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月刊サティ!|ヴィパッサナー瞑想協会(グリーンヒルWeb会)

巻頭ダンマトーク

『懺悔物語 ② -悟れないのか…-』

 ★タイの僧院で修行していたとき、どうやっても悟れないと心の折れかかった比丘が、惰性で修行を続けていた。黄昏時に長時間の座禅から立ち上がり、回廊の手すりに両肘を突き、虚ろな眼で夕陽の残照を眺めながらペットボトルの水を飲んでいた。
 『今日も虚しく暮れていくのか……』という内語が聞こえてくるかのような、たまらなく寂しい悲しい波動が全身から漂っていた。夜の闇が迫り黒ずんだ夕焼けを背景にシルエットになって浮かび上がっている姿を何度も目撃したのは、この比丘のすぐ隣に私のクーティがあったからだ。
 外国人の私が寺に入り必死に修行している姿を見て刺激され、断念していた修行を再開したのだと私に教えてくれた修行者は、「He is a hopeless monk.(彼は道を見失っている)」と評していた。
 今世で悟れる見込みはまったくないが、何度生まれ変わっても必ず解脱する!と明るく、前向きに眼を輝かせている比丘も多いのだが、負け戦と知りながら投げやりに出陣する将のように打ちひしがれた比丘にも何度も会った。


 牛歩のごとく漸進的ではあっても、日々修行が進んでいく手応えがあれば、仏道を歩み抜く覚悟が揺らぐことはないだろう。モチベーションが維持されるのは、通常は脳の報酬系が刺激されるからだ。ワクワクする結果や褒美があれば頑張れるのだ。
 報酬系の問題点は、快情報が得られなくなるとアホくさくなり止めてしまうことだろう。しかるに褒美なしで始めたお絵描きや瞑想修行は、ただそのことが好きだから続けるという展開になることが多い。
 心が折れるのは、報酬系よりも、もっと積極的にネガティブな出来事が経験されたからではないか。妨害要因に打ちのめされるのは不善業の帰結であり、カルマの問題である。


*妨害要因


 「カルマの悪い人は今世では悟れませんから……」と修行を諦めていく人がどのくらいいるのだろう。必要十分な徳がなければ、解脱はおろか出家することも、10日間のリトリート(集中修行)に入ることすら難しい。衆善奉行を旨として、あらゆる善行を心がけて波羅蜜をたくわえ、円滑現象の流れに乗れる因を作るのも修行の一環である。
 善業の力で修行態勢に入れても、修行の妨害要因である五蓋に襲われ悩まされて集中できないのは不善業の結果と心得なければならない。
 五蓋の①「瞋恚」も、②「欲貪」も、③「掉挙&後悔」も、④「惛沈・睡眠」も、⑤「疑」も、原因や切っ掛けもなしにデタラメに発生してくるのではない。悪業が因となり、寺に入ってからも不祥事に巻き込まれてイラついたり、不満や後悔、落ち込み、痛み、眠気……と次々と浮上し、想いが乱れ、サティが乱れるのである。
 インストラクタ-として五蓋の対応策は数々用意してあるのだが、万策尽きて手の打ちようがなくなる時もある。掉挙(妄想多発)や痛みの場合もあるし、異様な惛沈・睡眠がどうしても消えないケースも多い。
 スリランカ屈指の名僧ニャ-ニャナンダ長老の下で指導を受けるまでは、そうした最悪のケースにはお手上げだったのである。
 何かの不善業だろうと推測はできても、さてどうしたらよいのかが分からないのだ。タイやミャンマ-では、ひたすらサティの修行に専念するように、という指導ばかりであった。だが死ぬほど頑張ろうとも、修行が頭打ちになってしまえば、いかんともしがたいのである。


*信仰と懺悔



 スリランカに来て驚いたのは、懺悔が本格的な瞑想修行の一環であることを厳しく教えられたことである。
 いつの世も煩悩のエネルギーを力いっぱい放ちながら生き、煩悩の心で死に、再生すると再びその煩悩を引き継いで輪廻を繰り返してきた私たちである。自覚しようがしまいが、不善業を作らなかった人はひとりもいないのだ。悪業の負のエネルギーを相殺しながら、修行を阻む要因を取り除いていかなければ修行の成功はおぼつかない、というのである。


