寺女

 2023年12月から2024年1月、タイの森林僧院に約3週間滞在した。
 先生と法友Iさんは沈黙行で過ごしていた。私が話せる相手は、寺の副住職をなさっている日本人のアチャン(先生)やタイ語しか話せない寺男ラーさんとお寺に住んでいる在家のおばあちゃん(ドンさん)のみ。出家した比丘は、馴れ馴れしく接してはならない存在だ。特に女性が触れることは固く禁じられている。滞在中、副住職のアチャンと話したのも数回のみ。
 先生からは、何をしていいかわからなくなったら寺男ラーさんの手伝いをすればよいと言われていた。コミュニケーションを取るためにポケトーク(音声の翻訳機)は必須アイテムとなるはずだとアドバイスをもらった。9000円で買ったポケトークは実際本当に役に立った。
 ラーさんから、私の名前は言いにくいから他に呼びやすいニックネームをつけようと言われ、「なな」という呼び名をつけてもらった。タイでは、本名の他にニックネームで呼ばれることはよくあることらしい。
 アチャンからは「比丘の生活は多くの戒律が定められているが、あなたは在家修行者なので自由にやってもらってかまいません」と言われて、なんだかほっとした。滞在中、とてもリラックスして過ごすことができたのも、この言葉のお陰だ。
 お寺から頂ける食事は朝ごはんの1回だけ。私は、この朝ごはんの準備を毎日手伝おうと思った。
 毎朝、比丘は5時半から托鉢に出かける。お寺に戻ってくるのは7時半頃。8時から食堂で朝食がスタートする。私は寺女見習いとして、7時半には台所に行って果物の皮むきをしたり、ホットサンドを作ったりした。その時間、ラーさんやドンさんは、托鉢で布施された野菜を茹でたりして大忙しだ。ゆったりとした時間が流れる森林僧院に少しだけ緊張感が漂うのは、この朝食準備の時だ。
 食材や日用品などの買い出しなどにもついて行った。

 気持ちの良い瞑想体験

 地橋先生のもとに通い始め10年以上過ぎた。通い始めの頃は先生に「瞑想とお掃除がしたくありません」と恥ずかしげもなくレポートしていた。瞑想会に通う前は、15年間ほど毎晩泥酔するまでお酒を飲み続けていた。瞑想とは程遠い暮らしだった。
 その頃から私がグリーンヒルに留まる理由は、ただ先生の法話を聞くためだった。長年、法話を繰り返し聞いていると、考える癖が少しずつ変化し、ネガティブな出来事に対する自分の反応が変わっていくのを実感した。さらに内観やロールレタリングなどの心の反応系の修行をして、自分を厳しく責める癖が知らず知らずのうちに弱まっていき、どんどん生きやすくなっていった。その心の変化と先生・法友とつながっている状態にとても満足していた。
 時々先生が「とにかく良い瞑想体験をすることが大切です」と言っていたが、瞑想自体できない私にそのような体験ができるわけないと、ほとんど諦めていた。自宅ではまったく瞑想ができず、カルチャースクールの教室や瞑想会の会場でしか瞑想をしていなかった。その頃は静かに座ると心がザワつき、次から次へと妄想が湧きあがり瞑想することができなかった。
 次第に、少しずつ自分自身への嫌悪感が軽減すると、瞑想すること自体への嫌悪感も軽くなっていった。ここ数年は、痛みの観察と妄想だらけの瞑想ができるようになり、時折ニミッタも現れるようにもなっていたのだが、気持ちの良い瞑想体験はしたことはなかった。さほど熱心に取り組んでもいなかったが、これが森林僧院を訪れる前の私の状態だった。
 お寺で初めて迎えた朝、本堂に残ってIさんと座る瞑想をしていたら、今まで経験したことのない気持ちの良い状態となった。静かに座っている間、聞こえてくるのは御堂の屋根の尖塔に無数についている風鐸(風鈴)の響き。シャンシャン、チリリン、シャンシャン、リンリン、チリリン、チリン…、風が吹くとさまざまな音階で鳴り、その音色が心地よく堂内に響き渡る。さらに陽がのぼりはじめると名も知れぬ南国の鳥が信じられないほど美しく鳴き始める。明け方は少し肌寒いのだが、上着を着こんだおかげで丁度よい体感である。隣には、法友がいて不安感がまったく無い。本当に全ての条件が整った。気がついたら1時間半以上、気持ちよくサティを入れながら瞑想をすることができた。瞑想を終えたのは、寺男ラーさんが運転する車が境内に入ってきた音を聞いた時だ。日本では、足を組んで30分もすると痛みが出始め、最後は痛みの観察で瞑想を終えるのが常だったのだが、この時は瞑想を続けるのに努力がまったく必要なく、中断するのが残念であった。このような体験をいきなり経験した。
 この経験から思ったことは、経験する全ての現象はカルマの結果生起するのだということだ。日本ではまったく瞑想できなかった私が、あのような素晴らしい瞑想体験を森林僧院到着直後にすることができたのは、ここ数年、瞑想会でスタッフを務め、瞑想者の手助けをしてきたカルマのお陰としか考えられなかった。これからもただ「諸悪莫作、衆善奉行」を愚直に続けていけば良いのだ、という思いがストンと腹に落ちた。
 また、隣で瞑想していた法友の存在はとても大きかった。そもそも彼女がいなければこの寺を訪れることもなかった。初日以降も、彼女の隣に座っていると、本当に気持ちの良い瞑想を何回も経験することができた。そばにいる人から大きな影響を受けているのだということをこれほど実感することはなかった。ブッダが説かれた、善き法友が得られないならば、犀の角のようにただ独り歩め、という言葉の重みを感じた。
 先生も私の瞑想修行が進むように祈っていてくれていた。先生の祈りの力と法友の影響力…この両輪のお陰で、私の瞑想修行が進んだと心から感謝をしている。

