高校時代からの友人が遊びにきた。もう半世紀以上の付き合いになる人だ。彼女は私と違って、スポーツ万能、文武両道、スラッとした長身に少し童顔の美貌、屈託ない性格で、男女問わず人気者だった。高校時代からバスケットをしていて、大学では名門大学の体育会バスケ部の主将を務めていた。痴漢にあって返り討ちにしたとか、バスケットの試合で相手に反則され負傷したときには、コートから担ぎ出されながら「ぶっ殺してやる~!」と叫んでいたり(これは私も目撃した)、数々のエピソードがある。言いづらくて口ごもってしまう私の横で、どんな相手にでもズバッと本音を言える彼女は私の憧れでもあった。

 そういう人だから、ひとりで運転して八ヶ岳まで来ると言っても、何も心配せず、馴染みのペンションを紹介して、勝手に来てもらった。彼女に限っては「怖いものなし」だと思い込んでいた。さて翌日、我が家でゆっくりしながら話をしていた際にふと彼女が「昨日は本当に怖かった!」と言い出した。「いったい何が怖かったの? 真っ暗な夜道の運転? クマかイノシシが出た? 変な人がいた?」と聞いたところ、どれも違うと言う。「おばけが怖かった!」のだそうだ。その宿の駐車場は真っ暗で、ぼんやりとソーラーライトが灯る細い道をたどって玄関に入らねばならない。真っ暗でザワザワと揺れる林の中の宿、人通りも無い。不気味と言えば不気味に違いない。実際出たのか聞いてみると、そうではないと言う。言うなれば、要するに「辺りが暗くて脚もとが覚束なかった。実体は無いが何となく怖かった。」ということらしい。そして続けて「この山小屋にひとりで寝泊まりして怖くないの? 私にはとても無理。怖くて寝られない。」と彼女は言った。全く怖くない、というのが私の本音だった。「できればひとりが良い。誰とも話さず、ひとりの時間を持てるのは本当に幸せだ。」と話すと「貴女は強いね。」としみじみ言われてしまった。

 強い? 強さとは何だろう? 強さとは、まず体が健康なこと、身体能力が優れていること、他人に対して気後れしないこと、論戦で負けないこと、批判されても気にしないこと、動じないことであるとぼんやり感じてきた。私にとって強い人とは「精神的にも肉体的にもタフな人」だと言って良いだろう。それは私が持っていない強さだから、特にそう感じたのかもしれない。

 だが、私にとっての「強い人」である彼女にそう言われて、ふと振り返ってみた。ひとりでいられること、暗闇を恐れないこと、死を直視すること、降り掛かるものごとを受け止められること、他人の意見を聞けること、そういうことも強さなのではないだろうか? 「強さ」は様々な見方がある。例えば地道な努力を続けられることも強さだろう。欲望を我慢できることも強さだろう。他人に誹られても自説を曲げないことも強さだろう。言葉を変えれば、人はみなそれぞれの強さを持っている、とも言えるのではないだろうか?

 自分は弱い人間だと思う人は多い。だがそれは求めている方向の強さが足りないということにすぎず、自分には自分なりの強さはあるのだ。

 そしてもうひとつ、彼女が「貴女は強いね。」と言った理由は、私がひとりで山の中の一軒家で寝泊まりすることを恐れないこと、幽霊を恐れないこと、だったが、これはヴィパッサナー瞑想をしているからだ。私は、本来はとても怖がりだ。恐怖心も人一倍ある方だと思っている。一軒家で寝泊まりして怖いのは、押し込み強盗と悪霊だろうか。もし強盗に入られるなら、それなりの悪業の清算と思うしかない。そうならないように一生懸命善業を積もうともしているから、それでそうなるなら、仕方ない。悪霊については、初めてこの家に泊まった時に、タイの森林僧院でいただいてきたミャンマー由来の仏像を安置したことで、安心を得た。瞑想を始める前に、仏像の前に座って祈る。私を守護してくださる存在、見たことは無いが守護霊とか祖霊、加護してくださる異界の存在に対して、「悪しきものからお守りください、瞑想修行が進むようにお力をお貸しください。」と祈る。そうすれば恐怖を感じることは無い。

 そもそも恐怖はほとんど妄想から生じる。「変な音がした。外に誰かうろついているのではないか?」「家の中で不気味な気配がする。悪霊ではないか?」これらは「音」とSatiを入れてやり過ごせば良いし、「不気味な気配」とSatiを入れれば良い。続いて「不安」とか「恐れている」とかSatiを入れ続ければ良いのではないか?「妄想」とだけ入れても良いかもしれない。つまり、Satiを入れることで、無用な恐怖は消えてしまうということだ。

 どんな時、どんな場合、どんな場所でも平常心を失わないことを強さだとするなら、ヴィパッサナー瞑想はまさに強さへの道だろう。satiを入れることで自分の怖れ暴れる心を御することができる。「自分は弱い人間だ」と下を向きがちな人にこそ、ヴィパッサナー瞑想をやってほしいと思う。きっとより胸を張って生きていけるようになるはずだ。

 そんなことを書いているが、いざ泥棒やクマに出くわしたら、satiはすっ飛んで「キャー!」と叫んでいそうな気がする。まあそうなったら、また「satiが入らなかった」から始めよう。