 カルマの世界を貫いているのはエネルギー不滅の法則などの物理法則である。過ちを犯し不善業を作ってしまったならば、正反対の善なるエネルギーを出力することによって正しく修正し、償うのが懺悔の修行である。
 悪をしても神を信じれば、神が罪を赦してくれる。「神を知らずに犯したあなたの罪科は、唯一絶対の神の存在を知った今、全て消滅する」などと言われれば、感動し、嬉し涙にむせび泣きながら入信するかもしれない。
 だが、体験に裏打ちされていない「根拠なき信仰」を維持するのは難しい。疑惑が生じれば、抑圧されていた罪業感が浮上して苦しむだろう。何よりも、それまでの悪業が縁に触れて現象化すれば様々なドゥッカ(苦)が襲来するだろうし、そうなれば神に赦され守られているという信仰が揺らぐのではないか……。


 信仰は、常に疑惑との戦いである。科学的根拠で実証されたものを「信仰する」とは言わない。存在証明できない神を信じるか否かが問われるのだ。
 「お母さんは女性だと信じている」「今日も夕方になれば陽が沈むのを信じるね」「手を放せばガラスのコップが床に落ちて割れるだろうと僕は信じています」などと言うだろうか。
 私たちは、事実として確定しているものを信じ仰ぐことはしない。実証されず、不確定なものに対して、信じるか、信じないか、という信仰の問題が発生するのだ。かのマザーテレサですら、晩年、いくら呼べども沈黙し続ける神に対する疑念に悩み苦しみ抜いたことが赤裸々に告白されている。信仰に内在する根本的な問題だろう。


 しかるにヴィパッサナー瞑想は、およそ信仰の世界とはかけ離れていて、科学の実証性との親和性が深い。理系の瞑想者が多い所以だろう。
 存在証明できない不確かなものを信仰することには、限りなく妄想に近い際どさがある。「神は、存在しないが故に万能であり得る」とさえ考えられる。あらゆることが解釈の問題で片づけられるからだ。
 この世の事象が生滅変化しているのは、神の意志によって差配されているからではなく、物理法則や業の法則に則った因果性に支配されていると見た方が理にかなっているだろう。
 生命を傷つけたなら命を慈しみ、奪い取ったなら与え、傲慢に人を見下したなら謙虚に身を低め、敬うべき人を敬う心のエネルギーを放つ……。
 不善業とは、過去に出力したネガティブなエネルギーが現象化することによって、苦受が経験されるのを待っている状態である。
 何もしなくても、苦を受ける瞬間に因果がひとつ帰結するのだから、ひたすら苦しい人生に耐えていくのもよい。だが、積極的に不善業のエネルギーを抹消していくやり方もある。
 どんな不善業に対しても、まず非を認め、反省して謝罪することから始めるのが懺悔である。殺し、盗み、欺き、裏切って、人に苦しみを与えた行為を潔く認めて謝るのだ。さらに、人に苦を与えた行為が不善業を作ったのだから、正反対の楽受や幸福を与えれば相殺されるだろうと考える。


 愚かな人は、訳も分からずただ苦受を経験することによって無自覚に不善業を返済している。賢い人は、懺悔の修行によって、不善業のエネルギーを相殺する方向を目指すのだ。
 訳も分からず苦受に耐える人は、無知ゆえに同じ過ちを繰り返すだろう。不善業の再生産がエンドレスで繰り返される所以である。
 因果の理法を心得た人は、懺悔の修行によって苦の発生メカニズムに終止符が打てる可能性がある。懺悔修行は、明晰な構造的理解に支えられてなされるのが望ましい。


