1.はじめに
慈悲の瞑想は、サティの瞑想と並行して習得していかなければなりません。
慈悲というのは仏教の究極の概念です。慈悲の瞑想が完璧にできるようになることが、ヴィパッサナー瞑想の究極の目標にもなっています。
慈悲の心を育てるとは、具体的には慈悲喜捨という4つの心を成長させ完成させていく修行です。しかしこれを完全に体現することは、悟るのと同じくらい難しいことなので、完成は遠い目標として、できるだけ近づいていこうということになります。
慈悲の瞑想とサティの瞑想には、どんな関連性があるのでしょうか。
まずサティの瞑想は、現在の一瞬一瞬に気づくことによって、事実をあるがままに観ていく修行です。これがうまくいくと、先入観や思い込みがカットされ、情報が編集されたり歪曲されなくなるので、事実が正確に観えてきます。また、心の癖で反射的に反応してしまうのが抑えられます。ものごとを正確に観ることと、心の反応パターンを組み換えることで、心の清浄道に繋げていこうという修行です。
人の心は千差万別なので、自分がこれまで培ってきた心の傾向、つまり心の反応パターンがサティのクオリティに深くかかわってきます。もし反応系の心がこれまでと何も変わらなければ、サティの技術によって反応を一時停止させることは上達しても、心はあまり成長していないという感じが否めないでしょう。ネガティブな反応が立ち上がるのを止めているだけでは、自分の心の汚染に気づきづらくなりかねません。
サティの修行というものは、自分の心が真っ黒に汚染されていることを自覚して衝撃を受けることによって、心の清浄道を推し進めるものなのです。そして、反応系の心が少しでも善い方向へ向かうことによって、慈悲の瞑想が深まっていくことになります。
2.慈悲の心を育てるポイントは怒りの超克
慈悲喜捨の基本的説明は拙著を参照していただくとして、ここでは、どうしたら慈悲の心が育っていくかということについて考えてみたいと思います。
慈悲の心が育つために一番大事なのは、怒りを乗り超えていくことです。慈悲の心の正反対は、怒りなのです。だから怒りが超克されれば優しくなれるし、慈悲の心が育ってくるという流れです。
怒りというのは「対象を嫌う心」と定義されるように、怒り系のグループにはさまざまな心が含まれています。「嫌悪する」「激怒する」「嫉妬する」「後悔する」、「悲しみ」も「物惜しみ」も、すべて怒りから派生している心です。
「悲しみ」を例にあげれば、愛する人を失ってしまったが、どうしてもその状況が受け容れられない。この状態は嫌だ。否定したい。打ち消したいが、どうにもならない。でも嫌だ、と現状を厭う心が怒りなのです。愛する人を奪ったのが人為的な事故や事件などであれば、加害者に怒りをぶつけることもできるでしょう。しかし自然災害や、本人の意志による失踪や自死であれば、怒りのやり場がありません。誰にも怒りをぶつけることができず、ただただ情けなく、悲しい……と怒りが陰に籠った表われ方になるのが「悲しみ」です。受け容れるしかどうしようもないのだが、嫌だし、否定したいが、それもできない無念さが、「悲しみ」として怒り系の心に分類されるのです。
優しく慈しみ、調和させ、まとめる働きが慈悲の心です。壊すエネルギーが本質の怒りとは正反対なので、怒りをいかにして乗り超えるかという問題に取り組まないと、慈悲の心が発露しづらいということです。
3.怒りとグリーフケア
グリーフケアという言葉があります。グリーフという英語は、深い悲しみや苦悩を表わす言葉です。例えば、愛する家族やかけがえのないものを失ったり、災害や大事故などで家屋や財産、これまで築き上げてきたものが一瞬にして崩壊してしまったり、自分のせいで子供を死なせてしまったという罪悪感など、非常に強烈な、埋めようもない深い悲しみに襲われて圧倒されてしまう状態です。
そんなグリーフに打ちのめされた人達が立ち直れるように支援する営みを、グリーフケアと言いますが、そういう仕事に携わっている方々がいます。例えば、カトリックのシスターで、グリーフケアの第一人者と言われる高木さんという女性です。この方は、阪神大震災で家具が倒壊し即死寸前のところを助かって、それがきっかけでグリーフケアを始めたらしいです。
