(承前)
こうして、刑務所の囚人が教師となって、チンピラの少年少女たちに次々と更生プログラムを施していくのです。黒人もいる。白人もいる。どの囚人もみんな見事なセリフ回しなのです。長年やっているから慣れているのでしょう。どの囚人にも感心してしまいました。
例えば「この新聞の切り抜きを見ろ!」と言って、実際に新聞を見せるのです。すると、たった刑期が3年か5年くらいの男が、首と胸と頭を刺されて殺されたという記事なのです。本当にこの刑務所の中で殺しがあるのだという証拠のような感じです。
「人間何年もこんなところにいると、犬の鳴き声も、鳥の声も、車のクラクションすら、ここでは忘れてしまうんだ。だが、忘れられない声がある。囚人が刺された時の叫び声だ。毎日聞いているから絶対忘れない」。
すると、少年少女たちは震えあがってしまいます。さっきまで凶悪な顔をして毒々しいセリフを言いまくっていたのが、茫然自失になってくるのです。
私が一番迫力があったと感じた囚人の男は「……ここへ来る前に、俺は、殺人も強盗も脅迫も放火も、誘拐も詐欺もやって、悪の限りを尽くしてきた。俺が、この刑務所でどんな目にあってきたか教えてやろう。俺は目をくり抜かれた。この通りだ!」。
本当に、目をえぐられているのです。しかも義眼が入っていないので、陥没しているのです。
「背中も腰も顔面もめった刺しだ!どうだ、お前らも同じ目に遭いたいか。あんまり殴られすぎて、俺の頭の中では、その音が鳴り続けているんだ。
ここでは、リンチだけじゃない。レイプもされるんだ。18歳の女が11回も暴行された。ヤキを入れられるんだ。看守に言いつけるか!やつらは8時間働いたら家に帰るだけだ。看守に言いつけたって何の意味もない。逆に復讐されるのが関の山だ。
お前ら、今のままで職について稼げると思っているのか!こんなところへ来たくなかったら、学校へ行け! 勉強しろ! 弾丸や鉄パイプで、刑務所の壁は崩せない。だが、教育なら崩せるかもしれない。
お前らは、昔の俺だ。そして今の俺たちが、お前らの将来だ。そのまま俺たちのようになりたいのか!」
これが、間合いといいセリフ回しといい、実に素晴らしいのです。役者経験があったのかと訊ねてみたい感じで、すごい迫力でした。
このローウェイ刑務所の更生率は80%以上。再犯率は14.5%です。そして圧巻なのは、この少年少女たちが20年後に、この更生プログラムをやった側の囚人たちと再会するのです。そういうドキュメンタリーなのです。なんともドラマチックでしたね。
20年後どうなっていたか。彼らはほとんど40歳前、30代後半になっているのですが、みんな子供がいて、一番悪態をついていた少年は牧師になっていました。麻薬リハビリセンターのカウンセラーになっていた子もいました。空調会社の経理職になっていた人は「あの時ほど怖かったことはない。あそこは人間のいられるところじゃない。もう、本当に更生しようと思いましたよ」と言っていました。
たった一回の更生プログラムを受けただけで、人生の流れが変わってしまったのです。今まで20年近く生きてきて、あのローウェイ刑務所ほど恐ろしい一日はなかった。特にあの片目の男が一番迫力があったと、全員一致で述懐していました。
今ではほとんどの人が結婚して、不良少女だった女の子が今では子供もいる家庭の主婦になっている。ふつうのいい奥さんになっていて、その話題になると「もう、やめてよ、あの頃の話は」とか言っている。顔つきもまったく普通だし、生活もすべて普通です。
こうして、そのまま行けば間違いなく終身刑や死刑になりそうだった若者たちが、見事に更生してまともな人生をきれいに歩んでいるのです。
しかし、更生できなかった人もいました。再犯をおかした14.5%の人たち、これは全員麻薬によるものでした。
ローウェイ刑務所の更生プログラムを受け、誰もが更生しようと心に決めたのに、ダメだった人もいるのです。更生したいという気持ちは重々あっても、麻薬の禁断症状には耐えられず、結局再犯を重ねて刑務所と娑婆の往復を繰り返した人が二人くらいいました。「すべて、麻薬のせいだよ」と言っていました。寂しそうにも、こんなことを繰り返しながら人生を終えていくのか……と諦めてしまったようにも見える、何とも言えない表情でした。激しい怒りもなければ、絶望の深さも感じられないし、ただ、ああ、どうしようもないな……と嘆息を吐いているような、これが麻薬の真の怖ろしさか……。心の底から更生しようと誓っているのに、その決意すら嘲笑うように潰えさせてしまう薬物の魔物性のようなものを考えさせられました。