*心の解放


 懺悔は不善業を根本的に解消していく最初の修行である。懺悔のカルマ的効果の事例は枚挙に暇がないが、その前に、なぜ懺悔が瞑想修行たり得るかを考察してみよう。
 まず何よりも、懺悔をすれば心が安らぐという効用がある。
 どんな人も、悪いことをして良心の呵責をまったく感じない、完全にゼロということはあり得ない。自覚に上ろうが上るまいが、たとえ1パーセントでも良心が痛み、自責の念が潜在意識に影響を及ぼしているはずである。人間とは、そういうものだ。
 ライオンが殺生をしても、微塵も罪業感を覚えることはないだろう。ライオンにとって殺すことは生きることであり、それに対して否定的印象を形成するようにはそもそも設計されてはいない。しかるに人間は、殺しや盗みや嘘に対してネガティブな印象を持つように刷り込まれており、悪いことをすれば心が翳り、微弱であっても良心の呵責に苦しむのだ。
 その証左が、心の抑圧である。悪いことをしたというネガティブな印象を自覚するのは苦しいので、自動的に抑圧して眼を背けようとするのだ。これは学んで身に着けたものではなく、誰の心も自動的にそうしてしまうものであり、万人に普遍的である。


 かくして心の葛藤が多層的に複雑化していく。人の心は常に矛盾した命令が葛藤を起こすように設計されている。本能の脳が命令する貪瞋痴を、大脳の新皮質が制御するように命じてくる。「やりたい」と「やってはいけない」の永遠のバトルが繰り返されるのだ。
 のみならず、利己的な煩悩反応を否定し抑圧する第二の葛藤が意識下で絶えず展開している。かくして人の心は落ち着かず、翳り、一点の曇りもない青空のように澄み切るのが難しくなる。最清浄の心を目指す瞑想者が戒を厳守しなければならない所以でもある。
 生きていくことは汚れることであり、日々黒いものが心の底に沈殿していく。海底の泥を浚渫するように、懺悔の瞑想は人の心を浄らかにしていく。


 女遊びの居直り論を展開しながら放蕩していた男が、老いさらばえてヨイヨイになった頃「妻には苦労の掛けどおしでした」などと言ったりするが、遊蕩していた時代でも、本心では妻に対する罪業感を抑圧していたはずである。
 眼を背けるためには、自分を客観視して内省的に振り返ってはならない。その反対に、次々と新しい刺激を外界に求めて我を忘れ、自身の内奥の心を自覚しないようにするのだ。これが、悪事をはたらき、遊興に耽り、暴力と色と欲に溺れる無頼の徒の心中である。
 ギンギンの強烈な原色の世界で生きている渡世人や煩悩マンは、些細な罪業感など屁とも思わず無視することに長けている。
 だが、瞑想者はそうはいかない。心に刺さったわずかなトゲのようなものですら、瞑想の修行には多大な影響を及ぼしてしまうのだ。五蓋の遠因であり、サマーディの完成を阻げる妨害要因になってしまう。
 心を完全に清浄にするというのは並大抵のことではない。生きていくだけで汚れていく心を守るには、諸悪莫作、衆善奉行、自ら心を浄め、総力戦で力を尽くさなければならない。どのようにか。懺悔の瞑想によってである。
 懺悔が本気でなされるとき、心的状態は一変する。本当に非を認め詫びる気持ちになった者の心は、善心所で満たされ安らぐのである。修行が進み始めるのだ……。(以下次号)

Web会だより

『怒りの根源の発見』(3) K.M.

(承前)
 地橋先生からのインストラクションで、「怒りの根源は幼少期の愛着障害にあると思われるので勉強するように。」とアドバイスいただき、愛着障害の本を読み、幼少期を振り返りました。