この方が紹介されていた事例に、ある婦人が夫を亡くして深い悲しみに暮れている時、ご近所の方が慰めてくれるというシチュエーションだったのですが、「あなたなんか、まだいいほうよ。夫なんかどうせ赤の他人なのだから、代替えがきくわよ。……私なんか子供を喪ったのよ。子供は、もう帰ってこないのよ。取り換えがきかないのよ」と言われてしまったというのです。だから、そんなに嘆くことはないのだ、というようなことを言われ、ものすごいショックを受けたというのです。
そう言い放った方は、子供を亡くしてから12、3年経っているのだそうです。12、3年経っても自分の中のグリーフという悲嘆が終わりにできず、怒りが渦巻いていたのです。悲しみが昇華されず、怒りのエネルギーとしてこういう冷たい態度になってしまうこともあるのです、と高木さんは語っていました。
一昔前なら大家族が普通だったし、地域の共同体がお互いに声をかけ合い、助け合う社会システムだったので、深い悲しみというものをちゃんと聞いてくれる人や受け止めてくれる人がいて、グリーフケアがうまく機能していました。しかし今は、個人主義が嵩じた閉鎖的な集合住宅や、核家族、お一人様が多数派となり、人のつながりや絆が希薄になって、殺伐としたご時世です。孤立した家族や個人がかってに群れている社会で、かけがえのない人を喪ったり、圧倒的な悲嘆や不幸に襲われると、たった一人で抱え込んでしまった悲しみを乗り超えるのが難しくなっているのです。それゆえに、そうした方々のために新たなシステムとして、グリーフケアをやっていかなければいけないのではないかということです。そうした活動の先駆者とも言うべきお一人が高木さんという方なのです。
高木さんは、あまりにも深い悲しみに襲われている方には慰めようがなく、見守るしかないようにも言われていました。むしろ下手に慰めの言葉をかけると、逆にキレてしまうとか怒りを誘発してしまうのだそうです。
私自身が直接お話を伺ったースでも、ほぼ同じような印象でした。50代で突然、夫を亡くした方が、娘さんに連れられて瞑想会に来られたことがあります。その方が仰っていたのですが、いろいろな人が慰めてくれたけれど、誰に対しても怒りが出たと言ってました。何を言われても、「あんたに何がわかるのよ!」と感じたそうです。
ただ、そんな全員討ち死に状態の中で、一人だけ怒りが込み上がらなかった人がいて、その方はこのようなことを言ったそうです。
「私には経験がないから、あなたがどんな悲しみにくれているのかわからない。どうして良いかわからないから、想像するしかありません。あなたの気持ちは決して私にはわからないけれど、本当に大変なことだと思います」と。
こう言われた時だけは怒りが出なかったと、この未亡人は言っていました。
結論を申し上げますと、重度の悲しみは一人では乗り超えづらく、悲しみの深さを分かってもらいたい、共感してもらいたい、あるいは、自分の人生を誰かに肯定してもらいたい、という思いがあるのです。そして、もしその悲しみが完全に受容でき、乗り超えられたならば、逆に、普通の人以上に優しさが現れてくるというのがだいたいのパターンだと言われています。
悲嘆に限らず、劣等感やトラウマなど、強いネガティヴな情念が手放せない状態になると、人は優しくなれない法則があり、真の慈悲の発露が難しくなるのです。
優しさからエゴが引き算されると慈悲になっていくのですが、慈悲が体得されるためには、グリーフという悲嘆も含めた怒り系の心をすべて乗り超えていくことが求められます。怒りが手放されていく度合いに比例して、究極の優しさである慈悲が露わになっていくでしょう。
4.人を癒すセラピー犬、チロリ
セラピードッグという介護犬がいます。「日本アニマルセラピー協会」など、訓練された介護犬の癒しの仕事を支援している団体があるのです。誰に対しても完全に心を閉ざしてしまった孤独で意固地になった介護施設の老人が、セラピー犬とジーッと目を見つめ合いながらアイコンタクトを取っているうちに、いつの間にか笑い出したり、犬の頭をなで始めたり、動物ならではの癒しの仕事を立派にやり遂げてしまうのです。
