次回にご期待ください。

今月号の巻頭ダンマトークは休載いたします。

瞑想って、凄い!第5回 YU
生きていたら会おうね!
それともう一つ、家にいても瞑想する時間が取れないのだから、瞑想とは無関係の世間で自分がどれだけ心濁さずいられるかという実験・学びのために週数回の短時間バイトをすることにしました。これに関しては娘も応援してくれて(私が家にいれば、そばを離れよとしませんし、買い物程度の外出にもついて来るのに、バイトに行くのは許してくれた不思議な娘です)、すんなりとバイト先も近所のケーキ屋に決まりました。結婚してから雇われとして働くことがなかった私にとってはすごくドキドキでした。
働き始めて思うことは…世の中は愚痴・無駄話の多いこと。1年間どっぷりヴィバッサナーに浸りきった私には、世間ってこんなものだったかな? と思えるほどどうでもいいことばかりの会話が飛び交う場所でした。短い時間であっても世間から受ける影響は大きいのだということも実感しました。しっかり瞑想時間を取らなければ世間の波動に呑み込まれてしまうというのはこういうことをいうのかとも感じました。しかしそれと同時に、毎日朝から夜遅くまで働いている主人やシングルマザーで私を育て上げてくれた母への尊敬の念や感謝がさらに深まったのです。
また人間は皆、辛さ・苦しさでいっぱいいっぱいでどうしようもないのだと再認識できたり、それまで皆さんの体験談の中だけの話であった『慈悲の瞑想をすると、機嫌の悪い人が穏やかになる』ということが家族以外で実体験できると良い機会をいただいていると思っています。今は仕事中の単純作業にサティをどれだけ多く入れられるか、お店のスタッフや来店されたお客様一人一人に対してどれだけ忘れずに慈悲の瞑想を唱えられるかに挑戦中です。
ヴィバッサナー瞑想と出会って1年、少しは成長したかななんて思っていました。しかし全然そうではなく、勘違いでした。いかに自分に自信がなかったか。自分を守りたかったのか。ありのままを見たくなかったのか。自分への執着のいかに根深いものであるかという気づきを与えてもらえたこの4カ月でした。
先生の本を何度も繰り返し読む日々を過ごしていたある日、『明日にはもう生きていないかもしれない』という思いが腑に落ちた瞬間、何もかもがどうでもよくなった気がしました。今までどうして、ずっと生きていられるような気がしていたのでしょうか。生まれた瞬間から死ぬことだけは絶対に避けられないのに、ずっと先のような錯覚をして、頭では理解していても心では理解できていなかったのだと思います。修行する時間はまだある。そんな甘えや覚悟の足りなさが私の修行の歩みを遅くしていたのかもしれません。
今をしっかり生きるということが自分なりに(正しいかどうかはわかりませんが)わかってきた気もします。サティを入れることだけでなく、その一瞬一瞬に一生懸命取り組むこと。突然自分に舞い込んできたことも受け入れること。人が話している時は真剣に聞くこと。自分にとって嫌悪を感じる相手の行動であっても、その人にはその人の考えがあってのことだと自分の感情を入れないようにして受け入れること。何より自分はこうあるべきだという鎖につながず、今のありのままの自分を受け入れること。などなどが以前よりできるようになってきた気がします。
今現在の娘はといえば…私にずっとくっついていることはなくなり、文句も少なくなり、泣きわめくこともほとんどなくなりました。そして、自分の小さい頃の考えや思いを話してくれるようになりました。私が幼い頃母に抱いていた思いに似たような思いを、娘も私に抱いていたことも分かりました。幼い頃の理解不能の娘の行動は、私に嫌われないための必死の行動だったことも分かりました。私も娘が幼い頃、娘に対して抱いていた思いを隠さず話しました。今までお互いがお互いの気持ちを気にしすぎてというよりは、嫌われないように自分を守ることを最優先していた関係だったのかもしれません。そのことに気づき、認められたからなのか、娘の言動に対してイライラが本当にを感じなくなっている自分に驚きです。
今目の前に現れる事象のすべてが私に気づきを授けてくれていると実感できる毎日を過ごせている!