幼少期の振り返り
 自分が生まれた時の家族構成は、曾祖母・祖父母・両親・まだ嫁いでいなかった叔母の7人家族でした。曾祖母は私が1歳になるかならないかの頃に亡くなり、私が生まれて2年後に弟が生まれ、叔母は私が幼稚園の頃に嫁ぎました。祖父母は海苔の養殖、あさりの採取で収入を得て、父は会社員、母は祖父母の手伝いをし、冬は牡蠣の打ち娘(牡蠣のむき身作業に従事する者)で収入を得ていました。そんな経済環境の中、祖父母は朝早くから海に出て、海苔やあさりを採取して、海苔の加工やあさりをむき、むいたあさりをリヤカーに載せて隣町まで売りに行っていましたし、嫁いだ叔母達も手伝いに来ていました。母親は家業の手伝いは勿論ですが、祖父母の食事や洗濯、父の世話、家事全般をこなしていました。
 この様な状況だったので、母親も忙しく、愛情を受けたという記憶はほぼありません。祖父は寡黙なタイプでしたし、明治生まれの男だからか、存在はしているが接触という面ではあまり記憶がありません。祖母は私が内孫の男の子で跡取りの孫ということで、凄く可愛がってくれました。後年弟から、「おばあちゃんの兄貴に対する可愛がり方は、自分や他の孫たちとは全然違っていた」と言われました。父親は口数少なくて、怒られた記憶もないし、可愛がられた記憶もほぼありません。言えば、放っておかれた感じです。
 この様な、同居家族との関係の中、自分にとって悲しかったこと、気を使かわなければいけなかったことは、母親と祖母の関係です。俗にいう「嫁姑問題」です。表立って喧嘩をするわけではないのですが、母親と祖母は仲が悪く、仲良くしているところを見たことはありません。話をするにしても、事務的な感じの印象しかなく、両者が他の人と話をしている感じと、当人同士が話をしている感じは、幼い私が見ても明らかに違うとわかりました。
 よく祖母が私に昔話風にして、「酷い母親がいて子供を山において帰る」と言う内容の話を聞かされました。酷い母親とは私の母親であり、山に置いて行かれる子供は私であるということだと、子供心に薄々わかりました。
 そんな嫁姑関係や家業や家事の忙しさで、母親もイライラすることが多かったと思います。よく私は怒られていました。タイミング悪く私が母親に怒られているところを祖母が目撃して、「怒るなんてそんな酷いことしなさんな」と言って祖母が私を母親から引き離しました。母親は黙ってその場を去りましたが、子供心に、「これはいけない、やばいことになった」と思いました。案の定、その後母親が現れて、「あんたのせいで祖母にあんなことを言われた」と言われて、引きずり回されました。よく母親に怒られてはいましたが、そこまでの仕打ちは受けたことはありませんでした。
 兎に角、母親と祖母の二人に関しては、母親に対しては、自分が祖母と仲良くしているのを見せてはいけない、気づかせてはいけない。祖母に対しては、自分が母親と仲良くしているのを見せてはいけない、気づかせてはいけない。と警戒するようになっていました。
 そして、母親と祖母が「どう思っているか?何を考えているのか?」を気にするようになっていました。
 そんな祖母も私が小学生5年の時に癌で亡くなりました。亡くなる前に、いとこ達で病院にお見舞いに行きましたが、そこには別人の様に顔色が悪く痩せた祖母がベッドに寝ていました。誰かに言われて祖母の足を摩ってあげましたが、祖母は何も喋ることはなく、ただ別人の顔で私を見ていました。もう、喋る気力もなかったのか、祖母が私に喋りかけてくれない悲しさと、もしかして嫌われた?という不安。そんな混沌とした気持ちだったのを覚えています。
 可愛がってくれ、一度も怒られたことのない祖母が亡くなったと知らせが届き、当然悲しかったのですが、そんな時に母親にこんなことを言ってしまったことが今でも忘れられません。
 「おばあちゃんが死んでよかったね」
 祖母が亡くなったから母親は楽になる! もうどちら(母親と祖母)にも気をつかわなくてもいい! そんな気持から口をついて出てしまったのか? もしかしたら、両者(母親と祖母)に挟まれ苦しんだ怒りからか? 母親からの返答はありませんでした。理由はなんであれ、言ってはいけないことを言ってしまったと、今でも後悔しています。
 中学生になった頃、反抗期になる時期でもあったとは思いますが、母親にきつい言葉をかけるようになりました。何故かしら苛立って腹立たしく母親に反抗していました。弟からは「あの頃の兄貴はおふくろに対して酷い言葉を浴びせていた」と言われました。思い返せば、弟が母親にきつい言葉をかけるのを見た記憶はありません。高校生、大学生の頃は、中学生の頃の様なきつい言葉を浴びせることは無かったのですが、心はやるせない寂しさに包まれた感覚がつきまとっていました。大学を卒業して就職・結婚と歩みましたが、素直に母親に接することはできませんでした。親孝行してあげないといけないと思いながらも、素直に言えない、何か気持がぎこちない、そんな感覚でした。
 この様な幼少期の家庭環境や親子関係を経て、母親に対する怒り(優しくして欲しかった)・父親に対する怒り(祖母と母親に挟まれた自分を何とかして欲しかった)・祖母に対する怒り(母親に優しくしてあげて欲しかった)・祖父に対する怒り(家族の関係を何とかして欲しかった)等が根底で巣くっていて、愛着障害が心の反応パターンを作り上げていると納得するに至りました。
 それから、幼少期に愛情を得られないことによる影響(愛着障害)がいかにその後の人生に影響を与え続けるものかということも痛感しました。(続く)