人間同士だったら、一定秒数以上の長いアイコンタクトは無意識に避けてしまうものですが、犬だけはジーッと瞳の奥をいつまでも見詰め続けてくれるのです。視線が合っただけでドーパミンなどの快感ホルモンが分泌されることも知られていますが、犬には、人間にできない不思議な癒しの仕事ができるのです。あらゆる家畜化された動物の中で、犬以上に人間と心を通わせ合える動物はおりません。
アメリカや英国の刑務所や少年院で、虐待された犬のドッグトレーニングを更正プログラムの一環としているのをテレビでご覧になった方もいると思いますが、こうしたことは非常に難しいことなのです。なぜなら、人間でも犬でも、幼い時に虐待などの悲惨な目に遭うと、どうしても優しさとは正反対の怒りタイプになってしまうものです。しかし、そうしたネガティブ体験を乗り超えることができると、今度は逆に、素晴らしいセラピー治療のできる癒しの達人のような犬に生まれ変わるのです。
私がこれまでに最も深い感銘を受けたのは、日本初のセラピードッグとして活躍したチロリという介護犬でした。この犬は子連れの捨て犬だったのですが、後に国際セラピードッグ協会の会長になった大木トオルさんという方にめぐり合って、運命が変わりました。大木さんは、アメリカと日本を半々に二重生活をしているブルースシンガーでした。アメリカではセラピードッグのような活動が盛んなので、大木さんも共感して自費でセラピードッグの訓練センターを運営していました。
ある日、捨て犬だったチロリを廃墟の裏で子供たちが世話しているところに、大木さんが通りかかりました。放っておけず、大木さんもドッグフードを与えたり子犬の里親探しをしたりしていたのですが、とうとうチロリが野犬狩りにあってしまったのです。保健所では5日の間に引き取り手がないと殺処分になってしまうそうなのです。
大木さんが気付いた時にはもう4日目の夜で、明日必ず引き取りに来ますから処分しないでくださいという張り紙をしておいたそうです。そこの犬たちは捕獲された日によって仕分けられていて、1日目はただもう混乱して騒いでいますが、2日目、3日目になると次第に死に近づいているというのがわかってきて、4日目、5日目となるともう絶望的な感じになるそうです。犬というのは実に正確に状況を把握するのですね。
チロリは、今日殺されるという檻にいて恐怖で震えていたらしいのですが、大木さんが来たのを見つけたら尾っぽをちぎれるように振ったそうです。チロリはぎりぎりのところで助かりました。
チロリは雑種で短足でしたが、優しいかわいい顔をしていて、大木さんはチロリを飼ってあげたいとは思ったのですが、すでにシベリアンハスキーという大型犬を10頭くらい飼ってセラピードッグの訓練をしていたのです。そこへ野良犬だったチロリを一緒にするのは難しいと思われたようですが、とりあえず連れて帰りました。
大木さんが飼っていた犬の中のボスは、アメリカのドッグショーでチャンピオンになったほどのハスキー犬なのですが、チロリを犬舎に入れたところ、他の犬たちがワンワン吠えたのに、そのボスだけはおまえを受け入れてやるみたいに尾っぽを振って、仲間に入れてくれたといいます。そうすると、チロリはメス犬なのですがとても統率力があって、いつの間にかそこにいるハスキー犬の7割くらいを子分にしてしまい、その上にチャンピオン犬がいるという状況になってしまったそうです。
やがてボスのハスキー犬が癌になってしまいました。そしていよいよ死期が近づいた時に、このチロリが、ボスが歩くと一緒に歩き、止まると止まって、完全に寄り添って介護しているような動きを見せたのです。どこへ行く時でも付き添って励ましてやっているような様子を見た大木さんは、チロリにはセラピー犬としての才能があるのではないかと感じました。
セラピードッグはしつけ、訓練、服従という三要素からなる40科目くらいの訓練をクリアーしなければならず、どんなに優秀な犬でも1年くらいかかるそうなのです。ところがチロリはすごく頭が良くて、訓練を始めてみたら5か月で終了してしまい、日本初のセラピードッグとして認定されたということでした。