わずかな例外はあるものの、この少年たちの人生の変容ぶりは素晴らしいものでした。人生はやり直せるのだと信じさせてくれるものでした。不良少年や少女たちが80%以上の高い率で更生されていき、アメリカで今までに何万人もの人がこの更生プログラムを受けているのです。
これはノルウェー方式や里親制度とは違います。心がねじくれてしまっていると、温情主義でやさしく愛を与えていくやり方よりも、因果論を徹底的に腹に落とし込ませる方が効果的なのかもしれないとも思いました。
このドキュメンタリーのもう一つの見どころは、少年たちに更生プログラムを施したあの終身刑や懲役30年の囚人たちの20年後も描かれていたところです。
もう刑期を終えていたり、あるいは恩赦などで出所して、おおむね刑務所の外にいました。そうすると彼らも50代くらいでけっこういい歳になっているのですが、結婚して家庭を作り子供たちがいて、本当に家庭を大切にしているのです。顔つきがまったく変わっていました。
彼らには、自分と同じ過ちを繰り返させたくないという強い思いがあるのでしょう。また、怒りや暴力では何も変わらないことを学んだのかもしれません。真の学びを得たからこそ「学校へ行け!勉強しろ!教育だけが変えられ……」と本音で言っていたように思われます。
ヘラヘラ笑っている恐れ知らずの悪ガキ達に、かつての自分自身の姿を見ていたのかもしれません。情熱的に更生プログラムに取り組むことが、完全に自分の生きがいになっていたのですね。自分とそっくりな少年少女たちを悪の道から脱出させることが、まるでかつての自分自身を救済するかのような感覚にとらわれていたのかもしれません。自己有用感を確かめたい心も本当だろうし、他人を救うことが自分を救うことと同じになっていくのもセオリー通りです。
自分と他人を救う構造を直感的にわかった者たちであれば、出所後も当然素晴らしい人生にしていくでしょう。
そんな彼らが20年目に、かつて自分が人生の流れを変えてあげる手助けをして、今は幸せな人生を立派に送っている、あの少年少女たちの姿を確かめることになる場面は感動的でした。誰をも震え上がらせたあの片目の男が静かに登場してきて、いきなり「俺は、今まで、殺人もやった、何でもやった」と、更生プログラムやっていた時と同じセリフを言うのです。もちろんジョークなのですが。男の顔は明るく幸せそうで、ちゃんと家庭を持っていて「とにかく家族を大事にしろ!……俺が再犯するわけねえだろ。家族が俺を支えてくれているんだ」と言いながら互いに抱擁するのです。涙の出るような再会の場面でした。まさに「20年目の再会」という、私が最も感動したドキュメンタリーでした。
この更正プログラムのポイントは、因果関係を教えるということです。煩悩に巻き込まれて悪を犯すとどうなるか、その因果関係を正しく心得て、無明の根本をはっきり見ることができたら、もう悪事などやれるわけがないのです。人の心を決定的に変える、ひとつの効果的なやり方だと思いました。
4.心を変える取り組み
(4)プリズン・ドッグ
最後に、救われようのない心も変わることができるという希望を与えてくれる「プリズン・ドッグ」というドキュメンタリーを紹介しようと思います。私にとってこれ以上深い感動を覚えたものはない、刑務所の少年と犬の自己回復物語です。
更生施設でもある米国オレゴン州のマクラーレン青少年刑務所で、殺人や強盗など凶悪犯罪を犯してしまった若者たちの更生プログラムが変わっていて、傷ついた犬をリハビリさせながら育てるというドッグ・トレーニングなのです。刑務所つまりプリズンで犬を育てて、それを更生プログラムにしているので「プリズン・ドッグ」と言います。
このドキュメンタリーを見て、私は心から感動しました。ドッグシェルターにたくさんの虐待されたり捨てられたりした犬たちがいるのですが、刑務所の少年たちにその犬たちの写真やビデオを見せるのです。そして、自分の好きな犬を決めさせ、その犬を刑務所に引き取り少年たちが育てるのです。虐待され傷ついて人間不信に陥った犬たちのリハビリを一所懸命やっていくのですね。
