていました。「大丈夫だから、そんなこと言わないで」「もう無理なんだよ」。
 母も、私も、父も、苦しかったです。
 その翌週に入院となりましたが、その壮絶な1週間が母と家で過ごす最後の時間でした。
 入院してから1ヶ月、病気になってから3年後の初夏、母は亡くなりました。
 本当に、最後の誕生日になってしまいました。

 母が苦しんでいる間、私も何もしなかったわけではありません。心も身体も小さくボロボロになっていく母に、私ができること。自分を救ってくれた瞑想を、母のために私が誘導をしながら一緒に行いましたが、ちょっと遅かったようでした。少しは足しになったかも知れませんが、もう少し早ければ。

 病気一つしないほど元気だった人が、病に侵され、あっけなく、亡くなってしまう。
 母は、自分を否定ばかりしていて、どれだけ私たちが励ましても、全て跳ね除けてしまう。どんどん自分で自分の首を絞めているようでした。

 もし、母が病気になった自分も、変わってしまった姿も、それでいいと。うまく動けなくて、人の力を借りることも、それでいいんだと。受け入れることができていたら、もう少し早くその心の土台を育むことができていたら、もう少し家族ともうまくやれていて、幸せな時間が増えていたかもしれません。
 いつ何が起きるかわからない、もしかしたら短い人生かもしれない。でも、その生きる時間を少しでも笑顔で、幸せで生きるには、どんな自分でも、それでいいんだと、受け入れる自己受容がとても大事だと、あらためて感じました。
 それは、当事者も、支える家族も同じです。それぞれに自分を受容できるからこそ、お互いを受容して前に進むことができます。

 母のように、自分を苦しめながら亡くなる人を減らしたい。そして、支える側も一緒に幸せであってほしい。私がそうしていたように、もう少し心の扱い方を分かっていたら。でも、私のやっていた瞑想だとその自己受容の要素が足りない、まだ力不足であることを痛感していました。

 再びかつてのように、貪るようにその方法を探し始めて行き着いた先が、やはり瞑想です。今度はイメージ瞑想ではなく、マインドフルネス瞑想でした。当てのない航海の先に見つけた宝箱のようでした。

 マインドフルネス瞑想に出会って、ただ何かを信じるのではない、嫌なものを無理やり消したり蓋をしたりするものではない、ありのままに事実を受け入れるとても逞しいものだと知り、自分ではどうにもならないものをゆるす、委ねる感覚が生まれてきました。
 イメージ瞑想ではわからなかった、自分の全てと周りで起こる出来事や全てをそのままにゆるしてあげられる感覚を知ることができました。

 そのまま魅了され、勉強を続けていく中で素敵な出会いが重なり、地橋先生の存在を知りました。マインドフルネス瞑想の源流であるヴィパッサナー瞑想と原始仏教の智慧に触れることで、より私の人生のテーマである限られた人生を楽しく生きる人でいっぱいにしたい。それは小手先にポジティブなものを見続けていくものとしてではなく、ネガティブなもの・苦しみも人生のとても大切なエッセンスとしてきちんと認めていく、それすらも楽しめる心を育みたい、自分の心の奥底にある考えととても共鳴しました。

 ただ座ることが瞑想ではなく、生活全てがかけがえの無い自分の糧となる経験になります。起きた事実自体に意味はなく、意味づけをしている自分に気づくこと。全ての行動や気持ちにサティをとにかく入れ続けると、何にも揺らがない、どっしりと「見る側」の自分が生まれてきます。見る側に回ると、視野が広がりました。時間的にも空間的にも、広がりが生まれる。長い歴史の中のこの1秒を生きている自分、地球全体のこの1平方メートルのなかに生きている自分、その中で湧き上がる心の動きや思考は、どんなものだとしてもなんて可愛らしいものなんでしょうか。そんな広い世界にいる人は、みんな置かれている場所や経験してきたこと、持っているものが違う。でも同じように体を持っていて、喜びや悲しみを感じていて、一人では生きていけないという点で、みんな同じ。一人一人の尊厳を認め、自分も人も大切に生きるために、ヴィパッサナー瞑想と原始仏教の厳しくも優しい学びは、私の大きな助けとなっています。