このチロリが大木さんにセラピードッグとしての才能を見出されるきっかけとなったのが、自分を初めて受け入れてくれるきっかけとなったボスが癌で死んでいく時に示した行動でした。大木さんはそこに、いわば犬の恩返しのようなものをどうしても想像してしまうということでした。もし、ボスが認めなければ、チロリはとうてい仲間に入れてもらえなかったのですから。
犬の世界というのはとても厳しいのです。実際、私がタイのお寺で修行をしていたときに目撃したのですが、寺に住みついた野犬グループの中にはリーダーを筆頭に明確な序列があります。もしそこに新しく野良犬が入っていこうとすると、リーダーを頂点とした群れの承認が得られないと仲間に入れません。毎日のように噛み合ったり吠え合ったり、強さによる順位の確認がなされ、餌を食べる時には厳然たる上からの順番となっています。最下位の犬は哀れなもので常に噛まれたりして、餌はほとんど無くなっていますから腐りかけたゴミを漁って、運が悪ければ食中毒で死にかけたりします。その苦しそうな悲しい鳴き声は本当に哀れな、凄まじいものでした。
それでも群れに入れなければ餓死するかも知れず、何よりも群れの仲間と共に生きていきたい本能のある犬にとって、孤独地獄は耐えがたい過酷なものなのです。ですから、チロリがボスに認められ受け入れられたことはすごくありがたい話で、それ故にチロリは懸命にボスの介護をしたようなのです。
遡って、大木さんがなぜチロリの世話をしようと決断したかを考えると、大木さん自身の境遇がチロリの境遇と重なってしまったというのです。小学校の時、大木さん自身が吃音のためにいじめにあって、家に帰ると飼い犬だけが尾っぽを振って自分の帰りを待っていてくれていました。そこに心の交流があって、どれだけ癒されたかわからないと言われています。また、12歳の時に一家離散の状態になってしまって、おじさんやおばさんのところにタライまわしにされ、ご飯をおかわりするにも遠慮がちというような子供時代を送られたということです。
つまり、少し足を引きずって、虐待のあとも残る捨て犬のチロリを見殺しにしたりせず、受け入れてあげる決断は、自分の少年時代の境遇と同じだというところから来たのです。どこにも行くところがない時の悲しみや苦しさ、自分自身のいろいろな体験が想起され、大変だけど引き取ろうという判断につながったわけです。
このように、トラウマがあったりマイナスの経験をした人が優しくなれるというのは、自分自身の痛みを通して他者の痛みや苦しみが理解され共感される構造になっているからだと考えられます。自分自身が傷ついてきたからこそ、苦しんでいる者への優しさにスイッチが入るきっかけになっているわけです。大切な人との死に別れの経験があれば、同じ経験をしている人に対して、ああ、この人は今あの悲しみを経験しているのだ……とわかるのです。これは、上から目線の強者の憐れみや慰めではない、心の底から共感できる力の源になっていると思われます。
5.悲嘆を乗り超える道筋
チロリも大木さんも、マイナスの体験を見事にプラスの切り札に転じていった癒しの達人のような存在になりました。しかし、いきなりそうなれる訳ではありません。他者を癒す力は、自分自身の悲しみや心の傷に向き合い、そのネガティブ体験を完全に乗り超えて癒される体験をしなければ得られるものではありません。
ブッダが「自ら浄められてから、他を浄めよ」と説いているように、深く傷ついた悲しみや苦しみや絶望にしっかり向き合い、あるがままに受け容れ、共感してもらい、癒され、解放されていく自然な流れに沿って、自己回復物語を完結させていかなければなりません。悲しみは必ず癒され、優しさの原点にもなり得るものですが、それなりのコストや時間が必要なのです。