 クーティ

 森林僧院に到着した時、アチャンがお寺の中を案内してくれた。私たちが暮らすことになる「クーティ」という独居房を紹介してくれた。想像していたよりもとても綺麗でびっくりした。嬉しい誤算だ。クーティは比較的新しく建設されたもので3軒並んでいた。
 周囲は林でとても静かだ。名も知らぬ鳥のさえずりや虫の鳴き声に満ち、風が吹くと、少し離れた白い本堂の風鐸の音が響いてくる。心底リラックスできる場だと思った。「ここは天国か」と思わずつぶやいた。
 アチャンから、これらのクーティは全てお布施で建設されたと聞いた。グリーンヒルから寄せられたお布施がかなりの比重を占めているとのことだった。ブッダ、その教えを伝え続けてくれた比丘の方々、そして仏教を支え続けてくれた方々、このお寺を建立し・支え続けてくれたカレン族の人々、そしてお寺にお布施してくれた多くの人々に対する感謝の気持ちが溢れ出た。

 一日の流れ

4:00〜5:00頃 起床・ストレッチ・暖かい飲み物を飲む
5:00〜5:30 本堂に行って比丘と共に読経
5:30〜7:00過ぎ頃 本堂にて瞑想
7:30〜8:00 朝食の準備(フルーツのカット、ホットサンド作りなど)
8:00〜8:30 食堂にて朝食をもらう
8:40〜 クーティで朝食
洗濯
瞑想
掃除(外の掃き掃除、お堂の掃除)
18:00頃 クーティの扉を閉める
夕食
21:00頃 就寝

 朝8時の朝食以外は、特に何時に何をしなければならないという決まりはない。自由に一日を過ごした。
 結婚し、子育てしながら、いつも誰かのために何かをしなければならない生活を30年近く送ってきた私にとって、この何も決まりがない生活は自由であり、孤独でもあった。何もしなくてよい生活、外部からの情報がほとんどない生活に、最初はとまどいを感じたのだが、徐々にお寺に流れるゆったりした時間に慣れていった。帰国してからとてもなつかしく思い出されるのはあの時間の流れだ。

 元気な生き物たち

 お寺生活で一番困ったことは虫、特にアリに対しては何度も絶望感を味わった。到着した日から、部屋やシャワールームの壁にアリが歩き回っているのが気になった。ある時はベッドで昼寝をして起きたら服に10匹くらいアリが背中を歩きまわっていた。また、いくつか食べ残したもみじ饅頭をトランクに一晩入れていたら完全個包装されていないお菓子がアリで真っ黒になっていた。それを見た時は本当にげっそりした。即座にもみじ饅頭のビニール袋を外して森の中に投げ入れた。後日、トイレの水汲み用に置いてある大きなバケツを動かしたところ、大量のアリが隠れていた。バケツの底がアリの巣になっていたようだ。浴室の床面がアリで真っ黒になってしまった。ここでも、また、気を失いそうになった。殺さないように、ほうきで排水溝に掃き出した。
 アリの忌避剤として赤ちゃん用のシッカロールが有効だと教えてもらった。寺男ラーさんに買ってきてもらい、クーティの周りやトイレ・浴室の床にまいて、やっとアリに悩まされなくなった。
 アリの他には、寒い季節だというのに日中は蚊に何度か刺された。家を出入りする時は中に入らないように細心の注意を払った。入り口付近に、日本から持参した蚊を殺さない蚊遣り線香を一日中ずっと焚いた。虫除けスプレーも役立った。
 「ゲッコー」というヤモリは、毎晩屋根裏でドンドンと足音を立てて歩き回っていた。その足音に最初はびっくりしてすぐに寝ることができなかったほどだ。しかし、その音にもすぐに慣れた。
 サソリも出ると聞いていたが、滞在中一度も目にすることはなかった。