瞑想を始める前の私には考えられなかったことです。
「いってらっしゃい」「行ってきます」「おやすみなさい」そんな日常の挨拶ですが、最近の息子と私の間では…「無事生きていたら会おうね!」が決まり文句です。
まだまだ瞑想修行は始まったばかりです。
朝晩の慈悲の瞑想・歩く瞑想・座る瞑想をする時間が取れるかどうかで、その日一日ががらりと変わります。瞑想のすごさを改めて痛感した今、心新たに、不善心で心を汚さず清浄道を歩んで行きたい。少しずつでも解脱に近づけるよう精進したい。そう思っています。
最後にこの原稿を書く機会を与えてくださった地橋先生に感謝申し上げます。ありがとうございました。(終わり)

燕岳


タイの森林僧院でのリトリートについてお聞きしました②
「お布施はどうする?」
さて、このシリーズの第2回目です。お布施について話しを伺っているうちに、捨てることと与えることの大切さについて話が及びました。とともに比丘というのはどういう存在なのかという点についても貴重な話を伺えたと思います。
食い逃げ
榎本 次に、これを読んでいる人たちが気になっていることを聞かなければならないのですが、外国のお寺で長期・短期の瞑想修行をした場合、どのぐらいのお礼をお支払いするべきなのでしょうか。
地橋 「お礼をお支払いする」というニュアンスではないんですね。在家の者は寺を支え、比丘を支え、仏教を支えるためにお布施をして徳を積んでいるのであって、寺に長く滞在したのでその代金を支払うという感覚ではありません。いくらお布施しようが勝手です。お布施をしないで寺を去っても、誰も文句を言わないし、布施を強要されるなどということもありません。(笑)
榎本 そうなのですか。実際にお布施をしないで立ち去る人もいるのですか?
地橋 レアケースだと思いますが、本当にいるようです。ミャンマーで通訳をしてくれたドイツ人比丘から聞いたのですが、在家のドイツ人が寺で1年間も修行したのに一円もお布施しないで帰国したというのです。
榎本 法制化されていれば義務を果たすが、ルール化されていなければ平然と利益優先するということなんでしょうかね。
地橋 たんにケチだったのか…。(笑) 私もそのドイツ人と一緒に3ヶ月修行していましたから、今でも顔を覚えていますよ。あの人、お布施もしないで立ち去ったのか、と驚きました。
榎本 その後どうなったのか気になりますね。
地橋 それが、後日譚が凄かったです。ドイツに帰国するや、不幸のラッシュに叩きのめされたんだそうです。帰国直後に本人が交通事故で大怪我をするわ、実家が倒産するわ、家族が死ぬわ、ありとあらゆる不幸の雪だるまのようになったそうです。
榎本 崩れたバランスがもとに戻る作用だったのかしら。
地橋 物理学では「作用反作用の法則」と言います。だって、お寺の一室に住み、食事をし、シャワーを浴び、1年間も指導を受けながら瞑想修行していたんですよ。彼が受けたエネルギーの総量に対する支払いがゼロでは食い逃げどころの話ではないでしょう。存在は常に生滅を繰り返し、生命は外界とのエネルギー交換です。エネルギーの収支が合わなければ、必ず強制徴収を受けるのが現象世界です。
榎本 もらいっぱなしは駄目だ、ひとり占めは不幸を招くという教えは仏教に限らずたくさんありますからね。
地橋 与える者は与えられ 奪う者は奪われるのが法則です。
榎本 ところで、先生はお寺にびっくりするぐらいのお布施をされると、スタッフの方から聞いてるのですが。
地橋 そんなことはありません。私は皆さんのお布施をお預かりしていくので金額が大きくなるだけです。一応瞑想の先生をしてますので、布施行の手本も示さなくてはなりませんからね。
食う、寝るところに、住むところ
榎本 何か規定のようなものがあるのですか?