自分の担当する犬たちに水や餌を与え、犬舎の糞を掃除し、毎日かわいがって面倒をみていくうちに、だいたい三カ月くらいでリハビリがひと通り終わる。すると、その犬の様子を写真やビデオで見た一般家庭の人が家族全員で何回も面会にやって来て、相性の良い気に入った犬を引き取って、その家でずっと飼い犬としてかわいがってもらう。素晴らしいこのドッグ・トレーニングを通して、ケアされた犬もケアした少年たちも互いに傷ついていた心が回復していくという感動的な更生プログラムなのです。
虐待された犬たちの面倒を見てあげて、毎日世話をしながら育てていく少年たちの心が、犬と同じように傷ついて荒んでいた状態から素晴らしく変わっていくのです。これまで約15年で400人くらいこの更生プログラムを受けた受刑者がいるのですが、その再犯率はゼロ、全員100%完全に更生できているのです。全米の刑務所の再犯率が平均5割と言われているので、これは驚異的な数字です。
ドルトン先生という40代くらいの女性が、この驚くべき更生プログラム「プロジェクト・プーチ」を創始したのですが、彼女は自分の家を売って、そのお金の半分を資金にして刑務所の中にこの施設を作りました。始めの三年間は1ドルの給料もなく、預金で食いつないでいたそうです。
ドルトン先生は犬の調教のプロフェッショナルのような方で、少年たちに、犬をどのようにしつけるか、おすわり、伏せ、待て、それからアイコンタクト、そして、話しかけて撫でてあげ、できたらほめてあげて、とさまざまな技術を教えてあげます。これは、力を使うのではなく、ほめてしつける「陽性強化法」と呼ばれるトレーニングです。
素直な仔犬をしつけるのと違って、虐待されてきた犬たちを相手にするのは容易ではありません。それでもなんとか粘り強く頑張って、やっとできるようになるととても大きな達成感が湧き出て、犬と抱き合って「できた!できた!」と喜んだりしながら育てていくのです。
「最初の頃なんて全然言うことを聞いてくれなかったのにね。犬から辛抱強さを教わったよ。自分を変えることができたし、人生は一人で生きているんじゃないと教えられたな。今は生きる希望が生まれてきたよ」と言ったりするのです。
実は、私は今まで、愛情をたくさんもらえた人は自然にやさしさが出るが、愛をあまりもらえなかった人は基本的にやさしくないというか、やさしくなれないのではないかと思っていました。ですから、小さい頃に虐待されたり、冷たくされたり、やさしくされなかった人が、人にやさしくするのは難しいのではないかと。やさしさをもらえなかった人は、里親や誰かからたっぷり優しさをもらわない限り、やさしくなれないのではないかと思っていたわけです。
このプリズン・ドッグの少年たちも、ほぼ全員やさしさをもらえず、そのために犯罪を犯すことになった子たちです。
例えば、ジェフという20歳の少年は懲役6年でしかも麻薬中毒。この子は、仲間と強盗などをして犯罪者になってしまったのです。両親が離婚して母親に引き取られましたが、その母が麻薬中毒になってしまう。ジャンキーです。それで、ジェフのことは放ったらかし状態だったそうです。
「自分が何をしても、誰も無関心。だからもう好き勝手を始めた。誰も信じていなかった。まわりもすべて敵だった。家族の愛情を感じたこともなかった。人を思いやることもなく、まったく自分勝手だったよ」
こうして青少年刑務所に収監されるまでになってしまうのですが、ジェフの小さい時の唯一の楽しい思い出は、子供の時に飼っていた犬だけだったのですね。
ポイントは、愛情をかければかけるほど犬は必ず返してくるということです。まちがいなく律儀なほど返してくれる。信頼してくれる。言うことを聞いてくれるのです。「さすが俺の犬だな。お前は利口だな」と言って、犬が自分のそばにいて触れ合って、愛情が伝わっていくのが感動なのです。
どの少年たちも同じです。
「犬と触れ合ううちに誰かに優しくすることの喜び、誰かから必要とされることの喜びを知ったよ」
「ドルトン先生、犬はさ、俺を色眼鏡で見たりしないんだ。俺が少年院に入った男だとか、強盗した男とか。こいつらは、そんな目で俺を見たりしないよ。ありのままの、今の俺を見てくれる……」
ジェフは、人間に対しては愛情をもらっていないから、どうやって愛するのかできないのです。でも、犬にはできてしまう。犬というのはなかなか心を開かないのですが、愛情をかけていくと必ず心を開くのです。