 地橋先生との出会いを頂いてからまだ1年も経っておりませんが、学びと実践のタッグで、かつて誰かに任せていた舵を自分の手に取り戻して、でも無理にハンドルを切るのではなく、海の波に揺られ委ねながら、私の時間を生きられている実感がどんどんと強くなってきています。そして、不思議とその波も平穏になってきています。カヌーのような素朴な舟に変わりはないですが、いつの間にか、それを取り繕うような外装は剥がれ落ちていたようです。自分の不器用さ、わがままなところ、覆い隠したくなるような心の動き。全部が愛おしいです。

 果たして、今後瞑想を続けていくなかで、病や他の予期せぬ出来事に出会ったとして、ブレずにいられるかはわかりません。
 心が折れる前の自分や病気になる前の母が瞑想を知っていたら、救われていたかどうかはわかりません。でも、こうして短いながらも続けている中で、きっと大丈夫だろうと思える心の土台ができてきていることが、何よりの証拠だと思っています。

 まだまだ未熟で自己統制とは程遠いところにいますが、これまでの全ての経験を糧に、相も変わらず不器用な自分と共にどっしりと、わたしの生きる目的を果たす航海を進めていきたいと思います。一緒に学び、舟をこぐ仲間がいることが何よりも大きな支えです。

 どうかこの瞑想がたくさんの方に届きますように。
 瞑想ではなかったとしても、自分と世界をゆるして生きる心と平和が広がっていきますように。
 生きとし生けるものが、幸せでありますように。
 みんながみんなの幸せを、願えますように。(完)

今日のひと言

2024年9月号

(1) 歩くことは、極めて高度な脳の働きによって支えられている。
 ギリシアの賢者達が歩きながら哲学していたのも、脳科学的に理に叶っていたようだ。
 私も、原稿の筆が渋り、アイデアに行き詰まると、歩く瞑想をしながら近辺での所用を果たすことにしている。
 ほぼ確実に閃きが得られている。

(2)この世の煩悩の対象であろうと、彼岸の超越的な対象であろうと、求めている執着の手を離さない限り、苦しみが生まれてくる。
 執念で得たものも無残に壊滅していくのが業の世界だ。
 ゲットしても、永遠の不満足性がくすぶる。
 限りなく手放して、究極の引き算の果てに拡がる安息と静寂……。

(3)昔、まちがえて洗顔フォームを歯ブラシに塗り、口に入れた瞬間、ギャッと叫びたくなる違和感を覚えた。
 「毒!」と判断せず、歯磨きの味も分からなくなった自分の味覚不全を責める意識が過ったことに感動した。
 『何があっても、自分が悪い』と考える修行を必死でしていた時代だった……。

(4)「瞑想なんて、ただボーッとして、いい気持ちになってるだけだよ。あんなものやったって、どうもないわ」
 では、一瞬一瞬の身体感覚を感じながら、サティを入れて歩く瞑想はいかがですか。
 歩いている自分に気づいて、自分を対象化し客観視する練習です。
 自己チューの視座の転換……。

(5)何も考えないだけなら、蛙やトンボや眠りこけている人と同じではないか。
 なんとなくまぶたの裏をボーッと眺めている鈍重な無思考状態では意味がない。
 音や匂いや思考が浮かんだ一瞬の、リアルな現実に明敏に気づく意識の修練。
 そこからだ、存在の本質を洞察する智慧が閃き出すのは…… 。

(6)サティを入れ、余計な妄想を排除していくと、思考から生まれる欲望と怒りから自由になれる。
 何も持っていなくても、苦の種である妄想と執着を引き算していった果てには、ただありのままの自分で豊かに自己完結していることに気づく……。