地橋 ブッダの時代から「四資具」は布施の基本でした。
榎本 四資具とはなんでしょうか。
地橋 比丘が在家から受けてよいとされる衣類、食物、住居、医薬品の4つの必需品のことです。生存と修行を継続するために必要な最低限の物資として認められていましたが、逆に言えば、余分なものを求めず、蓄積するな、執着するなと比丘を戒める規定ですね。
榎本 大乗仏教のお坊さんとはずいぶん違いますね。
地橋 原始仏教では、出家者は自活を放棄し、在家信者からの布施に全面的に依存することが絶対の規範とされました。そうしないと、ただ生きるために世俗的な生産活動を余儀なくされ、肝心の修行や学びの時間がなくなり、現代の私たち在家瞑想者と変わらなくなるでしょう。だから托鉢で生存を維持し、修行に専念するための制度的枠組みとして布施のシステムは仏教が機能する要になったということですね。
榎本 高級車を乗り回したり、寺院経営に汲々としていられなくなる。
地橋 そうです。原始仏教では、在家は布施を通じて功徳を積み、出家はその供養に応えて在家者に生きる指針としての法を示すという共生構造になっています。これまでにグリーンヒルで仏教の瞑想を実践し、人生の難関を乗り超えることができた人が大勢いらっしゃいました。その元をたどれば、私がタイやミャンマー、スリランカの比丘の方々から学んできたダンマが機能したからでしょう。
榎本 仏教は2500年後の今も生きた教えである証しですね。
地橋 だから在家は布施によってしか存在し得ない比丘に供養し、寺を支え、仏教を守らなければ人類の大いなる遺産を失うことになるのですよ。
榎本 四資具の意義がよくわかりました。布施をする在家の者に対して、ブッダは何か言われてますか。
地橋 結構厳しいことをおっしゃってますね。布施とは、苦の原因である執着を捨てることだ。心の浄化の第一歩である。布施は心の穢れ(貪り)を滅ぼす道であり、自我の所有欲を手放す修行の実践である。(『アングッタラ・ニカーヤ』)
榎本 そんな高邁な精神で、皆さんお布施をしているんですか?
地橋 いや、そんな人は悟りを目指すような、ごく一部の少数派ですね。
榎本 実態はどうなんですか。
地橋 日本人だけではなく、テーラワーダのどこの国でも、皆せっせとお布施をするのですが、本音は、自分が幸せになりたいので徳を積んでいる人が多いですね。
榎本 先生がよく言われる「劣善」ですね。
地橋 そうです。でも、それでよいと私は思っています。物事には順番というものがあります。誰でも自分が幸せになりたいのが一番ですから、布施をして徳を積めば幸福度が上がるのは本当らしいと納得し、定着していけばよいのです。布施や善行が習慣化した人は自然に純粋な善行にバージョンアップしていくのも確かなことです。
榎本 在家の布施者にとって、四資具は何か意味がありますか。
地橋 いい質問ですね。因果論の構造からは、殺せば殺され、奪えば奪われます。与えれば与えられ、優しくすれば優しくされるのが法則ですから、衣を布施すれば着るものに困りません。食事を供養すれば飢えることはなく、食べることに不自由することはないでしょう。住居を布施すればホームレスになろうはずはなく、医薬品をお布施する人は病気や怪我を免れるのです。つまり同じジャンルのエネルギーが循環する基本傾向なので、四資具の布施者は生きていく上での基盤が整うということになります。
幸福の田んぼ
榎本 なるほど。テーラワーダ仏教では、比丘を「福田」と言うそうですが、そういうことなんですね。
地橋 はい。比丘に布施をするのは、幸福の田植えのようなものだという理解です。もし比丘が布施を受けてくれなかったら、在家者は功徳を積む機会を失い、幸福の種を蒔く田んぼがなくなるのです。
榎本 変な質問ですが、先ほどお布施をしなかったドイツ人が不幸の雪だるまになった話をされましたが、お坊さんたちは生涯に渡ってそれほどのエネルギーを受け続けて大丈夫なんでしょうか。
地橋 それが「衣の力」というものです。お坊さんたちは、常人には到底できない227もの戒律を守って在家信者の手本として厳格な修道生活を送るシステムになっているので供養に値する存在と考えられています。本当は、ブッダは「施しを受ける資格を完成しているのは、一切の煩悩を無くして解脱に達した人である」と申されてるので、そうなると阿羅漢以外の比丘は布施に値しないということになってしまいますね。
榎本 修行の途上にある比丘もそれに準ずるということにしないと生存できなくなりますからね。
地橋 お坊さんが死後、地獄へ転生するのは珍しくないそうですよ。
榎本 え! そうなんですか。
地橋 修行もしない、学びもしないで、ぐうたら怠けたまま死ねば、比丘の本分は全うされません。先ほどのドイツ人在家者のように、受けるに値しないものを不当に奪いながらの人生ということになるから地獄行きもありでしょうね。
榎本 みだりに出家するべからずですね。
地橋 私も、人様の供養を受けながら生涯を終えるほどの徳がなかったので、とうとうこの歳まで出家することはありませんでした。
榎本 そんなことはない、と僕は思います。先生は大変な徳を積んでこられたのは、スタッフの方々からも聞いています。
地橋 まあ、本音としては、過去世で坊さんやりすぎたので、次の世ではもっと自由研究をやりたいと思って死んだような気もします。(笑)
榎本 先生は在家ですけど、やっていることはお坊さんと同じ、ときにはそれ以上だと思います。
地橋 お布施をするときも、布施者の皆さんに功徳を積ませる最良の方法をいつも考えていますね。
榎本 ということは、四資具だけでは十分ではないのですか?