 慈悲の言葉

 毎朝、お堂でお経を読んでいた。アチャンが日本語・パーリ語の冊子を用意してくれたお陰で意味を理解しながら一緒に読むことができた。そこで出会ったのが「Metta(慈しみの言葉)」の言葉だ。

 Metta(慈しみのことば)

 私が幸福でありますように
 私に苦しみがありませんように
 私に怨みがありませんように
 私に怒りがありませんように
 私に悩みがありませんように
 私の幸福が守られますように

 すべての命あるものが幸福でありますように
 すべての命あるものに怨みがありませんように
 すべての命あるものに怒りがありませんように
 すべての命あるものに悩みがありませんように
 すべての命あるものの幸福が守られますように
 すべての命あるものが、一切の苦しみから解き放たれますように
 すべての命あるものの、その得たるものの失われることがありませんように

 自己の業(kamma行為、作用)を持つ、すべての命あるものは自らそれを引き継ぐものである
 業を因(yoni原因、生まれ)として、業を縁者(bandhu付き従う者)として、業を拠り所として…
 すべての命あるものはその、為すであろう事柄が、善であろうと、悪であろうと、自らそれを引き継ぎ、その果を引き受けて行くのである

 日本で唱えていた「慈悲の瞑想」とまったく異なる。「私に悟りの光が現れますように」などの文言はない。ただ、自分と命ある者の幸せを願う。そして、私たちは業の結果を受け取るのみであると断言する。最初は冷徹な印象を受けたのだが、毎朝読経しているうちに段々と心にしみこんできた。他者を救おうなんておこがましいことなんだと思った。どんなに大切な人でもそれぞれ引き継いできた業の結果を受け取って生きるしかない。家族だから、こうなってほしい、ああなってほしいと願っても、私にはどうにもならないのだ。各自が業の結果を受けるのを傍でただ見守るしかない。遠い異国の地で、家族を想い、タイの慈悲の言葉に出会い「捨」の心を教えてもらった気がした。成人した子ども達への執着心が少しだけ薄まった気がした。

 お寺での修行に関するあれこれ

★比丘の方々に対して
 様々な戒律を守らなければならない。たくさんある戒律のうちで滞在中に聞いたものは以下の通り:
・女性と部屋に一緒にいてはならない。同室になってしまった場合は必ずドアを開ける。(車に女性と同乗する場合も横並びに座ってはならない。)
★お寺で修行する人の服装:上下白。
★お寺の敷地内は走ってはならない。
★沈黙行の間は何も希望してはならない。ただ、与えられたものを受けるのみ。

 お寺のサウナ

 お寺には比丘が手作りしたサウナがある。薬草を大きな炉で煮出してその蒸気を小屋にためたスチームサウナだ。週に一回程度、サウナで体を温める日があった。私も比丘の方々が入った後にサウナを体験させてもらった。薬草の爽やかな香りが漂うスチームサウナだった。15分くらい入っていたら汗だくになった。
 南国なのだが、滞在したのは比較的寒い季節で朝晩は冷えた。あったかいお風呂もないお寺生活で、体の芯まであったまることができた。
 アチャンから伺ったところによると、ブッダの時代からこのサウナは存在していたそうだ。
 お坊さんの健康には必要不可欠なものだと実感した。

 お料理

 お正月をはさんでお寺に滞在した。冷蔵庫にお餅が冷蔵されているとアチャンが教えてくれた。せっかくなのでお汁粉を作ることにした。ラーさんに周辺のお店に連れていってもらったが小豆は売っていなかった。仕方がないのでレッドキドニービーンズで代用してお汁粉を作った。
 二度作った。一度目はラーさんの家で奥さんが柔らかく煮てくれた。それを使って美味しいお汁粉もどきができた。豆をつぶしたらお汁粉の様だった。
 二度目は豆から煮たのだが、なかなか柔らかく煮えなかったが、なんとか食べられるレベルまで柔らかく煮て、前回同様砂糖をいれてつぶしてお汁粉もどきにしようとしたのだが、あまり上手くできなかった。
 大豆の煮物も作った。豆は柔らかくなるまで何時間も煮なければならなかった。お寺の調理はプロパンガスだったので、途中、買い替えなければならなかった。
 ラーさんは買ってきたプロパンガスを器用にくるくると回しながら運んで交換していた。高齢なラーさんに重労働させてしまって申し訳ないと思った。
 あとは毎朝チーズホットサンドをホットサンドメーカーで作った。チーズは現地では高級品で、珍しいのか毎食比丘の方々がお皿から取ってくださった。
 南国の名前もわからないフルーツの皮むきをしたり、カットしたりしてお皿に並べた。
 楽しい修行だった。