ダンマ写真

ダモ寺の古物

サンガの言葉

『私たちの真の家―死の床にある老在家信者への法話』 (1)アチャン・チャー

今月号より「月刊サティ!」2005年1月~2005年5月号に掲載されましたタイの名僧アチャン・チャー法話を5回にわたり再掲載いたします。今月号はその1回で「はじめに」と簡潔な伝記です。次号から「私たちの真の家」(本文)を掲載する予定です。


○はじめに
 空(から)の旗
 私は以前、禅についての本を読んだことがあります。ご存知のように、禅では多くの言葉をもって教えることをしません。たとえば、瞑想中に僧が眠りに落ちてしまうと、警策を持った僧がやってきて、「バシッ」と背中を打ちます。間違いを犯した修行者は、打たれると、見回りの僧に感謝の意を示します。禅の修行においては、成長の機会を与えてくれるすべての感覚にたいして感謝するよう教えられています。

 あるとき、僧の一団が会合のために集まっていました。堂の外では一棹の旗が風にたなびいています。すると二人の僧が、「どうして旗が風に揺れるのか」をめぐって口論を始めました。一人の僧は「風があるからだ」と言い、もう一人は「旗があるからだ」と主張しました。このように二人は、おのおのが狭い見解を持っているがゆえに言い争い、いかなる合意に達することもできませんでした。放っておけば、彼らは死ぬまで論争していたことでしょう。しかし、師が割って入り、「どちらも正しくない。正しい見方は、旗もなく風もないということだ」と言いました。

 このように、旗もつかまず、風もつかまず、何物も持たないことが、仏教の実践です。旗があれば、風がある。風があれば、旗がある。こうしたことに思いをめぐらし熟慮して、真理にしたがって物事を見るようにすべきです。よくよく考えてみるならば、変わらずにありつづけるものは何もありません。すべては「空―虚空」です。

 旗は空(から)であり、風は空(から)です。大いなる虚空においては、旗もなく、風もありません。生もなく、老いもなく、病もなく、死もありません。「旗」や「風」であると私たちがふだん理解しているものは、ただの概念にすぎません。実体はありません。それだけのことです。実体のない名札があるだけなのです。

 こうした理解にもとづいて修行を実践するならば、不足しているものは何もないことがわかり、すべての問題は決着するでしょう。大いなる虚空においては、死王もあなたを見つけることができません。老いや病、死が追いかけようにも、追いかけるべきものがないのです。

 真理にしたがって見、実践するならば(それを「正見」といいます)、そのような大いなる「空っぽ」があるだけです。ここにおいてはもはや、「私たち」や「彼ら」や「じぶん自身」は存在しません。

 不断の実践
 実践において、私たちは直接的に心を観察します。実践がおろそかになり始めたらいつでも、私たちはそうした心の状態に気づき、気持ちを引き締めます。ところがすぐにまた、心はゆるんできます。このように心は私たちを引きずりまわします。しかし、十分な気づきのある人は落ち着いており、つねに自分の態勢を立て直します。じぶん自身を取り戻し、訓練を積み、実践を重ねる、というふうにして自分自身を育成してゆきます。

 ところが、気づきの不十分な人は、心が千々に乱れるままにしています。進むべき道からそれて、何度も脇道へ迷いこみます。意志が強固でなく、実践もしっかり根づいていません。したがって、絶えず世俗の欲望に惹かれ、実践から離れてしまいます。こちらに引きつけられたかと思えば、こんどはあちらに引きつけられるという具合です。みずからの気まぐれと欲望にしたがって生き、この世間のサイクルのなかで生きることに決して終止符を打とうとはしません。

 出家するのは、そうたやすいことではありません。そのためには、まず、自分の心を落ち着かせる決意をしなければなりません。さらに、修行の実践に対して確信がなければなりません。すなわち、好きな対象と嫌いな対象のどちらにもうんざりし、真理にしたがってものごとを見るようになるまで、実践をつづけるだけの確信がなくてはなりません。私たちは普通、嫌いなものに対してだけ不満を感じます。そして何かが好きなときには、それを手放すのを嫌がります。私たちは、嫌悪する対象と愛好する対象、苦しみと幸福の両方に対して、あきあきして、うんざりするようにならなければなりません。