地橋 できるだけ多方面に布施をして、善き果が皆さんに及ぶように配慮しています。「来世に持っていけるのは業だけだ」とブッダはおっしゃっているし、人生の苦境を救ってくれるのは自分の徳だけですからね。
榎本 例えば、どんなお布施ですか。
地橋 歯の悪いお坊さんには「入歯安定剤」、ミャンマーでは井戸を掘る工事費、ダンマトークを聴く最高級ラジカセ、帰国するお金のない比丘の渡航費、70人の比丘の経典やダンマブックの費用5年分、ミャンマーの大きな僧院の洗面所に鏡が一枚もなかったので全ての洗面所に鏡をお布施したこともありますね。ミャンマーでもスリランカでも、寺のすべてのクーティに大型魔法瓶や椅子をお布施したり、まあ、いろいろです。今回はX寺の厨房と本堂の屋根の修理費をタイミングよくお布施できました。
榎本 (感服して)……それだけ多彩な布施をしていれば、どんな人生の局面でも困らないでしょうね。
俗世の幸福、解脱の至福
地橋 幸せな人生を願う皆さんには必要だろうと考えてきましたね。
榎本 でも先生は、ご自身の幸せな人生のためにやっていたわけではない、と。僕のような、「劣善」さえ満足にできない者は、ただただ感服するばかりです。
地橋 私が「衆善奉行」を心がけて徳を積むようになったのは、諸々の外的条件が整わないと悟れないのだと痛感したからです。瞑想の実力だけで悟ってやろうと修行していたこともあったのですが、諸法無我の宇宙網目のなかで諸力に支えられ、護られ、全てが絶妙のタイミングで整わないかぎり、稀有な一瞬は訪れないということが解ったのです。
榎本 逆に言うと、森林僧院のような通常では邪魔の入らないようなところで修行していても、「あともうすこし」というようなところで、訪れるはずの特別なモーメントが壊れちゃったというようなこともあるんですか。
地橋 ええ、タイでもミャンマーでも何度もありましたね。例えば、スリランカの森林僧院で必死に修行していたある日、ついに究極の瞬間が訪れるかなと感じていたとき、突然クーティ(独居房)の扉を叩かれて、「今夜は特別なプジャー(礼拝)があるので、普段はチャンティング(読経)に出ないお前も、今日だけは参加しろ」と言われて引っ張り出されたことがありました。最高潮に達していた修行は完全に破壊され、やむなくそこに行ってみたら変な虫がいっぱい出てきたので、そのプジャーは中止になったという……。
榎本 !!……(かける言葉がない)。
地橋 こういう体験があると、私は過去世で間違いなく他人の修行を邪魔していただろうとわかります。邪魔をした者は邪魔をされるのです。どこかの寺で、ライバルに先を越されそうになり、嫉妬に駆られて足を引っ張ったにちがいありません。我が身に起きた経験の要因分析をすれば、過去の原因が浮かび上がってくるものです。
榎本 それで今世は瞑想者を助けて、あらゆる徳を積もうとお考えになった…。
地橋 そういうことですね。(次号に続く)

森林僧院奥の院山頂間近

タイ森林僧院奥の院入口

2025年11月号
(1)
★瞑想対象に集中しようと必死になっていると、なぜか力んでいる自分の姿が俯瞰され、ハッと我に返ることがある。
サティが本来の機能を取り戻した瞬間だ。
集中にこだわり、ガチガチだった全身からフッと力が脱け、やわらかくんでいく。
この脱力の瞬間を「」という……。
……………………
(2)
★人生が上手くいかないので、現実逃避のツールとして、瞑想にのめり込む人たちも少なくない。
集中力のあるタイプは、抑圧する力にも恵まれているので、ますますサマーディに溺れ込む。
そんな瞑想は「現世の楽住」に過ぎない。
煩悩を一つずつシラミ潰しにせよ、とブッダは言う……。(『削減経』)
……………………
(3)
★「法を拠りどころとし、他を拠りどころとするな」
ブッダが生涯の最後に説かれた遺訓である。
だが、法を拠りどころとせず、個人を崇拝し拠りどころとしてしまうのが世の常だ。
思わぬ人の口から、正しく法が説かれている瞬間にハッとすることもある。
山川草木の中に法を視る者もいる……。
……………………
(4)