ジェフの担当はレキシーという細っそりした白い犬でした。この犬は、かつてどんな虐待を受けてきたのかと思うほど怯えているのです。この青少年刑務所に来た時にもバスケットから出られなくて、少年たちが「大丈夫かい」と声をかけながらようやく出したのです。いつでも部屋の隅にいて怯えきっている。餌を与えても人が立ち去るまで隠れていて、いなくなると警戒しながら食べ、すぐにまた隅に行ってしまうというように本当に怯えきった目をしているのです。
ところが、ジェフは諦めない。話しかけて、身体を拭いて、餌をあげて、毎日毎日世話をしてあげる。そうすると、だんだん目つきが変わってきて、ある日ジェフが帰ろうとすると初めて檻の格子のところに見送りするような感じで自分から寄ってきた。するとそれを見たドルトン先生が「レキシーが来た!来た!ちょっと心を開いてくれた!」などと言うのですね。
そしてまた世話を続けていくうちに、ジェフが来ると自分から迎えに来るような感じになってくる。頃合いを見て初めて散歩に連れ出すのですが、まだ怯えていて歩けない。そこで少年が抱いて散歩をしてまた檻に戻すような状態を続けるうちに、だんだん散歩ができるようになってくる。そうして一緒に散歩するようになると、レキシ-が2、3歩進むと振り返ってジェフとアイコンタクトをする。また、2、3歩進むとアイコンタクト。少し歩くとジェフとアイコンタクトを取って必死で愛情を確かめ合うのです。この場面は本当に感動的で、涙が出るようなシーンなのです。
それで、最後にはすっかりなついて、しかもしっかりしつけられた本当にいい犬になるのです。
彼らの育てた犬たちは何度も面接を重ねて相性のいい家庭に引き取られます。少年たちにとっては、娘を嫁にやる親のような達成感と、寂しさと、嬉しさを覚えるのでしょう。最後に別れるときには「幸せになるんだぞ」と言って、本当に感動的でした。
引き取られた犬たちは、しっかりしつけられているのでどこの家族からも可愛がられ感謝されているのですが、それぞれの家庭に譲渡されていった犬たちがその後どうなったか。その様子がビデオに撮られているのです。番組の最後で、犬を育てた少年たち全員とドルトン先生が一緒にそのビデオを観るシーンは素晴らしかったですね。
引き取り手の家族が「この犬が来てから、家の中が明るくなった。本当に、この犬は、私たちの家の守護神です」とか、育ててくれた少年に向かって「ありがとう。こんなに人と信頼関係を持てる犬をしつけてくれた君には、いくら感謝してもしきれない」などと、ビデオレターの中から語りかけてくるのです。本当にどの犬もよく育って、貰われていった家で大事にされ、愛され、幸せになっているのです。
それを微笑みながら眺める少年たちの顔には崇高な光が湛えられ、犯罪者とはほど遠い、まるで別人のような美しい立派な顔になっていました。本当に素晴らしい顔でしたね。
・ポイントは共感性
ここでのポイントは共感性です。
犬は純粋だから、必ず愛情をかければ応えてくれます。この人は間違いなく自分を可愛がってくれる、愛してくれるとわかったら、犬というものは、一途に、心から忠誠心が働くように構造的にプログラムされているのです。
一方少年たちも、これまで優しくされたことがなかったにもかかわらず、それでも傷ついた犬たちを癒してやろうと愛情をかけていくうちに、いつしか自分が癒されているのですね。虐待されて、怯えきって、誰にも相手にされなくて、傷ついて、まるで自分とそっくり、俺と一緒じゃないかというように。まさに共感性が優しさの扉を開いていく感じです。
クリスという20歳の青年が、こう言っていました。
「ドルトン先生、信頼というのは、失うのは簡単だけど、取り戻すのは大変だよね。でも、この犬の気持ちが、俺にはわかるんだ。どうしてわかるかって? 俺さ、小さい頃、親からひどい虐待を受けていたんだ。殴られ、蹴られ、叩かれて、それが毎日続いたよ。小さかった俺は、どこにも行くところがなくて、毎日おびえて、道端で泣いてたよ。泣いて、泣いて、泣き疲れて、それでも行くところがないから、また家に帰る。で、また殴られる、の繰り返しだったんだ。だからさ、痛いほどわかるんだよこいつの気持ちが。情けないくらいにね。
今まで、こいつの面倒を見てきて、こいつが人間に対する信頼を取り戻してくれたおかげで、俺も誰かを信頼できるような気がするよ。自分がやってきた悪さにしても、謝って許されることじゃないけど、心から償って、そして、まわりの人の信頼を、また、取り戻す努力ができるような気がするよ」と。