 このことがまさにダンマ(法)の真髄であることをあなたは知りません。ブッダのダンマ(法)は深淵で精妙です。理解するのは容易ではありません。真の智慧が生じなければ、理解出来ません。あなたは未来にも過去にもきちんと目を向けていません。幸福を味わうと、これから先もずっと幸福のみがあると考えます。苦しみを経験すると、これから先もずっと苦しみのみがあると考えます。大があればいつでも小があり、小があればいつでも大がある、ということを理解していません。そんなふうには物事を見ないのです。ただ一面しか見ず、それが果てしなく続くと思っています。

 すべての物事には二つの面があります。あなたは両面を見なければなりません。そうすれば、幸福が生じたときに、夢中になることはありません。苦しみが生じても、途方に暮れることはありません。幸福が生じたときに、苦しみのことを忘れません。なぜなら、これらが相互に依存しているのを知っているからです。

 同じことは食物にも言えます。食物は、すべての生き物の身体を維持するうえで有益なものです。しかし実際には、食物が有害になる場合もあります。たとえば、食物のせいで、胃がさまざまな失調を起こすこともあるのです。何かの利点を見るときには、不利な点にも気づかなくてはなりません。

 逆もまた同様です。憎悪や嫌悪を感じたならば、慈しみと智慧についてじっくり考えるべきです。そうすれば、あなたはもっと安定し、あなたの心はいっそう落ち着くことでしょう。
 ※アチャン・チャー『Bodhinyana』よりまとめました。

○アチャン・チャー〔1918-1981〕略歴
 アチャン・チャー(アチャンとはタイ語で先生、師の意味です)は北東タイの田舎の村で、大きくて豊かな家庭に生まれました。青年期の初期に沙弥となり、ニ十歳になると、沙門としてさらに上の段階の戒を受けました。若い僧だったときに、法と戒と経典の基礎を勉強しました。その後、禁欲的森林派の伝統を受け継ぐ地元の瞑想の達人数人から指導を受けて、瞑想の修行をしました。何年もの間、禁欲的な僧の流儀に従って、森や洞窟や火葬場で眠りながら放浪し、そして、短期間ですが啓発的な期間を、二十世紀に最も有名で尊敬されたタイの瞑想の達人の一人であるアチャン・ムンの下で過ごしました。
 何年も旅と修行に費やした後、生まれ故郷の村の近くの鬱蒼とした森に定住してくれとの誘いを受けました。この森には人が住んでおらず、コブラとトラと幽霊の場所として知られており、そのため、アチャン・チャーの言葉を使うと、森の僧にとってこの上ない場所でした。アチャン・チャーの教えを聞きに来て、その下で修行をするために滞在する比丘や比丘尼や在家の信者の数がどんどん増え、ついには、アチャン・チャーを中心とする大きな寺院が形成されるに至りました。今では、タイ、イギリス、そしてオーストラリアに40以上の山と森の末寺があります。
 アチャン・チャーの素晴らしく簡単な教え方は、人を誤らせることがあります。あることをアチャン・チャーから何回も聞いてから、突然心が成熟し、どういう訳かその教えが遥かに深い意味を持つようになるということがよくあります。時と場所、そして聴衆の理解度と感受性に応じて法の説明を変えるアチャン・チャーの巧みなやり方には、目をみはるものがあります。しかし、活字になってしまうと、一貫性が無かったり、矛盾しているように思える場合があります。そのようなときには、読者はこうした言葉は生(なま)の経験の記録だということを思い出すべきです。同様に、教えが伝統から逸脱しているように思える場合があったとしても、師は常に心から、師自身の瞑想経験の深みから話をしているということを心に留めておくべきです。(つづく)
(文責:翻訳部)