★うるさい、臭い、痛い、損した、と苦受を受ける一瞬一瞬ごとに現象化した不善業が消えていく……。
楽しい、美味しい、儲かった、やったぜ!と楽受が続く幸福の日々の実状は、徳のポイントが恐ろしい勢いで費消されているのだ。
因果が織りなす業の世界では、不幸は負債の返済、幸福は貯金の切り崩し……。
……………………
(5)
★執着すれば人生が苦しくなる渇愛の構造。
だから「この世のことはの如く、の如く視よ……」とブッダは言う。
そうは言われても、では、そのようにと、できないのが我々凡夫だ。
だから、不幸は儲かるよ、幸福はすり減るよ、と因果論を腹に落とし込み、苦楽を等価に観る捨の心を養うのだ。
業の結果に一喜一憂する世界に飽きれば、悟りたくなるだろう……。

千客万来
10月に入ると、ここ八ヶ岳南麓にははやばやと初冬の気配が漂う。森の木々は日々色を変え、季節がどんどん進んでいくのを感じる。小さな我が二階屋の屋根の倍以上の高さのある木々に囲まれているからだろうか、自分が本当に小さくなったようで、大木の巨大な命のエネルギーに圧倒され、季節が自分を巻き込んで変化していくようだ。
そんなことを感じられるのも、ようやく夏の客が途切れたからで、この夏は千客万来、満員御礼だった。こちらでも土地の老人たちが「こんなに暑い夏は初めてだ!」というくらいなので、東京はさぞ暑かったのだろう。実際気象情報では38℃と発表されていても、アスファルトの照り返しのなかを歩くと、50℃くらいあるのではと思ったものだ。
ここに移住した理由のひとつは年々ひどくなる猛暑から逃げるためである。夏生まれのくせに暑さに滅法弱くて、毎夏半病人のように過ごしていたから。梅雨明けと同時に「夜行性動物化宣言」を出して、太陽が出ている間は極力外に出ないで生活していた。買い物も夜8時に出かけるありさま。「こんな暑い夏は初めて」と言われても、八ヶ岳南麓の最高気温は31℃の日が3日ほどで、あとは30℃を超えなかった。日が落ちればスーっと涼しくなるので夜はよく眠れる。辛うじてエアコンがなくても大丈夫だったのである。
エアコンのない生活は体にやさしい。東京に暮らしていたら、エアコンが無くては命にかかわるが、徒歩で駅まで歩いて汗だくになり、電車内でキンキンに冷やされてほっとするのもつかの間、乗り換えでまた汗だく、冷えた電車を降りて目的地まで歩いてまた汗だく。自律神経がおかしくなって帰宅する頃には頭痛と吐き気という生活だ。ここでも30℃になると確かに辛くてエアコンが欲しいなあとは思うものの、そう言えば子供の頃の夏はこんな風だったなとも思い出した。井戸で冷やしたスイカが美味しくて、昼寝のの中で祖母が送ってくれる風がやさしくて。
そういう訳だから、7月末から9月半ばまで、ほぼひっきりなしに来客のアテンドの毎日だった。「移住した」と聞いて「どんな生活をしているのか」と興味を持って訪ねてくれる人、「自分も涼しい場所に避難所が欲しい」と家探しに来る人、「数日でいいから涼しいところに泊めてくれ」という人、私の関係と夫の関係と両方あって、結果ほとんど休みなくアテンドという仕儀になった。中には「合宿」と称する法友の訪れもあって、彼らの宿に私も合流してささやかなダンマトークができたりという嬉しいこともあったが(地橋先生には煩悩探検隊と言われている)、他は通常のアテンドとならざるを得なかった。
瞑想を始めてから人間関係はどんどん変化した。いわゆる「煩悩フレンド」はいつの間にか減り、一緒にいて不愉快な人、疲れてしまう人はほぼいなくなった。不思議なことだと思う。絶交したわけではない。気がつけば自然と消えてしまっていた。いつの間にか引っ越してしまったり、コミュニティから抜けてしまったりした。入れ替わるように、思わず頭を下げたくなるような人と交流が始まったり、以前から知りあいではあったが、こんな素晴らしい人柄とは知らなかったという人と親しくなったりした。何よりも見えざる力や不思議な現象を否定しない友人が増えた。見えない存在を感じたり、信じている人は総じて謙虚だ。己だけの力で生きている訳ではないと思えば、当然そうなっていくのだろう。