 落ち葉掃き

 訪れた季節が比較的寒い季節だったせいか、風が吹くとハラハラと枯れ葉が落ちてきた。一瞬掃き浄められた道が、すぐに枯れ葉だらけになってしまう。
 気が向いた時に落ち葉掃きをした。これが、本当に勉強になった。掃けども掃けども、枯れ葉が舞い続ける。一瞬綺麗になったとしても、次の瞬間、枯れ葉が落ちてくる。自分がやった仕事(=掃き掃除)の痕跡がすぐに消え失せる。
 無常について、枯れ葉が教えてくれた。
 朝からずーっと落ち葉掃きをしている比丘が居た。彼はただ一心に掃き掃除をしていた。その姿は今でも心に焼きついている。彼はどんな心境で一日掃き掃除をしていたのだろうか…。

 支える力

 滞在最終日近くに沈黙行を終えたIさんと共にカレン族の村に托鉢する比丘たちの様子を見学させてもらった。
 5時半に読経を終えると比丘たちは、1時間かけてカレン族の住む村まで裸足で歩いて行く。Iさんと私は時間をおいて、車で送ってもらった。
 初めて見るカレン族の村は、何十年も前の日本の田舎のような風景だった。各家には大きな雨水をためるカメが設置されていた。
 建物は強風が吹いたら倒れてしまうような簡素な木造住宅が多かった。
 タイで最も貧しい少数民族・カレン族の人々が、托鉢に訪れた比丘達に食べ物や飲み物をお布施している姿を目の当たりにして、心から感動した。
 彼らのような存在が、原始仏教を支えてきた。仏陀の教えを長らく伝えてきた比丘を支えてきた在家信者に対する深い感謝の念がわきあがった。
 今回、お寺で生活してみて、とても感心したのが寺男ラーさんの働きぶりだ。早朝からラーさんの奥さんが食事の準備をし、その料理が入った鍋などを車に積み込み、托鉢に出かけた比丘を車で迎えに行く。お寺に着いたら、托鉢でもらった野菜を茹でたりして朝食の準備もする。日中はお寺の掃除やお買い物など、夕方まで本当によく働いている。大晦日、お正月なども休みなく献身的に働いていた。ラーさんに「いつお休みされるのですか?」と質問したら「死ぬ時だ」と返ってきた。ラーさんのような人に出会えたことも大きな収穫だった。

 最後に

 さして熱心な修行者でもない私が、タイの森林僧院を訪れることができたのは、法友のIさんに声をかけていただいたお陰だ。
 そもそも地橋先生が教えてくれなかったら、このような寺の存在すら知らなかっただろう。
 今回の滞在記は、お寺にいた時から先生に「寺女修行日記、書いてくださいね。楽しみにしていますよ」と言われていた。そう、言われた時から「書きたくない」と思っていた。なぜならば、そのとき感じていた幸福、森林僧院の持つ『場の力』と清浄な雰囲気など、とても言葉に変換できる気がしなかったからだ。「天国のよう」とか「本当に幸せ」など…陳腐な使い古された言葉しか浮かばない。諦めの境地でこの文章を書いている。
 今回の体験を言葉に変換することであの体験が色褪せてしまうことを恐れた。
 サン・テグジュペリの「星の王子さま」で王子様が『大切なものは目に見えない』と語るくだりがある。今回、思ったのは『大切なものは言葉にできない』だ。
 今でも、お寺で得た大切なものは、心の中に星のように輝いている。森林僧院滞在後の私は何かが変わった。それは、「慈悲の言葉」から学んだ捨の心、本堂で経験した気持ちの良い瞑想体験、枯れ葉掃除で感じた無常、貧しいながらもお布施を続けるカレン族の人々の心意気、熱心に修行する比丘・先生・法友の美しい姿に触れることができたからなのか…。
 この世界にこのようなお寺が実際にあると知ることができただけでもこの世に生まれてきて良かった。