サンガの言葉

覚りの道への出発 2022年3月号

 1月号より、2008年2月号から連載されましたアチャン・チャーによる1978年レインズでのリトリートの半ば、夕べの読経の後に行われた新参の修行僧を対象とした非公式の法話を掲載しています。今月はその第3回目です。

 3.たゆまぬ努力
 心の働きを止めることが出来るようになるまで、そして静寂に達するまでは心はただ前と同じことをくり返すだけです。だから師(ブッダ)はおっしゃったのです。
 「とにかく続けなさい。修行し続けなさい」(以上3行は2018年1月号に掲載しました)
 私たちはこのように考えるかもしれません。
 「私たちがまだ正しく理解していないとしたらいったいどうやって修行が出来るのでしょうか」
 正しく修行が出来るまでは智慧は生まれません。だから修行を続けるのです。私たちが留まること無く修行を続ければ自分がしている行為について考え始めるでしょう。修行について深く考え始めるでしょう。
 何ごともすぐには起こりません。だから始めは修行しても結果が出ないのです。この点についてはちょうど良い喩えがあります。私は二本の木の棒を擦りあわせて火を点けようとしている男の喩えをよく使います。その男は独り言を言います。
 「こうすれば火が点くって言っていたな」
 そして熱心にこすり始めます。休むこと無くこすり続けますが辛抱が続きません。男は火を点けたいと望みます。望み続けます。でも火は点きません。がっかりして手を止めしばらく休みます。そしてまたこすり始めますが、火はなかなか点きません。それでまた休みます。そのうち熟は冷めてしまいまいます。男は十分こすり続けなかったのです。何度もこすりますがそのうち疲れてこすることをすっかり止めてしまいます。疲れただけで無く、落胆がいっそう強くなり、すっかり締めてしまいます。
 「火なんか点かないぞ!」
 実際はちゃんとやることをやってはいたのですが、火を点けるに十分な熱が無かったのです。いつでも火をつけることは出来たのですが火が点くまでこすり続けなかったのです。
 修行においてもこの種の経験は瞑想者を落胆させます。そして瞑想者は修行法を次から次へと変えていきます。私たちも修行の中で同じような経験をします。誰でも同じです。なぜでしょう。なぜなら私たちは未だに煩悩に基づいているからです。ブッダにも煩悩はありましたがこの点に関してはたくさんの智慧を持ち合わせておられました。ブッダも阿羅漢方も俗世間の人間であったうちは私たちと同じだったのです。
 私たちが俗人である限り正しく考えることは出来ません。それで欲求があってもそれに気付かず、欲求がなくてもそれにも気付きません。時に私たちは心かき乱され、また別の時には充足を感じます。欲求のない時は充足感を得ますが、混乱も同時に生まれます。欲求のある時にはまた別の種類の充足感と混乱が生じます。このようにして混ざりあってしまうのです。