この夏の来客はみんな歓迎できる人たちだったが、それでも瞑想修行者としてはペースを崩してしまった。まともに瞑想できない日もあった。反省するに、結局これは私の問題で、「せっかく来てくれるのだから喜んでもらいたい」という欲が、「修行したい」という気持ちより勝ってしまうからだ。地縁血縁から離れ、山小屋住まいを始めても、自分の心が変わらないならこんな体たらくにもなってしまう。全く情けない。
しかしこうも思う。出家者でない限り、在家の修行者はどうしても他人と関わって生きていかざるを得ない。仕事をしているなら、その人間関係があろうし、配偶者や子供がいればその関係もある。生きていくには避けられない事がたくさんあって、それが「生きる」ということだ。どこまで削ぎ落として生活するかは、在家の修行者ひとりひとりが個々選んでいくもので、どれが正解ということはないように思う。近隣にヨガの行者がアシュラムを営んでいるのだが、彼は修行最優先で、たまに会食する時でも時間は修行時間外に設定、食べるもの飲むものも厳選してくる。そうなると、なかなか家族と一緒に生活するのは大変のようだ。俗世に生きていれば、思わぬトラブルに巻き込まれることもあり、驚くような言葉をかけられることもある。注意していれば、我が身に何故それがやってきたのか、カルマを考えるし、何が足りないか気づくことができる。目前の人や出来事に全身全霊で向き合うことで、より気づけるのだと思う。それが出家にはない在家修行者の醍醐味ではないだろうか。
千客万来の夏が過ぎて、夫も出張で、数日間ひとりで誰ともしゃべらず修行する機会を得た。ようやく自分のチューニング(調律・調弦)ができた気がする。こんなユルユルの修行者だけれど、そういう自分であることを自覚しつつ、修行を続けていたいと思う。

タイ森林僧院独居房のブッダ


【初学者でもよくわかる二十四縁起】(リード文+第1回本文)
●「今月から【初学者でもよくわかる二十四縁起】 モートゥ著 影山幸雄訳】の連載を開始します。
訳者の影山さんは、グリーンヒルの10日間合宿にも参加されてきた旧来の法友であり、敬虔な仏教徒の瞑想者です。
専門は泌尿器外科医で
★「解剖を実践に生かす 図解 泌尿器科手術」
★「解剖を実践に生かす図解前立腺全摘術」
などの著書をお持ちです。
医療と並行し数多くの仏教書を翻訳されてきました。
★「気づきの瞑想実践ガイド(ブルーマウンテン瞑想センターでの法話集)」
★「脳を鍛えてブッダになる52の方法―ハーバード大学神経心理学者が教えるブッダの智恵をもたらす脳トレーニング」
★「シッダールタ (安らぎと平穏のプリンス)」
など、ヴィパッサナー瞑想者には垂涎の訳書が多数あります。
今回の【初学者でもよくわかる二十四縁起】はミャンマー語から影山さんが直接翻訳されたものです。
本欄の原稿ストックが空っぽになったので、病院長の激務の日々を知りながら敢えてお願いしたところ、心よくお引き受けいただき訳業が完成しました。
高度な内容ですが、「子供でも分かる二十四縁起」と銘打ってあるだけに、どなたにも解りやすく読んでいただけるものと信じます」(地橋記)
・・・・・・・・・・
●【訳者のことば】
今回の翻訳の原本は10年以上前に在日ミャンマー人向けの説法会で出会った方からお布施としていただいたものです。
アビダンマ(論蔵)はお釈迦様が天界で神々に向けて説かれた法で、ナーマ(名)とルーパ(色)と言う生命の本質を論理的かつ詳細に説明しています。その中でもパッターナ(発趣論:二十四縁起)は最も重要と考えられており現象の相互関係が余すところなく語られています。アビダンマについての基礎知識がないと理解しにくい面がありますが、この本では難解な専門用語を極力避け、身近な例を用いてわかりやすく説明しています。
この本のミャンマー語の原題は「未就学児レベルの二十四縁起」となっておりますが、子供を含めた多くの方にお釈迦様の教えを届けたいと言う著者の熱意が伝わってきます。また、この本に目を通すことでアビダンマを本格的に学ぶ際の理解が容易になるだろうと思います。