悲嘆に繋がるような突然の出来事に遭遇した人は、ショックのあまりただただ呆然としてしまう時期があります。例えば、シスターの高木さんが看てきた事例では、若い母親が4歳の娘と横断歩道で信号待ちをしていて、いつもは幼い娘の手をしっかり握っているのですが、その時はたまたま荷物を持っていて子供の手を離していたのです。すると、まだ信号が赤なのにその女の子が飛び出してしまい、その途端にバイクにはねられ、3メートル近く飛ばされて母親の目の前で即死してしまいました。母親は完全に茫然自失、能面のように何の感情も出せない状態になってしまい、その後に続くお通夜やお葬式を、涙ひとつ流せないロボットのような感じで送られたそうです。
それからひと月ほど経った頃、高木さんと対面したこの母親は自分の心のすべてをぶつけて、娘は今どこにいるのでしょうか!?と訊いたそうです。高木さんはカトリックのシスターなので「私にはマリア様にしっかり抱かれて守られているように感じられるから大丈夫ですよ」と答えました。「見えているわけじゃないのですが、私にはそう感じられるのです」と。
そうしたら「本当ですかー!」と、若い母親はその場に泣き崩れ、号泣慟哭したそうです。この大泣きが大事なのですね。泣くべきところで、ちゃんと泣いて、情念を発露させ、解放する心のプロセスを経ないと、悲しみが抑圧されたまま心の奥底で凍結してしまうのです。そうすると、いつまで経っても心は冷たいまま、自覚に昇らない悲嘆という名の怒りが渦巻いて行き場がなくなるのです。
ですから、まず自身の悲しみに正面から向き合い、承認し、泣いて感情を吐露し、それを誰かに理解してもらい、受け止めてもらって、優しさを受けて癒される体験が必要不可欠なのです。自分をちゃんと受け入れてくれる存在との共感性の中で、悲嘆にトドメが刺され、真に癒され、自己回復物語が完結していくプロセスがあるのです。
悲嘆というのは非常なショックを受けると、そののち強い喪失感が襲い、閉じこもり状態を経て再生していくというふうに言われていますが、そうした流れのなかで共感というか、自分の存在を認め、自分の人生を肯定してくれる人に出会わないと、孤独と絶望を抱えたまま出口なしの心理状況になってしまいます。そうすると12年経っても、「あんたなんか、たいしたことないわよ」と口にするようになってしまうのです。
グリーフ(悲嘆)が乗り超えられないと、人は冷たくなる、と高木さんは言っていました。この冷たさは、悲嘆という名の怒りがいつまで経っても手放せないまま、心の深層で凍結して立ち往生している状態です。
さて、セラピードッグになるため、チロリは大木さんの訓練を他のどの犬よりも早くをクリアーしていったのですが、致命的な欠陥が露わになりました。それはステッキ状のものへの恐怖です。セラピー犬として、車椅子同様、松葉杖やステッキなど歩行の必需品に対する恐怖があれば致命傷です。おそらくチロリは、棒やステッキで虐待されたことがある、とにらんだ大木さんは、毎晩チロリを抱いて自分のベッドで一緒に眠りました。しかもチロリと自分の間には、恐怖の源であるステッキを置いたのです。
最愛の大木さんに抱かれているが、その間には恐怖のステッキが横たわっている。愛と優しさと恐怖が同時に存在しているのです。感銘を受けました。なんと見事な手法で、チロリの恐怖を抜き、人の優しさを伝えていったことか……と胸が熱くなりました。チロリの最大の難関は、このように突破されていったのです。この時の大木さんから受けた愛と優しさと心底からの共感が、チロリの心の傷を完全に癒したのではないかと思われます。
こうしてチロリの自己回復物語は完結し、晴れて日本初のセラピードッグとなりました。数えきれない多くの人に癒しを与えたチロリは、癌で亡くなる直前まで、フラフラになりながらも癒しの仕事に出かけるのを止めず、最後の瞬間まで優しさを発露しながら見事な生涯を閉じたのです。
人はさまざまな個人史のなかで、トラウマや劣等感もすべて含めたネガティブな体験をいかにして乗り超えるかという課題を負っています。その成否を決定づける要因は、自分の悲しみの深さに共感してくれる人との出会いにあります。自分の存在を丸ごと受け止め、肯定してもらえる人との関係性の中で癒され、自分を取り戻し、それが他の誰かに対する新たな優しさと癒しの発信に転じていくということではないでしょうか。(続く)