4.己を知り、他者を知る
 ブッダは私たちの体を対象にして瞑想することを教えられました。例えば頭髪、体毛、歯、皮膚など……休全体を対象にします。どうぞ見て下きい。今ここで探究するようにと教えられています。私たち自身の中に、これらの体の構成要素をあるがままに明瞭に見て取ることができなければ自分以外の人々について理解することも無いでしょう。
 しかしもし自分の体の性質を理解し、明瞭に見ることができれば、他の人々に対する疑いや迷いは消えるでしょう。なぜなら体と心(名と色)は誰でも共通だからです。世界中の人のすべての体を調べる必要はありません。御存じの通り他の人々は私たちと変わるところは無く、私たちも他の人々と変わるところはありません。このように理解すれば私たちが背負う重荷はずっと軽くなります。このような理解が無ければ私たちが何をしても重荷を増やす結果となります。自分以外の人々の事を知るために世界中の人間の所に赴いて調べることも出来なくはないでしょう。でもそれは極めて困難です。すぐにあきらめることになるでしょう。
 私たちの戒律(Vinaya)もこれと同じです。Vinaya(修行僧の守るペき規範)を見ると私たちはとても難しいと感じるのです。私たちは全ての戒律を守り、これを学び、自分の修行が戒律に適っているかどうか吟味しなければなりません。戒律のことを考えると「ああ、これは不可能だ」と思うのです。
 無数の戒律条項の意味を読み取りますが、戒律についての私たちの気持ちに単純に従えば、すべての戒律を守るのは私たちの能力を超えていると思っても仕方がないでしょう。同じように戒律に取り組む者は誰でも同じ気持ちを抱きます。とにかく戒律条項が多いのです。
 経典によれば私たちはすべての戒律条項それぞれに照らして自らを吟味し、またそれらを厳格に守らなけれぼならないとされています。私たちはすべての戒律を知って完璧に注意を払わなければならないのです。これは他者を理解するためには全ての人間の所に赴いて徹底的に調べなければならないと言うのとまったく同じです。これは大変厳しい考えです。そして伝えられたことを文字通りに受けとるからこのようなことになるのです。もし教本に従うならば私たちの進むべき道はこれ以外にありません。指導者の一部はこのように教えます。経典に書かれていることを厳格に順守しなさいと。しかしこのようなやり方はうまくいきません。
 実のところ、このような理論を学んでしまうと私たちの修行はまったく進まなくなるでしょう。実際私たちの「信」は消え去り、正しい道への信心は壊れてしまうでしょう。なぜなら私たちはまだ正しく理解してはいないからです。智慧があれば全世界の人々はただこの一人の人間に集約すると理解するでしょう。
 すべての人々はまさにこの生命と同一なのです。だから私たちは自らの体と心について学び、熟考します。私たち自身の体と心の性質を理解することですべての人々の体と心を理解することになります。こうすることで修行の重圧は軽くなるのです。
 ブッダは自分自身を教え導くようにと説かれました。自分以外の誰も私たちを教え導くことはできません。私たち自身の存在の性質を学び理解することで、すべての存在の性質を理解することになります。実際、存在するものはすべて同じです。私達はみな同じ“造り”で、人類という同じ集団から出てきています。違うのはただ色合いだけ、ただそれだけです。先ほどお許した“Bort-hai”と“Tum-jai”(タイの薬)とよく似ています。どちらも鎮痛剤で同じ働きをします。でも一つは“Bort-hai”と呼ばれ、もう一は“Tum-jai”と呼ぼれます。実際は何の違いもありません。
 あなた方がものの見方を一つにまとめあげるにつれて、物事を理解するのがより一層容易になってくるでしょう。私たちはこれを“手探り”と呼びます。私たちはこのように修行を始めます。いずれこのような物の見方に熟達するようになるでしょう。修行を続ければやがて理解に到達するでしょう。そしてこの理解が生じた時に真実をはっきりと見て取ることになるのです。