ミャンマー語で書かれた仏教文献の中には優れたものがたくさんありますが、日本語に訳されているのは僅かです。この原稿を通じてミャンマー仏教の真髄の一端を皆様に感じ取っていただければ幸いです。
2025年10月31日
影山幸雄
【初学者でもよくわかる二十四縁起】
モートゥ(マンダレー在住)著
●著者からのメッセージ
二十四縁起に関してこのような本を書くことになるとは思ってもみませんでした。二十四縁起と言うのは普通の人間、普通の僧侶がかかわる分野ではないので、私のような智慧が乏しい輩には関係ないと目を背けてきました。初学者に二十四縁起を解説し習得させる際に齟齬が生じると以後二十四縁起の書籍を手に取ることすらしなくなることがあります。
親しくしている檀家の皆さんの一部から、二十四縁起の内容、意味を理解したい、そのための本を書いて欲しいという希望が寄せられた時には、タウン町、マハーガンダーヨウンセヤードーが書かれた「二十四縁起の基礎」という本を読むことを勧めるようにしていました。
その本を読んだことがある檀家さんたちもいましたが、「二十四縁起の基礎」は彼らにとってはレベルが高く、内容を理解できない様子でした。私たちが理解できるような本を書いていただけませんかという要望が多く寄せられるようになりました。そのためフェイスブックに「初学者でも良く分かる二十四縁起」という解説文を掲載することにしました。
執筆を開始した当初は、「二十四縁起の基礎」をもとにし、その内容を記載すれば難しくないだろうと考えていました。しかしながらいざ執筆してみると「二十四縁起の基礎」を単に転記するだけでは済まない事が分かりました。
このためレディセヤードーの「パタヌッデータディーパニー」、タウン町マハーガンダ―ヨウンセヤードーの「ティンジャィッバーダーティーカー」、「アチェーピューパタン(二十四縁起の基礎)」、「ウィーティニントンチェッスーバーダーティーカー」、「パターナバーダーティーカー」、パーモゥッカチョゥッセヤードー・ドクター・ナンダマーラウィワンタの「パタンミャッデータナーホーテヤー」などの文献を読みあるいは法話を聞かざるを得ませんでした。
これらの文献、法話を拠り所、手掛かりとして「子供でも分かる二十四縁起」を疲労困憊しながら執筆しました。執筆をしながら「もういい、執筆を止めよう、難しすぎる、自分の智慧では書くことができない」と落ち込んで執筆が途絶えてしまったこともありました。
「高名なセヤードー方のこうした文献を頼りとして書けば実現できるだろう、落ち込む理由などあろうか、檀家の皆さんから要望を受け、恩返しとして、執筆を続けて完成させたらどうだ」と自分自身を叱咤激励し、力を振り絞って執筆を続け、憔悴しながらも最後まで書き上げることが出来ました。
早朝五時に起床し、前日の夜に完成した部分にもう一度目を通し。フェイスブックに掲載しました。それが終わったら他のやるべきことを行い、朝食の供養を受け、午前6時から午前11時まで「アチェーピューパタン(二十四縁起の基礎)」、「ウィーティニントンチェッスーバーダーティーカー」などの文献に目を通しました。午後1時にはパーモゥッカチョゥッセヤードーの「パタンミャッデータナーホーテヤー」という法話のテープを聞きました。法話を聞き終わると30分ほど休みをとり、その後ベランダで歩きながらどのように書いたらアビダンマの基本を全く知らない人たちが理解できるだろうかと考えました。その後は、夜の10時ごろまで考えたり、執筆したり、修正したり、あちこちを歩き回ったりして、目眩が生じることもありました。夜の十一時には寝床に入り、翌朝また5時に起床しました。このように夜明けから日没まで、1カ月以上「子供でも分かる二十四縁起」の執筆を疲労困憊しながら続けました。
「初学者でもよくわかる二十四縁起」を執筆している間、目眩がしたり、極度に疲労したりしましたが、一つのセクションを書き上げる度に大変な喜びを感じました。自分のこれまでの人生でこれまで得たことがない喜び、ピーティ(喜)を得ることが出来ました。