自分が虐待されていた記憶が、そのまま他者の痛みを理解するときに使われることが脳科学では知られています。他者の行動や状態を知覚する瞬間、自分が同じ経験をした時の脳細胞が働いて理解するようになっているのです。
これをミラーニューロンと言います。「鏡の脳細胞」という意味ですが、この虐待された少年たちは自分にその経験があるからこそ、ミラーニューロンが働いて虐待された犬の気持ちが誰よりもわかるのですね。少年たちのような境遇で育てられたら、他者を愛することはとても難しいことなのに、自分が虐待されたがゆえに、虐待された犬たちを愛せるのです。
そしてその犬が自分を信頼してくれると自分も癒される。またその姿を見ることで、やがて自分も愛せるようになっていくということです。そうなった時には、少年たちの顔は刑務所にいる犯罪者や悪の顔ではない、本当に素晴らしい表情、清々しい顔つきになっていました。
自分たちが愛情をかけて、傷ついた犬たちが癒されていくのを眺め、そして引き取られていった家庭で幸せになった犬たちの様子を見て、自分以外の他者の幸せを心から喜び、達成感を味わい、自分の果たした役割の尊さを噛みしめ、自尊感情と自信を養ってもいく。まさにこういうことが、優しさのレッスンなのだ。これまで愛されてこなかった少年たちが、犬を愛することによって、愛する力が養われていき、本当に優しさが発信できるように変わっていくのです。これには、参りましたね。
私は、前述したように、自分が愛されなかったら優しくすることはなかなか難しいことだと今まで思っていました。慈悲の瞑想を教えていても、本音のところでは、かなり無力感を持たないでもありませんでした。しかしこのプリズン・ドッグというドキュメンタリーは、新しい可能性を私に感じさせてくれたのです。愛されなくても、虐待された過去があっても、人は優しくなれるし、慈悲の瞑想の完成に向かっていくことができるのではないか……と。
このドキュメンタリーの最後は、こういうナレーションで結ばれていました。
「捨てられた犬と、罪を犯して、今、立ち直ろうとしている若者たち……。信じ合い、ともに生きる力を育み合った日々でした」
5.まとめ
心を変える取り組みとしてここまで、厳罰主義、ノルウェー方式、里親制度、あるいは因果関係を目の当たりにさせるやり方などを紹介してきましたが、最後のプリズン・ドッグに私は最も感動しました。
この少年たちのようにひどくはないでしょうけれど、みなさんも多かれ少なかれ自分の中に心の傷や悲しい思い出とかを抱えているのではないでしょうか。でも、それはやがて財産になる貴重な経験なのだと申し上げたいのです。
自分が愛をもらえなかった寂しさ、兄弟姉妹と比べられて感じた劣等感、そういうものは全部、この少年たちが犬に対して共感性を持ったように、まさにその経験が癒す力になるし、愛する力や、優しさを発信する原動力になると信じさせてくれる物語でした。
ですから、ネガティブな経験自体はそのままであっても、まったく違った角度から受け止め、新しい解釈をして、反応系の心を組み替えることによって、愛されなかった人も優しくなれるのだということを、私は強調したいのです。この番組を見て、私は、どんな人の心も変わるし、自己回復物語は可能であり、人生は必ずやり直せると確信を深めました。
私たちのように、サティの瞑想をやったり、慈悲の瞑想をやったり、そういう非常に強力なツールを持ちつつ、さらにこうした自己回復物語の構造を知れば、どんな境遇や苦しい人生の流れに押しやられたとしても大丈夫です。必ず優しくなれるし、慈悲を発信することができるのです。これらの事例から、私は、どんな絶望的な情況に陥ろうとも、心を浄らかにしていく清浄道を歩んでいくことは可能なのだ、と希望を持つことができたし、奥深いヒントを与えられたように思いました。
もし今後、何かのことで相手に復讐してやりたいと思った時、欲望が渦巻いて見境がなくなりそうになった時にはローウェイ刑務所を思い出して下さい。因果関係に想いを致してください。
そしてさらにもう一歩を進め、プリズン・ドッグから私たちが学んだように、ネガティブな経験を、他者へのやさしさに転換し、人の苦しみや悲しみに心から共感し、救いの手を差し延べ、力を尽し、幸せになっていく姿を心から喜びましょう。苦しんできた少年たちが傷ついた犬たちと触れ合うことによって、誰かに優しくすることの喜び、誰かから必要とされることの喜びを知ったように、どん底から優しさと愛情を育んで、慈悲喜捨の心を限りなく成長させていきましょう。(完)