著名な大セヤードー方が二十四縁起に関して様々な形で著作を出されているので、この「初学者でもよくわかる二十四縁起」の原稿を出版することは望んでいませんでした。檀家の皆さんの願いをかなえるためにフェイスブックに掲載しただけでした。
フェイスブックに掲載した「初学者でもよくわかる二十四縁起」を読んだたくさんの檀家の皆さんから法施したいので本として出版することを許可して欲しいとの申し出がありました。また、フェイスブックに掲載した部分を写し取りPDFに変換して配布する許可を下さいとの申し出もありました。
そして、フェイスブックで「初学者でもよくわかる二十四縁起」を読まれたシュエチン派の総本部長、モゥンユワ町、アロンデッキナーヨゥンセヤードー、バッダンタオータダから「原稿を完結させてください。出版に向けて布施者を募りました」との指示を受けました。こうした背景で単行本として出版することになりました。ですから、アロンデッキナーヨゥンセヤードーも「初学者でもよくわかる二十四縁起」出版の恩人であるセヤードー方のお一人となっています。
私宛にたくさんの文献をお送りくださった恩ある方々、ご指導をいただいた年長の僧侶の皆様、「初学者でもよくわかる二十四縁起」の書籍化を支援いただいたセヤードー方に書籍版「初学者でもよくわかる二十四縁起」を献上し、敬意を払い、礼拝いたします。 書籍版「初学者でもよくわかる二十四縁起」の原稿を、事実関係、イデオロギーの観点から誤りがないかどうかチェックして下さったアシン・カッタバターラ(タータナダザ、ダンマサリヤ、イナヤダラ、ディーガバーナカ)とピュゥ町、オゥッピャッヤックエ、ゼーヨゥンパリヤッティサーティンダイッから二十四縁起の指導をしていただいたアシンワンニタ(タータナダザ ダンマサリヤ)のお二方も書籍版「初学者でもよくわかる二十四縁起」の恩人、セヤードー方です。装丁に関して助力いただいたクオリティ出版のオーナーであるコーミントゥン、そして出版社の関連部署の皆様にも深く感謝いたします。
「初学者でもよくわかる二十四縁起」をアビダンマの基本的な知識が全くない人たちが理解できるように、二十四縁起の法を自分の人生に役立てることができるように、自分の体力、自分の智慧を振り絞って努力を重ねて執筆しました。それでも落丁、乱丁、誤りなどがあるかもしれませんが、ご容赦いただき、慈悲を込めた清らかな喜びの心で訂正し読んでいただければ幸いです。書籍版「初学者でもよくわかる二十四縁起」により、智慧を具えた善人たちの心に楽しさと喜びが生じることを祈念いたします。
●二十四縁起について、ご恩になったセヤードー方
二十四縁起について知りたいと言われると少し気が引けます。私は、他人は不得手で自分は得意なことだけを書いてきました。律蔵、経蔵を主として学んできました。アビダンマ(論蔵)については学校に在籍していた時に教科書で学んだだけです。教科書と言ってもパーリ語で書かれた手引きを用いて、要点を学んだだけです。その本質を学んだわけではありません。それで改めて本を読むという結果に至りました。ミャンマーでは二十四縁起の本質、実践する方法などはレディセヤードーの著作、説法などにより知ることができます。
レディセヤードーの前の時代は、二十四縁起と言うと断片的な資料に基づいて学ぶしかない状況でした。レディセヤードーが逝去された後、二十四縁起を人々が理解できるように教えたのはタウン町、マハーガンダヨゥンセヤードーです。「二十四縁起の基礎」という本を出版され、法話会も開催されました。檀家たちはそれをテープに録音しました。セヤードーが逝去された後は録音した法話を編纂して本として出版しました。これ以降、多くの方々が二十四縁起を説き、文章にされました。
上座仏教の信者さんたちは、タウン町マハーガンダ―ヨゥンセヤードーの「二十四縁起の基礎」を読むべきだと思います。繰り返し何度も読むべきです。読んでみてわからない点があれば、よく理解している人に聞いてください。今回、私は二十四縁起とはどのようなものかを皆さんがおおまかに知ることができるように説明します。前菜を味わう程度に解説します。







